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ゴースト・ライセンス―その「殺人」は、被害者を救う―  作者: あおいろぱりお
第一章

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第八話 蜘蛛の巣と迷い猫

2014年、8月18日 午前10時。

 じりじりと肌を焼くような日差しが、港湾地区の鉄屑を熱していた。


 昨夜、俺が押し入った「闇診療所」。

 その入り口にある看板の裏に、俺は小型のCCDカメラを埋め込んでいた。

 本来は、配管内部の詰まりを検査するための工業用カメラだ。

 電源は看板の照明から直結させ、映像は俺の店にあるパソコンへリアルタイムで転送されるように設定した。


 ヤブ医者には、口止め料としてさらに現金を積み上げた。

 『奴が来たら、いつも通り治療しろ。引き止める必要はない。ただ、会話を録音しておけ』

 医者は金を見て、何度も頷いていた。


 俺は「葛城リフォーム」としての技術をフル活用し、この診療所周辺を「監視スタジオ」へとリフォームした。

 奴は必ず戻ってくる。

 傷が塞がっていない以上、抗生物質と痛み止めが必要だからだ。


 俺は汗を拭い、軽トラに乗り込んだ。

 準備は整った。あとは、蜘蛛の巣にかかるのを待つだけだ。


----------×--------------------×--------------------×


 同日、午後4時。

 葛城リフォームの事務所。


 俺はカウンターの奥で、パソコンのモニターを凝視していた。

 画面には、薄暗い診療所の入り口が映し出されている。

 今のところ、動きはない。時折、野良猫が横切るだけだ。


 カランカラン。

 ドアベルが鳴った。


 俺は反射的にウィンドウを切り替え、在庫管理の表計算ソフトを表示させた。

 顔を上げる。

 そこにいたのは、予想通り一ノ瀬玲奈だった。


「……いらっしゃいませ」

「ごめんなさい、仕事中に」


 彼女はいつになく神妙な顔つきで、カウンターに歩み寄った。

 注文もせず、立ったままで俺を見つめる。


「今日はコーヒーじゃないんですか?」

「ええ。……ちょっと、専門家に意見を聞きたくて」


 彼女は鞄から一枚の資料を取り出し、カウンターに置いた。

 それは、県内の「産業廃棄物処理ルート」の分布図だった。


 俺の背筋に冷たいものが走る。


「……これは?」

「アパートの現場から出た『第三のDNA』。あれが混入した原因を突き止めるために、鑑識と科捜研が血液の出所を洗い直したの」


 彼女は地図上の、港湾地区を指差した。


「正規の病院ルートじゃない。横流しされた『闇ルート』の廃棄物である可能性が高いわ。このエリア……怪しいと思わない?」


 心臓が早鐘を打つ。

 彼女の指先は、正確にあの「闇診療所」があるエリアを示していた。


「……さあ。俺は建築の廃材については詳しいですが、医療廃棄物は管轄外ですから」

「そうよね。でも、あなたは現場監督もするでしょ? こういう『処理場』に出入りする業者の中に、顔見知りはいない?」


 試されている。

 彼女は、俺と須藤(横流し犯)の関係を疑っているのか?

 いや、まだそこまでは辿り着いていないはずだ。彼女は純粋に、情報を求めて「顔の広いリフォーム屋」を頼っているだけだ。

 だが、その純粋さが一番怖い。


「……心当たりはありませんね。ウチは真っ当な業者しか使いませんから」

「そう……残念だわ」


 玲奈は地図をしまった。

 だが、その目は諦めていなかった。


「私ね、これからこの港湾エリアを一軒ずつ回ろうと思うの。モグリの医者や、怪しい解体屋を虱潰しに」

「やっぱり組織は動かなかったんですね。」

「ええ。もう少し時間がかかると言われたけれど、そんな悠長に待ってる時間はないわ。それに、10年前の犯人がこの街に潜んでいるなら……これ以上、被害者を出すわけにはいかない、そうでしょ?」


 一ノ瀬さんは正論を言っているし、葛城湊としては応援したい。だが、失踪請負人(ゴースト)としては応援できない。

 もしこのまま彼女が港を歩き回れば、いずれ必ずあの診療所に辿り着く。

 そうなれば、診療所の医者は保身のために俺のことを喋るだろう。

 『先日、リフォーム屋の男が来て、カルテを奪っていった』と。


 詰みだ。

 彼女が診療所に辿り着く前に、俺が犯人を狩り、すべての証拠を消さなければならない。


「一ノ瀬さん」

「何?」

「……もし、その犯人と遭遇したらどうするつもりですか? 相手は3人を殺した怪物ですよ」


 俺は聞いた。

 彼女は腰のホルスターに手を当て、毅然と言った。


「撃つわ。必要なら、躊躇なく」


 その瞳に迷いはなかった。

 本当に撃ち殺すつもりなのかもしれない。

 だが、手を汚すのは一ノ瀬さんじゃなくていい。

 悪人は俺だけで十分だ。


 その時。

 俺の背後で、パソコンから「ピロン」という電子音が鳴った。

 動体検知のアラートだ。


 俺の体温が一気に下がる。

 玲奈が怪訝そうに俺の後ろを覗き込もうとする。


「今の音、メール?」

「ええ。……資材屋からの納品通知です」


 俺は自然な動作でモニターの電源を落とした。

 だが、網膜には焼き付いている。

 一瞬だけ映った映像。

 診療所のドアを開けようとする、フードを目深に被った男の姿を。


 来た。

 奴だ。


「……すみません一ノ瀬さん。急ぎの現場トラブルが入ったみたいで。すぐに出なきゃいけないんです」

「え? あ、ええ。ごめんなさい、引き止めて」


 俺は上着を掴み、カウンターを出た。

 玲奈を店から追い出すようにして鍵をかける。


「お気をつけて」

「あなたもね」


 玲奈は不満げに去っていった。

 彼女の背中が見えなくなるのを確認するや否や、俺は軽トラに飛び乗った。


 行き先は港湾地区。

 所要時間は20分。

 玲奈が徒歩で聞き込みをしながら向かえば、到着まで1時間はかかるだろう。

 その40分の差が、勝負の分かれ目だ。


 俺はアクセルを床まで踏み込んだ。

 助手席には、リフォーム用の「ネイルガン(釘打ち機)」が転がっている。

 コンプレッサーの圧力設定は、規定値を遥かに超える「最大(MAX)」にしてある。


 本来なら、人間相手に使う道具じゃない。

 足を撃って捕獲するだけなら、もっと威力を下げるべきだ。

 

 だが、俺の指は設定を戻そうとはしなかった。


 (俺は今日、一線を越える)


 ハンドルを握る手が汗ばむ。

 建前上は「生け捕り」だ。情報を吐かせるためだ。

 だが、俺の本能は理解していた。

 俺は今日、あいつを「修理」しに行くんじゃない。

 俺の人生を終わらせてでも、あいつを物理的に「廃棄」しに行くのだと。


 10年越しの再会だ。

 俺はハンドルを握りしめ、震える声で笑った。


「待ってろよ、吸血鬼」


 夕日が海を赤く染めていく。

 まるで、これから流れる血の色を予言するように。


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