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ゴースト・ライセンス―その「殺人」は、被害者を救う―  作者: あおいろぱりお
第三章 Infection

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第三十一話 原点

 2016年、8月27日。午前9時15分。

 狐塚(こづか)からの約束通り、俺のノートパソコンに暗号化されたメールが届いた。


「来たわね」

 一ノ瀬(いちのせ)さんが身を乗り出す。俺はパスワードを打ち込み、警視庁のサーバーから抜き出されたばかりの初動捜査資料を開いた。


 中央区のアパートの現場写真。血痕のルミノール反応結果。そして、血の海だけを残して消えた20代女性の身元情報。

 だが、俺の視線は、ファイルの一番最後に添付されていた一枚の画像データで完全に凍りついた。


「葛城くん、これ……」

「ああ。今朝方、都内の主要メディアと警視庁に同時に送りつけられた『犯行声明文』だ」


 昨夜のニュースではまだ報道されていなかった事実。

 そこには、俺たちの本名こそ書かれていなかったが、ただの殺人鬼の自己顕示欲とは違う、ひどく個人的で、不気味な文言が並んでいた。


『世間を騒がせている偉大なる亡霊の師匠へ。

 あなたの芸術に感銘を受けました。私も救済の輪に加わりたい。

 挨拶代わりに、あの夏、擦り切れるまで聴いた『ロコローション』のMDが眠る、あの【秘密基地】でお待ちしています。

 次の獲物を連れて』


「…………ッ!!」

 俺と一ノ瀬さんは、弾かれたように顔を見合わせた。

 心臓が、早鐘のように激しく鳴り始める。全身の血が逆流するような、凄まじい悪寒が背筋を駆け上がった。


「秘密基地って……嘘でしょ、葛城くん。あいつ」

「ああ……12年前に親父が持っていた、葛城工務店の資材置き場だ」


 俺は奥歯を砕けそうなほど強く噛み締めた。

 ただの模倣犯じゃない。こいつは俺たちの過去を、美咲のこと、そして俺の生い立ちまで完全に知っている。


「……マズいぞ。一ノ瀬さん、車を出してくれ」

 俺は立ち上がり、工具箱からサバイバルナイフとスタンガンを掴み出した。

「万が一の話だ。警察がこれをただのイタズラだと思わず、『ロコローション』の発売年である2004年に目をつけて、『秘密基地』というキーワードで過去の記録をデータベース検索したらどうなる?」


「……2004年の事件。まさか、美咲ちゃんの事件がヒットする?」

「その通り。杞憂かもしれないが、もし検索されれば当時の調書には、俺たちの溜まり場が『葛城工務店』だったことや、俺たちの名前などもデータとして残っているはずだ、美咲が死んだ後、警察は近隣に聞き込み調査をしていたからな」


 ただの挑発じゃない。これは俺の匿名性を暴く、最悪の時限爆弾だ。


「警察に検索されれば、ゴーストの正体が『葛城湊』だと完全に割れる。指名手配でもされれば、もう二度と誰も救えない。俺の仕事(ライセンス)は終わりだ」

 俺はナイフを上着の裏に隠し、一ノ瀬さんを振り返った。

「警察がその事実に辿り着く前に、俺たちであの狂人の口を塞ぐ。あの廃墟には、俺が行く」

「私も行くわ! 私たちのあの場所を、美咲ちゃんとの記憶を……人殺しの遊び場にすることは許さない!」


 俺たちはノートパソコンの電源を落とし、狩られる側の『亡霊』から、殺意を持った『猟犬』へと姿を変え、部屋を飛び出した。


----------×--------------------×--------------------×


 同時刻。

 警視庁捜査一課、特捜本部の会議室。

 ホワイトボードに貼り付けられた犯行声明文の拡大コピーを前に、捜査員たちは頭を抱えていた。


「意味不明だな。『ロコローション』って、オレンジレンジの? それに【秘密基地】って、子供のイタズラかよ。被害者の交友関係の洗いを急げ!」

「一応、過去の事件データベースで該当する単語がないか検索かけますか?」

「バカ言え、そんなもん全国で何万件ヒットすると思ってるんだ。時間の無駄だ」


 怒号が飛び交う中、西園寺(さいおんじ)鏡介(きょうすけ)だけが、腕を組んだままホワイトボードの文字を食い入るように見つめていた。


(……ただのポエムじゃない。そうだろ、ゴースト)


 西園寺にデータベース検索など必要なかった。

 この二年間、ゴーストが消した人間は数知れない。だが、西園寺はその中でもただ一人、かつての部下である『一ノ瀬玲奈』の過去だけを藁にもすがる思いで、執拗に洗い続けてきた。

 二年前の火災の日、一ノ瀬玲奈は死なずにゴーストと共に姿を消した。

 その正体に辿り着くための唯一の道標は、彼女の人生を丸裸にすることだったからだ。


「ロコローションのMDが眠る......か」

 

 オレンジレンジのロコローションの発売は、2004年の夏。

 一ノ瀬玲奈にとって、2004年の夏とは何か? ――親友である『北条美咲』がストーカーに惨殺された、狂気の始まりの季節。


「秘密基地……まさか」

 西園寺は会議室を飛び出し、自分のデスクに向かった。

 そして、引き出しの奥から、二年間読み耽ったカビ臭い『12年前の捜査資料』のコピーを引っ張り出す。彼の指が、美咲の事件当時の『周辺住民への聞き込み調書』の項目をピタリと押さえた。


『――被害者の北条美咲は、不良グループの同級生、一ノ瀬玲奈や【葛城湊】とよくつるんでいた。彼らは市内の外れにある【葛城工務店の資材置き場】を秘密基地にしていて……』


 声明文の単語と、12年前の調書に刻まれた名前が、西園寺の中で完全に繋がった。


「……葛城。葛城、湊……!」

 西園寺の口角が、獰猛な弧を描いて吊り上がった。

 タワーマンションの搬入口ですれ違った、冷たい目をしたダストカートの男。あの男の名前が、12年の時を超えて西園寺の脳内に突き刺さった瞬間だった。


「西園寺さん? どこ行くんですか!」

「成仏させる。亡霊をな」

 西園寺は部下の制止を振り切り、車のキーを指に引っ掛けて廊下を駆け出した。

 彼はついに、ゴーストの『本名』を手に入れた。あとは現場で、血まみれの死体と共に奴らを押さえるだけだ。


----------×--------------------×--------------------×


 午前9時45分。

 鉛色の雲が、空を重く覆い尽くしている。

 市内から離れた寂れたエリアへと続く幹線道路を、俺たちの乗ったワゴン車が猛スピードで駆け抜けていた。


 ハンドルを握る一ノ瀬さんの横顔は、張り詰めた糸のように冷たく、険しい。

 俺は助手席で、上着の下のナイフの柄を無意識に撫でていた。


 12年間、一度も足を踏み入れなかった俺たちの秘密基地。

 そこで待っているのは、俺たちの偽装を汚し、美咲の死を嘲笑う狂人だ。

 本名が割れる前に、絶対に生かしては帰さない。視界が赤く染まるのを感じながら、俺は前方を睨みつけた。


 ――同じ頃。

 俺たちの車から数キロ離れた後方の車線を、サイレンを鳴らさない一台の覆面パトカーが、恐ろしい速度で縫うように爆走していた。

 運転席の西園寺は、ネクタイを乱暴に緩めながら、アクセルを床まで踏み込んでいる。


「待っていろよ、葛城湊。お前の尻尾は、俺が喰いちぎってやる」


 それぞれの思惑が、12年前の原点(オリジン)に向けて一直線に収束しようとしていた。


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