第三話 神隠し
2014年、8月15日。
終戦記念日。正午のサイレンが鳴り響く中、俺は軽トラのハンドルを握っていた。
カーラジオからは、相変わらず一昨日の「アパート殺人事件(俺の仕事)」の続報が流れている。
『――警察は依然として被害者の行方を捜索中ですが、現場の状況から生存は絶望的と見られ……』
世間は「姿なき死体」の謎に夢中だ。
だが、俺の意識はすでに次の現場へと向いていた。
今回の依頼現場は、市内でも有数の高級住宅街にある。
高い塀に囲まれた、純和風の巨大な屋敷。
表札には『権田』という威圧的な文字。
地元選出の県議会議員であり、建設業界に太いパイプを持つ権力者の家だ。
俺は「葛城リフォーム」の作業着を着て、通用口のインターホンを押した。
「……はい」
「失礼します。先日ご依頼いただいた、離れの床下補修の件で伺いました。葛城リフォームです」
重厚な門が電動で開く。
俺は軽トラを敷地内に滑り込ませた。
今回の依頼人は、この家の「長男」である7歳の少年・優太だ。
依頼経路は、俺が裏サイトに流している『お悩み相談』の偽装バナー。
子供が偶然タップし、震える手でSOSを送ってきたのだ。
「遅いぞ」
玄関に出てきたのは、家主の権田本人だった。
恰幅が良く、脂ぎった顔。昼間から酒の臭いがする。
「申し訳ありません。お盆の渋滞に巻き込まれまして」
「ふん、職人の分際で言い訳か。さっさとやれ。離れの湿気がひどいんだ。客間にカビが生えたらどうする」
「直ちに確認いたします」
俺は頭を下げ、道具箱を手に取った。
権田は俺に背を向け、屋敷の奥へと怒鳴り声を上げた。
「おい優太! 業者の人が来たぞ! 案内しろ! ……ったく、グズが」
廊下の影から、小さな人影が現れた。
半袖のシャツから伸びた腕には、痛々しい青痣がいくつも見えた。
頬にも、何かで殴られたような腫れがある。
だが、権田はそれを隠そうともしない。
「躾」と言い張れば、警察も児童相談所も、この権力者の壁を越えられないことを知っているからだ。
「……こっちです」
少年は蚊の鳴くような声で言い、俺を先導した。
屋敷は立派だが、腐臭がする。
木材の腐りではない。人間性の腐敗臭だ。
俺は「リフォーム屋」の目で、建物の構造をスキャンしながら歩く。
築40年の木造建築。増改築を繰り返しており、図面にない空間がありそうだ。
案内されたのは、母屋から渡り廊下で繋がれた「離れ」だった。
客間として使われているらしいが、空気は澱んでいる。
「ここです」
「ありがとう。……痛むかい?」
俺はしゃがみ込み、小声で彼の腕の痣を指した。
優太はビクリと体を震わせ、後ずさった。
「……パパが、僕が悪い子だからって。勉強ができないから、お仕置きだって」
「そうか」
俺はレーザー距離計を取り出し、壁の寸法を測るフリをした。
ピ、という電子音が静寂に響く。
「君は、ここから消えたいか?」
「え……?」
「この家からいなくなって、パパが二度と君を見つけられない遠くへ行きたいか? それとも、ここで大人になるまで耐えるか?」
俺は淡々と問うた。
同情はしない。選択させるだけだ。
優太は瞳に涙を溜め、小さな拳を握りしめた。
「……死にたい」
「死にたいか」
「うん。死んだら、もう殴られないでしょ? 天国に行けるでしょ?」
7歳の子供に、死を救済だと思わせる環境。
やはり、ここは欠陥住宅だ。
住む人間を壊す家は、リフォーム(解体)しなければならない。
「わかった。なら、君を『死んだこと』にしてあげよう」
俺は道具箱から、床下点検用のライトを取り出した。
「僕の仕事はリフォーム屋だ。君の人生を修繕しに来た」
俺は彼に耳打ちし、素早く部屋の四隅をチェックした。
そして、押し入れの奥にある「不自然な板壁」に目をつけた。
コンコン。
壁を叩く。音が軽い。
外壁までの厚みを計算する。……30センチの余剰空間がある。
昔の隠し戸棚か、あるいは通気ダクトのスペースか。
「優太くん。今夜、この押し入れの中に隠れていられるか?」
「うん……パパが帰ってきたら、いつもここに隠れてるから」
「よし。夜中の2時。僕が迎えに来るまで、絶対に音を立てるな」
俺は計画を立てた。
今回は「殺人現場」の偽装は使えない。
権力者の家で派手な血痕を残せば、警察の捜査本気度が跳ね上がり、すぐにボロが出る。
今回は――「神隠し」だ。
完全な密室から、子供が煙のように消え失せる。
事故か、誘拐か、それとも家出か。
可能性を分散させ、権田の社会的信用をじわじわと殺す。
「おい! いつまでかかってる!」
庭先から権田の怒鳴り声が聞こえた。
俺は「今行きます!」と声を張り上げ、優太に目配せをした。
「約束だぞ」
優太が小さく頷くのを確認し、俺は離れを出た。
庭に出ると、権田が誰かと話していた。
俺は足を止めた。
権田の話し相手。それは、見覚えのあるスーツ姿の女性だった。
「ですから先生、最近この付近で不審者の目撃情報がありまして」
「知らん! ウチにはセコムが入ってるんだ。警察の世話にはならんよ」
「ですが……」
一ノ瀬玲奈だ。
なぜ彼女がここに?
彼女はふと視線を感じ、こちらを向いた。
「あ」
「……奇遇ですね、一ノ瀬さん」
俺は作業着のポケットに手を突っ込み、苦笑いを浮かべた。
玲奈の目が、驚きから瞬時に「刑事の目」へと変わる。
「葛城くん? どうしてあなたがここに?」
「仕事ですよ。床下の修理です」
「仕事……」
彼女は俺の顔と、背後の権田の屋敷を交互に見た。
その鋭い勘が、何かを警告しているのだろうか。
『殺人現場の近くに、いつもこのリフォーム屋がいる』と。
「一ノ瀬さんこそ、なぜここに?」
「パトロールよ。……この家の『噂』を聞いてね」
彼女は声を潜め、権田の方を一瞥した。
「虐待の通報が何度かあるの。でも、証拠がないって追い返されてばかり。だから、せめて周辺警戒だけでもと思って」
正義感の塊のような人だ。
だが、法律というルールを守る限り、彼女は優太を救えない。
警察官である彼女が「無力」である今こそ、俺の出番だ。
「熱心ですね。でも、この暑さだ。無理はしないでくださいよ」
「ええ。……ねえ、葛城くん」
すれ違いざま、彼女が俺の腕を掴んだ。
強い力だった。
「あなた、床下を見てきたのよね?」
「ええ」
「……『何か』、変なものはなかった?」
彼女は虐待の痕跡を聞いているのか。
それとも、俺がこれから起こそうとしている「事件」の予兆を感じ取ったのか。
俺は彼女の手を優しくほどき、いつもの眠そうな顔で答えた。
「シロアリがいっぱいいましたよ。……早めに駆除しないと、土台ごと食い尽くされるでしょうね」
俺は一礼して、軽トラに乗り込んだ。
バックミラーの中で、玲奈がじっとこちらを見送っている。
彼女の視線を背中に感じながら、俺はアクセルを踏んだ。
今夜、この屋敷から一人の子供が消える。
その時、彼女は俺を疑うだろうか。
賽は投げられた。
俺は助手席の工具箱の中にある、電動ノコギリの刃を静かに撫でた。




