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ゴースト・ライセンス―その「殺人」は、被害者を救う―  作者: あおいろぱりお
第三章 Infection

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第二十九話 不協和音

 2016年、8月26日。午後3時。

 西園寺(さいおんじ)鏡介(きょうすけ)は、タワーマンション最上階の血の海を見下ろしながら、二年前のひんやりとした取調室の空気を思い出していた。


 ――二年前。連続猟奇殺人鬼『吸血鬼』を捕らえた夜のことだ。


 パイプ椅子に縛り付けられた吸血鬼は、顔面を腫らしながらも、西園寺に向かってゲラゲラと狂ったように笑っていた。

『俺じゃねえよ、刑事さん! あんな爆発を俺が引き起こせると思うか!? あの時、俺の獲物を横取りした「誰か」がいたんだよ。そいつが完璧な炎の海を作りやがったんだ……!』

『……誰の指示だ』

 西園寺が冷たく尋問しても、吸血鬼はただ笑うだけだった。

『さあな、俺も知らねえよ。だが、あの芸術的な偽装工作……ありゃあ本物の化け物だぜ』


 西園寺はその直後、倉庫の火災現場跡から発見された一ノ瀬(いちのせ)玲奈(れな)の遺体が「身代わりのマネキン」である可能性に一人だけ行き着いていた。

 あの夜、一ノ瀬玲奈は死んでいない。

 吸血鬼の言う『化け物』――失踪請負人(ゴースト)と共に、闇へ消えたのだと。


 だが、西園寺の追撃は、警察組織という巨大な壁によって阻まれた。

 上層部は、一ノ瀬の単独捜査と殉職を「不慮の事故」として処理し、組織の失態を隠蔽しようとした。しかし、何者かが警察内部からメディアへ情報をリークしたのだ。

『警察は若い女性刑事を一人で見殺しにした』『トカゲの尻尾切りだ』。

 世間からの凄まじいバッシングと連日の報道。内部調査の嵐。西園寺たち現場の人間は、その対応と尻拭いに忙殺され、身動きが取れなくなってしまった。


 さらに、西園寺を最も苛立たせたのは、ゴースト自身の「沈黙」だった。

 この二年間、全国で不自然な失踪事件は起きていた。「海への投身自殺(死体なし)」や「借金苦による夜逃げ」。だが、どれも地味な『神隠し』ばかりで、二年前のような「完璧な血痕偽装」を伴う派手なリフォームは一件もなかった。

 ゴーストたちは意図的に、警察の鑑識を刺激するような大掛かりなトリックを避けていたのだ。

 物証がない以上、西園寺ほどの天才であっても「これはゴーストの仕業だ」と断定することはできず、ただ暗闇の中で歯ぎしりをするしかなかった。


 ――だが、今は違う。


「とうとう尻尾を出したな」

 西園寺は、目の前に広がる凄惨な血の海を見て、歓喜に震えた。

 

 ターゲットの女は、家中にカメラを仕掛けられ、軟禁状態にあった。ただの『神隠し』では絶対に逃げ切れない。だからこそ、奴らは二年前と同じ「完璧な殺人の偽装アート」という大技を使わざるを得なかったのだ。


「鑑識を呼べ! ……だが、殺人事件としては扱うな」

 西園寺は、呆然とする所轄の警官たちに向かって鋭く指示を飛ばした。

「ルミノール反応もDNAも出るだろうが、無駄だ。これは殺人を装ったただの手品だ。……いくら探しても、死体など出てこない」


 西園寺は、搬入口ですれ違った清掃業者の男女――鋭い目をした男と、金髪の女の顔を脳裏に焼き付けていた。


----------×--------------------×--------------------×


 同日。午後9時。

 市内から離れた『コーポ・サツキ』の一室。


 プシュッ、と缶ビールの開く小気味良い音が、薄暗い部屋に響いた。

「乾杯。……見事な手際でしたよ、一ノ瀬さん」

「葛城くんもね。あの夫の顔、ニュースで見た? 自分が妻を殺した犯人を招き入れたと思い込んで、絶望で泣き叫んでたわよ」


 俺と一ノ瀬さんは、缶ビールを軽くぶつけ合った。

 俺たちがダストカートで運び出した沙織は、NPOの狐塚が手配したシェルターに無事に保護された。戸籍を捨て、新しい名前で生きていくための手はずも整っている。

 二年間、地味な夜逃げばかりを手伝ってきた俺たちにとって、久々の「大仕事」の成功だった。


 だが、俺の心の中には、搬入口で遭遇した西園寺の鋭い視線が、小さな棘のように刺さったままだった。


「……あの刑事、西園寺でしたね」

「ええ。警視庁捜査一課のエースよ。勘が鋭くて、一度噛み付いたら絶対に離さない猟犬。……まさか、あんなに早く現場に来るなんて。これからは、もっと慎重に動かないとね」

「まあ、気にする必要はありませんよ」

 俺はビールを一口飲み、小さく笑った。

「現場には指紋ひとつ残していない。血液のDNA鑑定をされても、俺たちに繋がる証拠は一切ない。西園寺がどれだけ疑おうが、手出しはできませんよ」


 一ノ瀬さんもホッとしたように微笑み、ビールに口をつけた。

 俺たちが残した唯一の痕跡は、すでに闇の中だ。完全勝利だった。


 俺が残りのビールをあおろうとした、その時だった。

 つけっぱなしになっていたテレビから、緊迫した声のニュース速報が流れた。


『――速報です。本日午後8時頃、市内の中央区にあるアパートの一室で、大量の血痕が発見されました』


 俺と一ノ瀬さんは、同時にテレビの画面に目を向けた。

 画面には、黄色い規制線が張られ、赤色灯に照らされた古いアパートの映像が映し出されている。


『部屋の壁や床には争ったようなおびただしい量の血が付着していましたが、この部屋に住む20代女性の行方は分かっておらず、警察は事件に巻き込まれた可能性が高いとみて捜査を――』


「……は?」

 俺の口から、間の抜けた声が漏れた。


「どういうこと……? 葛城くん、これ」

 一ノ瀬さんが、血の気を失った顔で画面と俺を交互に見る。

「NPOの狐塚さんから、今日別の案件も頼まれていたの?」

「まさか。今日は沙織さんの一件だけだ」

「だよね……」


 俺はビールの缶をテーブルに置き、低く唸った。


「俺たちは現場の下見から、依頼人の血液データに合わせた偽装溶剤の調達まで、入念に準備をしてからしか動かない。一日に何件も『依頼(リフォーム)』を引き受けるわけがない」


 画面の中では、血の海となった部屋の生々しい様子が、規制線の外から映し出されていた。


「じゃあ、このニュースの事件は……一体誰がやったの?」

「……分からない」


 俺は画面を睨みつけたまま、背中に冷たい汗が伝うのを感じていた。


 血の海だけが残され、人間が消えている。

 それは、まさに俺たち『失踪請負人』の手口(シグネチャー)そのものだった。

 

 単なる偶然か。

 それとも、俺たちの手口を真似ている模倣犯(コピーキャット)がいるとでも言いたいのか。


 缶ビールの中で、泡だけがゆっくりと死んでいった。

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