第二十四話 茜が隠した太陽
2004年8月8日。
運命の日まで、あと5日。
葛城工務店の資材置き場は、茹だるような熱気が淀んでいた。
首を振る古ぼけた扇風機の「アー」というモーター音だけが響いている。一ノ瀬さんは夏期講習で遅れており、秘密基地には俺と美咲の二人だけだった。
「ひーまーだー! 先輩おっそーい!」
作業台でハンダゴテを握る俺の背後で、美咲が豪快にあくびをした。
彼女は叫ぶと同時に、自分の通学カバンを逆さにして廃材テーブルの上にぶちまけた。
ドガラガッシャーン!!
教科書、お菓子、ルーズリーフ、謎のキーホルダー……まるでゴミ溜めだ。
「汚ねえな! お前のカバンは四次元ポケットか!」
「うるさいなぁ、暇だから今から整理するの! 断捨離!断捨離!」
美咲は鼻歌交じりに、テーブルの上の惨状を選別し始めた。
「これ、賞味期限切れのグミ!」
ポイッ。
美咲が背後のソファへ投げたゴミは、肘掛けと座面の隙間に音もなく吸い込まれていく。
「おい、そこはゴミ箱じゃねえぞ」
「大丈夫、ブラックホールだから! はい次、インク出ないペン!」
「誰が掃除すると思ってんだよ……っておい」
ポイッ。
「これ、駅で拾ったMD! 直してもらったプレーヤーで聴いたらノイズとオッサンの声しか入ってなかったからイラネ!」
ポイッ。
「これ、数学の小テスト! 12点!」
ポイッ。
「おい待てコラ! 最後のは捨てちゃダメなやつだろ! あと12点ってなんだ!」
「あーあー聞こえなーい! ソファの神様が全てを無に帰してくれるのー!」
カラン、カラン。
乾いた音を立てて、ゴミたちが次々と隙間の闇へ消えていく。
俺はハンダゴテを置き、テーブル越しに美咲の頬を両手で引っ張った。
「ふぎゃっ! みなと、いたい、いたい!」
「お前は本当に反省って言葉を知らねえゴリラだな!」
ひとしきり騒いだ後、美咲は「あー、スッキリした!」と伸びをした。
「やば!そろそろ日が暮れるじゃん!私、今日はお母さんにお使い頼まれてるから帰るね。玲奈先輩によろしく!」
美咲は空になったカバンをひょいと肩に掛け、階段を駆け下りていった。
カランコロン、と工務店の引き戸の音が鳴る。
再び、扇風機の音だけが残された。
それから、ほんの五分ほどが過ぎた頃だった。
階段を上る控えめな足音が聞こえ、一ノ瀬さんが顔を出した。額にはうっすらと汗が滲み、肩で息をしている。
「ごめん、遅くなっちゃった。……あれ、美咲ちゃんは?」
「ついさっき帰りましたよ。入れ違いになりませんでした?」
一ノ瀬さんは、きょとんとした顔で首を傾げた。
「ううん、誰ともすれ違わなかったけど」
俺の指先が、ピタリと止まった。
一本道だ。裏道にでも逸れない限り、すれ違わないはずがない。美咲がわざわざ遠回りをして帰る理由もない。それに帰ったのだってついさっきだ。
俺は無言で携帯電話を取り出し、美咲の番号に発信した。
コール音が鳴り続ける。美咲は、着信があればすぐに出るタイプの人間だ。
だが、何度鳴らしても電話には出なかった。
「……葛城くん」
一ノ瀬さんが、震える声で俺を呼んだ。
彼女の手には、スーパーのビニール袋と一緒に、泥のついた『片方だけのサンダル』が握られていた。
「そういえばこれ……工務店の前の、道端に落ちてたの。美咲ちゃんの靴、よね?」
白地にひまわりの飾りがついたサンダル。
間違いなく、さっきまで美咲が履いていたものだ。
俺は携帯電話をポケットにねじ込み、作業台を飛び越えた。
一ノ瀬さんも何も言わず、サンダルを握りしめたまま俺の後に続いた。
茜色の太陽が照りつけるアスファルトを、二人で全力で駆け抜ける。
北条家は、両親が共働きでこの時間は誰もいないはずだ。
家の前に美咲の姿はなかった。
玄関のドアが、半分開いている。
俺は一ノ瀬さんを背後に庇いながら、ゆっくりとドアに手をかけ、押し開けた。
家の中は、不気味なほど静まり返っていた。
「……美咲?」
声を絞り出すが、返事はない。
靴の散乱した土間を上がり、リビング、そして二階の美咲の部屋へと足を踏み入れた。
部屋の中は、息を呑むような有様だった。
クローゼットの衣装ケースは全て引き出され、衣服が床中に散乱している。本棚の教科書やノートもぶちまけられ、ベッドのマットレスすら半分ずらされていた。
足の踏み場もないほど、部屋中が滅茶苦茶に荒らされている。
俺と一ノ瀬さんは、その惨状の前で言葉を失い、ただ立ち尽くした。
美咲の姿は、どこにもなかった。




