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ゴースト・ライセンス―その「殺人」は、被害者を救う―  作者: あおいろぱりお
第二章 Original Sin

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第十八話 青の設計図

 2004年、7月10日。

 運命の日まで、あと一ヶ月。

 県立北高校、放課後。


 窓の外では、アブラゼミが鼓膜を震わせるほど鳴いていた。

 湿気を帯びた生暖かい風が、教室のカーテンを大きく膨らませている。

 俺、葛城湊(17歳)は、眠い目をこすりながらドライバーを回していた。


「……ねえ湊、まだ直らないの?」


 前の席に逆向きに座り、机に頬杖をついた少女――北条美咲が言った。

 明るめの茶髪ボブが、扇風機の風に揺れている。

 袖をまくった腕は健康的で、白いシャツが夏の光を反射して眩しい。


「うるさいな。蝶番が歪んでるんだよ。無理やり蹴っ飛ばしたの誰だよ」


 俺は欠伸を噛み殺しながら、掃除用具入れの扉を調整した。

 俺は細身で背中も丸まり気味。

 取り柄と言えば、親父譲りの手先の器用さくらいしかない、地味な高校二年生だ。


「だってー、開かなかったんだもん」

「だからって蹴るなよ。お前、見た目に反してゴリラだよな」

「はあ? 湊こそ、見た目に反してお爺ちゃんみたい。もっとシャキッとしなよ」


 美咲がケラケラと笑う。

 その顔には、少女漫画から抜け出してきたような、くりっとした大きな瞳。

 その無垢で愛嬌たっぷりな瞳に見つめられると、どんなに文句があっても毒気が抜かれてしまう。

 俺は幼い頃から、この太陽みたいな幼馴染に振り回されっぱなしだ。


 カチャリ。

 扉がスムーズに閉まる。


「おっ、すげー! さすが湊! 魔法の手だね」

「……これくらい普通だろ」


 美咲が俺の手を覗き込んでくる。

 その大きな瞳に、俺のマヌケな顔が映り込んでいる。

 距離が近い。シーブリーズの匂いがした。

 俺は前髪の隙間から視線を逸らし、少し距離を取った。

 最近、こいつとの距離感がうまく掴めない。


「帰るぞ。今日は補習ないんだろ」

「うん! あ、そうだ。駅前の図書館寄っていい? 調べ物があるの」

「へえ、ゴリラも本を読むのか」

「うるさいなぁ!」


 俺たちはふざけ合いながら廊下を歩いた。

 世界は極彩色の青に満ちていて、この日常が永遠に続くと信じて疑わなかった。


----------×--------------------×--------------------×


 同日、午後5時00分。

 市立図書館、駐輪場。


 美咲を待つ間、俺は缶コーヒーを飲んでいた。

 すると、駐輪場の隅で、一人の女子高生が困り果てているのが見えた。


 黒髪のセミロング。毛先が内巻きに整えられ、上品な雰囲気が漂っている。

 制服は、県内でも有数の進学校「慶陽女子」のものだ。

 スカーフをきっちりと結び、背筋をピンと伸ばしているが、困惑で肩が強張っている。

 俺より一つ年上の、三年生だろうか。


 彼女は、チェーンの外れた自転車と格闘していた。

 白い指先が油で汚れているが、一向に直る気配がない。


「……あの、大丈夫ですか?」


 見かねて声をかけると、彼女はビクリと肩を震わせ、警戒心剥き出しの大きな瞳で俺を見た。


「な、何ですか。……ナンパなら通報します」

「……自意識過剰すぎません? チェーン、外れてるんでしょ」


 俺は呆れながら、彼女の前にしゃがみ込んだ。

 ギアが噛んでいる。無理にペダルを回したせいで絡まったようだ。

 俺はポケットからマルチツールを取り出し、手際よくチェーンを引っ張り出した。


「あ……」

「ペダル回してください」

「は、はい」


 カチャリ。

 チェーンがギアに噛み合い、滑らかな回転を取り戻した。所要時間30秒。


「すごい……」

 彼女が素っ頓狂な声を上げる。

「ありがとう。……あなた、整備士の方?」

「ただの高校生です。北高の葛城です」


 俺は油で汚れた手を振った。

 彼女は慌てて鞄からハンカチを取り出し、俺に差し出した。


「使って。……私、一ノ瀬玲奈です」


 それが、俺と彼女の最初の出会いだった。

 一ノ瀬玲奈(18歳)。

 整った顔立ちに、儚げな雰囲気。

 今の彼女からは想像もつかない、真面目すぎて今にも折れそうな優等生。


「葛城くん……だよね? どうしてそんなに器用なの?」

「どうしてって、壊れてるのを見るのが嫌なだけです。物の構造がわかれば、直し方もわかるんで」


 俺がそっけなく答えると、彼女は少し考え込むように視線を落とした。

 その瞳には、感謝以上の、奇妙な熱が宿っているように見えた。


「構造……。世の中も、自転車みたいに簡単に直せればいいのに」

「え?」

「ルールを守らない人。壊れたモラル。……そういうのも、工具でカチャッと直せたらいいのにって、いつも思うの」


 彼女は真剣そのものだった。

 美しい顔で、壮大な理想を語っている。

 俺は思わず口を滑らせた。


「いや、自転車すら直せてなかったじゃないですか」

「っ!?」


 一ノ瀬さんが顔を真っ赤にした。

 図星だったらしい。


「そ、それは……道具がなかったから!」

「道具があっても無理そうでし――」


「おーい、湊!」


 図書館の入り口から、美咲が手を振って駆け寄ってきた。

 美咲は俺と一ノ瀬さんを交互に見て、大きな瞳をさらに丸くしてニヤリと笑った。


「なになに湊、逆ナン? やるじゃん」

「違うわっ!」

 俺は即座に否定する。


 その時。

 

 キャアアアアッ!!


 商店街の方から、つんざくような悲鳴が聞こえた。


 俺たちは反射的に顔を見合わせる。

 美咲が俺の腕を掴み、一ノ瀬さんも慌てて後を追う。

 

 俺たちは一斉に走り出した。

 駐輪場を抜け、図書館の階段を駆け下り、商店街へと向かう。

 夕陽が赤く染まるアスファルトを、靴音が叩きつける。

 悲鳴が、次第に近づいてくる。


----------×--------------------×--------------------×


 同日、午後5時30分。

 駅前商店街。


 そこには『地獄』が広がっていた。


 人々が悲鳴を上げて逃げ惑う中、黒い影がナイフを振り回している。

 焦点の合わない目。血まみれの服。

 

 逃げ遅れた中年男性が背中を刺され、うめきながら倒れる。

 近くの店員がカウンターに隠れようとして、腕を斬りつけられる。


 血がアスファルトに飛び散り、赤い線を描く。

 逃げる人々がぶつかり合い、転ぶ者、踏みつけられる者。

 悲鳴が重なり、夕暮れの空気を切り裂く。


「美咲、一ノ瀬さん! こっち!」


 俺は二人の手を掴んで、路地へ逃げ込もうとした。

 だが、美咲の足がピタリと止まる。


 彼女の瞳が恐怖で見開かれ、体が硬直する。

 握っていた俺の手が、震えながら力を失っていく。


「美咲……!」


 男がこちらに気づいた。

 血のついたナイフを握り直し、ゆっくりと近づいてくる。

 逃げ惑う人々の間を縫うように、俺たちに向かって歩を進める。

 ナイフの刃が、夕陽に赤く反射する。


 美咲の足が、動かない。

 恐怖で体が凍りついたように、微動だにしない。

 俺は彼女の腕を強く引っ張った。


「逃げないと!美咲!」


 美咲はハッとして、ようやく動き出す。

 だが、遅い。

 男のナイフが振り下ろされる。


 俺はとっさに美咲を突き飛ばした。

 だが、自分の逃げ場がない。

 目の前に迫る銀色の刃。

 身体が動かない。怖い。死ぬ。


 その瞬間。


 ドゴォッ!!


 鈍い音が響き、目の前の男が真横に吹き飛んだ。

 男はゴミ袋のように地面に転がり、ナイフを取り落とした。


「……ガキが。ボサッとしてんじゃねえ」


 そこに立っていたのは、くたびれたスーツを着た中年の男だった。

 白髪混じりの短髪に、無精髭。

 ヨレヨレのスーツから覗く体躯は岩のようにゴツく、咥えタバコの煙を吐き出している。

 その背中からは、猛獣のような殺気が立ち上っていた。


「あ……」

 俺は腰が抜けて動けなかった。一ノ瀬さんも震えながら立ち尽くしている。


 男は吸殻を靴底で踏み消し、気絶している通り魔の腕を無造作にひねり上げた。


「おい、所轄! ゴミ拾っとけ!」


 男が怒鳴ると、警官たちが慌てて駆け寄ってくる。

 男は俺たちの方を振り返った。

 鋭い三白眼。だが、その奥には奇妙な温かさがあった。


「怪我はねえか、坊主、お嬢ちゃんたち」

「あ、阿久津刑事!」


 一ノ瀬さんが声を上げた。知り合いらしい。

 阿久津と呼ばれた男は、一ノ瀬さんを見てニヤリと笑った。


「よう、未来のキャリア官僚サマ。……また万引きGメンごっこか?」

「違います! たまたま居合わせたんです!」

「へえ。……で、そっちの坊主と彼女は?」


 阿久津の鋭い視線が、俺と、俺にしがみついている美咲に向けられた。

 俺は慌てて美咲を引き剥がした。


「た、ただの友達です」

「ふうん」


 阿久津は面白そうに俺たちを眺めた後、ふと真剣な顔になった。


「いいか、お前ら。最近、この街は物騒だ。……特に夜は出歩くな」

「どうしてですか?」

 一ノ瀬さんが尋ねる。


「『吸血鬼』が出るからだよ」


 阿久津の声のトーンが下がった。

 吸血鬼。

 その単語が出た瞬間、夏の夕暮れが急に冷え込んだ気がした。


「血の匂いに惹かれて現れる、イカれた野郎だ。……俺が狩るが、お前らは関わるな」


 阿久津はそう言い残し、背を向けて歩き出した。

 その背中は大きく、頼もしかった。


 俺たちはその場に立ち尽くしていた。

 助かったという安堵と、得体の知れない不安。

 一ノ瀬さんが、ボソリと呟いた。


「……私も、いつか」


 その横顔には、憧れの色が浮かんでいた。

 そして俺の手には、まだ彼女の自転車の油がついている。

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