表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゴースト・ライセンス―その「殺人」は、被害者を救う―  作者: あおいろぱりお


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/5

第一話 殺人現場の作り方

 2014年、8月13日。

 平成という時代がゆっくりと黄昏に向かうこの夏、世間が死者を迎えるお盆の夜に、俺は一人の生者を「葬る」準備をしていた。


 深夜二時。

 カーテンの閉め切られたアパートの一室で、俺は女の細い腕に注射針を刺していた。


「……痛いですか?」

「い、いえ。大丈夫です」


 俺はシリンジをゆっくりと引き、暗赤色の液体を吸い上げていく。

 200cc。献血一回分にも満たない量だ。

 だが、現場に残す「名刺」としてはこれで十分だ。


 今回の依頼人は、この部屋に住む24歳の女性。

 元上司からの執拗なストーカー被害に遭っていた。

 警察には何度も相談したらしい。だが、警察は「実害が出るまで動けない」の一点張り。

 実害。つまり、「刺されるか、殺されるか」するまで、彼らは動かないということだ。


 そして昨日、ついに男から『今夜、殺しに行く』というメールが届いた。

 だから、俺が依頼を受けた。

 実害がないなら、作ってやればいい。

 それも、男が二度と手出しできないほどの、決定的な「死」という実害を。


「……よし、取れましたよ」


 俺、葛城(かつらぎ)(みなと)は、抜き取ったばかりの彼女の血液を、足元のタンクへと注いだ。

 そこにはすでに、大量の赤い液体が波打っている。


 それは、医療廃棄物処理場の裏ルートから横流しさせた「期限切れの輸血パック」の中身だ。

 もちろん、血液型は彼女と同じA型に合わせてある。


 動物の血や絵の具なんて使わない。科捜研をナメたらいけない。

 大量の「人間の血」をベースにしつつ、最後に本人の「新鮮な血液」をトップコートとして上塗りする。

 こうすることで、現場に漂う「生臭さ」と、初期捜査で採取されるDNA情報をカモフラージュするのだ。


 今の科学捜査技術でも、この混合血液の違和感を見抜くには、最低でも数日はかかる。

 その数日が、俺たちの勝機だ。


「さて、始めますか」


 俺は、リフォーム業で使っている「加圧式噴霧器(スプレー)」のノズルを握った。

 本来は害虫駆除や消毒液の散布に使うものだが、ノズルを改造してある。


 ターゲットは、玄関からリビングへ続く廊下の壁。

 俺はレバーを握り、リズミカルに指に力を込めた。


 プシュッ、プシュッ、プシュッ。


 一定の間隔で、赤黒い飛沫が壁に叩きつけられる。

 心臓の収縮に合わせて、動脈から血が噴き出したような「脈動」のある飛沫痕だ。


 高さ150センチ。頸動脈が切断された位置。

 俺は冷徹に、死に至るプロセスを壁に描いていく。


 次に、俺は自身の靴裏に血をつけ、床に擦れるような足跡をつけた。

 リビングの中央にあるローテーブルを蹴り倒す。上の飲みかけのマグカップが割れ、破片が散らばる。


 そこへ、さらに血を撒く。

 今度は、低い位置から高い位置へ。

 倒れた被害者が、必死に抵抗して暴れた痕跡を演出する。


 仕上げに、俺は血だまりの上に大きなラグマットを被せ、それを玄関までズリズリと引きずった。

 床に残る、幅広の血の筋。

 「死体を運び出した痕跡(ドラッグ・マーク)」だ。

 これで、死体がないことへの説明がつく。


 俺は計算して血を撒く。

 人間一人の全身の血液量は、体重の約8%。致死出血量はその3分の1。

 約1.5リットル。

 この部屋に、それだけの量をぶちまければ、警察は認めざるを得ない。

 「医学的に、被害者の生存は不可能である」と。


 死体がなくても、出血量が死を証明する。

 それが、完全な「偽装殺人」のトリックだ。


 俺は道具を片付けながら、ふと、十年前の光景を思い出していた。


 ――2004年のあの日も、こんな蒸し暑い夜だった。

 俺の幼馴染だった少女は、ストーカー被害を警察に訴えていた。

 接近禁止命令も出ていた。法的には完璧に守られていたはずだった。


 だが、紙切れ一枚の命令書なんて、狂った暴力の前では何の意味もなかった。

 俺たちが駆けつけた時、彼女はもう、冷たくなっていた。

 現場検証をする警察官が言った言葉を、俺は一生忘れない。


『もう少し早く、決定的な証拠があれば逮捕できたんだが……』


 死ぬことが、唯一の「決定的な証拠」だったなんて、そんな馬鹿げた話があるか。


 俺はその日、誓ったのだ。

 法で守れないなら、俺がルールを書き換える。

 被害者が殺される前に、「被害者という存在」を殺して隠してしまえばいい。

 社会的に「死者」になれば、誰も死者を殺すことはできないのだから。


「……終わりましたよ」


 俺は淡々と告げ、アパートを出て軽トラに乗り込んだ。

 助手席には、震える依頼人の女性が座っていた。

 彼女は、俺の服についた返り血を見て、ヒッと息を呑んだ。


「ほ、本当に、これで……あの男は諦めるでしょうか」

「諦めますよ。彼はあなたを『自分のモノ』にしたかった。でも、あなたはもう『死者』だ。死体を所有することはできないし、警察が彼を重要参考人として徹底的にマークします。彼にあなたを探す余裕なんてなくなりますよ」


 彼女は涙を流した。

 それは恐怖の涙か、それとも安堵の涙か。


「なんで……ここまでするんですか? あなたは犯罪者になってしまうのに」

「俺は、幽霊ゴーストですから」


 俺は自嘲気味に笑った。

 俺の人生は、十年前のあの日から止まったままだ。彼女たちを救うことでしか、俺の時間は動かない。


「ありがとうございます……っ」


 彼女は深々と頭を下げた。

 俺は何も答えず、アクセルを踏んだ。

 彼女を港まで送り届けたら、俺はただのリフォーム屋に戻る。


--------------------------------------------------------


 翌日。

 俺は自宅の事務所で、カップラーメンをすすりながら昼のニュースを見ていた。


『――速報です。昨夜未明、市内アパートの一室で、大量の血痕が発見される事件がありました。警察は、現場に残された血液量から被害者の生存は絶望的と判断し、殺人・死体遺棄事件として捜査本部を設置しました。部屋の住人の女性は行方不明となっており……』


 テレビ画面には、ブルーシートで覆われるアパートと、規制線の外で野次馬整理をする警察官たちの姿が映っている。

 大騒ぎだ。

 コメンテーターが「卑劣な犯行です」「一刻も早い逮捕を」と憤っている。


 俺は麺をすすり、鼻で笑った。


「大成功だな」


 これで彼女は自由だ。

 俺は世界中を敵に回し、警察の捜査リソースを無駄遣いさせ、世間を不安に陥れた。

 紛れもない大悪党だ。

 だが、一人の女性の命は救った。

 それでいい。


 その時。

 テレビの画面が切り替わり、現場で指揮を執る刑事の姿がアップになった。

 鋭い眼光。後ろで束ねた黒髪。

 スーツ姿の女性刑事。


 一ノ瀬(いちのせ) 玲奈(れな)

 県警捜査一課のエースであり、俺の店の常連客だ。


 彼女は、カメラのマイクが拾うか拾わないかの小さな声で、現場の鑑識官にこう呟いていた。


『……おかしいわね』


 俺の手が止まる。


『血の量が多すぎる。まるで、私たちに見せつけるためのショーみたい』


 俺は背筋が冷たくなるのを感じた。

 彼女の勘は鋭い。

 野生動物のような嗅覚で、俺が作った「完璧な舞台」の違和感を嗅ぎ取っている。


 画面の中の玲奈が、ふとカメラの方を向いた気がした。

 レンズ越しに、俺と目が合う。


『犯人は、殺しを楽しんでいる異常者よ。絶対に許さない』


 彼女の瞳には、燃えるような正義感と、深い憎悪が宿っていた。

 俺はリモコンを手に取り、テレビを消した。


 黒くなった画面に、俺の顔が映っている。

 ひどく疲れた、犯罪者の顔だ。


「……お手柔らかに頼みますよ、刑事さん」


 俺の「逃走劇」は、この日始まった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ