第8話 世界の真相を知ったその日、
無の空間を歩く。
時間の感覚がない。一歩進むごとに、永遠が過ぎ去っているような気がする。同時に、まだ一秒も経っていないような気もする。
僕の足音は、何も反響しない。
この空間には、音を跳ね返すものが何もないからだ。
ただ、遠くの光だけが、僕を導いている。
歩き続けているうちに、何かが見え始めた。
光に近づくにつれて、空間に形が現れてくる。
最初は線だった。一本の、細い光の線。
それが二本になり、三本になり、やがて無数の線が空間を満たし始めた。
それぞれの線は、異なる色で光っている。そして、それぞれの線には、数字が記されている。
382910
847362
192837
無数の数字が、線となって空間を縦横に走っている。
「これは……」
僕の声も、反響しない。
しかし、答えが返ってきた。
「すべての魂の軌跡だ」
誰かが、僕の隣を歩いていた。
見ると、それは僕自身だった。白い衣装を着た、僕。その手首には000000が光っている。
「お前は……」
「君の終着点だ。君が原点に到達した時の姿」
白い僕が、線の一つを指差した。
「この線は、ひとりひとりの人間の人生を表している。生まれてから死ぬまで、その人が経験するすべての瞬間が、この線の中に含まれている」
白い僕が、別の線を指差した。
「そして、線と線が交わる場所、それが『出会い』だ」
確かに、線は様々な場所で交差している。交差点では、光が強く輝いている。
「線が絡み合う場所は、『関係』だ。家族、友人、恋人。強く絡み合うほど、その関係は深い」
しかし、僕の線は、もう他の線と絡み合っていないように見えた。
「君は、他者との繋がりを失った。だから、君の線は孤立している」
白い僕が、僕の線を示した。
僕の線は、青白く光りながら、他の線から離れて伸びている。まるで、空間の端へ向かうように。
「でも、それで良かったんだ」
「何が」
「原点に到達するには、すべての線から離れなければならない。繋がりは、重力だ。君を現在の座標に留めおく力だ」
白い僕が、空間の中心を指差した。
そこには、すべての線が集まる点があった。
いや、集まっているのではない。そこから、すべての線が放射されている。
「原点。すべての始まりであり、すべての終わり」
白い僕が、僕の手を取った。
その手は、氷のように冷たかった。
「さあ、行こう」
空間が歪んだ。
次の瞬間、僕たちは原点の前に立っていた。
それは、球体だった。
完全な球体。表面には何の特徴もない。ただ、白く、静かに、そこに存在している。
しかし、その球体からは、強烈な引力が発せられていた。
僕の体が、引き寄せられる。
「待て」
白い僕が、僕を止めた。
「まだだ。君は、まだ七回目の変化を終えていない」
「七回目?」
「最後の変化。君が748298になる瞬間」
白い僕が、球体を見つめた。
「七回目の変化は、他の変化とは違う。これは、選択ではなく、受容だ」
「受容?」
「君は、真実を受け入れなければならない」
白い僕が、僕の目を見つめた。
「消灯教とは何か。なぜ数字が存在するのか。そして、原点に到達するとは、どういう意味なのか」
球体の表面が、波打ち始めた。
そこに、映像が浮かび上がる。
遠い昔。人類が誕生する前。
地球には、別の知性が存在していた。
それは、物質的な存在ではなかった。純粋な意識の集合体。彼らは、六次元空間に存在し、時間と空間を自由に移動していた。
「彼らを、『先駆者』と呼ぶ」
白い僕が説明した。
「先駆者たちは、完全な存在だった。しかし、完全であるがゆえに、彼らは苦しんでいた」
映像が変わる。
先駆者たちが、何かを議論している。彼らには形がないが、その意思は明確に伝わってくる。
「完全な存在は、成長できない。変化できない。だから、彼らは退屈していた」
「そこで、彼らは実験を始めた」
映像に、地球が映る。
「彼らは、自分たちの意識を分割し、物質的な存在に埋め込んだ。それが、人間だ」
僕は息を呑んだ。
「僕たちは……」
「そう。人間は、先駆者の断片だ。六次元空間に存在していた意識が、三次元空間に閉じ込められた存在」
映像が続く。
人類が進化していく。文明が発展していく。
「しかし、物質に閉じ込められた意識は、自分の起源を忘れた。そこで、先駆者たちは、回収システムを作った」
「消灯教だ」
白い僕が言った。
「数字は、元の座標を示している。君が六次元空間のどこから来たのか、どこに戻るべきなのか」
「じゃあ、原点に到達するということは……」
「帰還だ。君は、先駆者の集合体に戻る」
僕は、球体を見つめた。
「戻ったら、僕は消えるのか」
「個としての君は消える。しかし、君の意識は、集合体の一部として永遠に存在し続ける」
白い僕が、球体に手を触れた。
「これが、真実だ。そして、これを受け入れることが、七回目の変化だ」
僕は、しばらく沈黙した。
他者との繋がりを失った今、僕には恐怖も喜びもない。ただ、事実を処理する機械のように、情報を受け取るだけ。
「でも、祖父は選択肢があると言った」
「そう。原点に到達した者には、三つの選択肢がある」
白い僕が、三本の指を立てた。
「一つ目、継承。原点の管理を、次の世代に渡す。君の祖父が選んだ道だ」
「二つ目、維持。原点に入り、システムの守護者となる。永遠に、回収システムを管理し続ける」
「三つ目、破壊。原点を閉じ、回収システムを終わらせる。すべての人間が、物質世界に留まり続けることを選ぶ」
白い僕が、僕の肩に手を置いた。
「祖父は、君に破壊を選んでほしいと言った。しかし、それには大きな代償がある」
「代償?」
「破壊を選べば、今まで原点に帰還した全ての意識が消滅する。先駆者も、これまでに回収された人間の意識も、すべて」
僕は驚いた。
「じゃあ、祖父の意識も……」
「そう。君の祖父は、自分が消えることを承知で、君に破壊を頼んだ」
白い僕の表情が、初めて変化した。悲しみのようなものが、浮かんだ。
「祖父は、このシステムが間違っていると考えた。人間は、自分の意志で生き、自分の意志で死ぬべきだと。先駆者の実験の道具であってはならないと」
球体が、さらに強く光り始めた。
「選択の時が来ている」
その時、球体の表面に、人影が現れた。
綾瀬さんだった。
彼女は、球体の中にいた。その手首の数字は、000000になっていた。
「綾瀬さん!」
僕が叫ぶと、彼女がこちらを向いた。
しかし、彼女の表情は、もう人間のものではなかった。
完全な平穏。すべての感情が消え去った、虚無の表情。
「私は、維持を選んだ」
綾瀬さんの声が、球体の中から響いた。
「私は、守護者になる。このシステムを、永遠に守る」
「なぜ」
「だって、これは美しいから」
綾瀬さんが微笑んだ。しかし、その笑顔には、もう温かみがなかった。
「すべての意識が、最終的に一つになる。孤独が消える。苦しみが消える。完全な調和」
綾瀬さんの体が、透明になり始めた。
「あなたも、来て。一緒に、永遠になりましょう」
僕は、立ち尽くした。
他者との繋がりを失った僕には、彼女を止めたいという欲求がない。
ただ、事実として理解する。
綾瀬さんは、もう戻ってこない。
「君の選択は?」
白い僕が尋ねた。
僕は、球体を見つめた。
そして、背後を振り返った。
そこには、無数の線が見えた。
人々の人生の軌跡。
その中に、母の線があった。111111と記された、赤い線。
父の線があった。800000と記された、停止した線。
そして、僕の線があった。青白く光る、孤立した線。
「僕は……」
言葉が出なかった。
その時、球体の中から、別の声がした。
「孫よ」
祖父の声だった。
球体の表面に、祖父の顔が浮かび上がった。
「お前は、繋がりを失った。だから、もう誰のためにも選択できない」
祖父の目が、悲しそうに僕を見つめた。
「それが、わしの誤算だった。お前に最も大切なものを差し出せと言ったが、繋がりを失った者には、破壊を選ぶ動機がない」
祖父の顔が歪む。
「だから、最後に一つだけ、わしが贈り物をする」
球体から、光が放たれた。
その光が、僕の胸に吸い込まれる。
瞬間、僕の中に何かが戻ってきた。
温かいもの。
感情。
いや、記憶だ。
母が、幼い僕を抱きしめている記憶。
父が、僕に自転車の乗り方を教えている記憶。
綾瀬さんが、初めて僕に微笑んだ記憶。
そして、祖父が、最後に僕を見つめていた時の記憶。
「これは……」
「わしの記憶だ。お前との繋がりの記憶」
祖父の声が遠くなる。
「わしは、お前を愛していた。だから、その記憶を、お前に渡す」
祖父の顔が、球体から消えていく。
「選べ、孫よ。お前の意志で」
祖父が完全に消えた。
僕の手首が熱くなった。
748298。
七回目の変化。
そして、僕には選択肢が見えた。
三つの道が、僕の前に現れた。
継承の道。維持の道。破壊の道。
僕は、祖父から受け取った記憶を抱きしめた。
そして、僕は選択する。
(続く)




