第7話 彼女と再会したその日、
光の渦に飲み込まれた瞬間、僕の体は無数の断片に分解された。
痛みはない。ただ、自分が散らばっていく感覚。指が、腕が、足が、胴体が、それぞれ別の方向へ引き裂かれていく。
しかし、意識だけは繋がっていた。
無数の断片になった僕の、すべての部分が、それぞれ異なる光景を見ている。
ある断片は、教室にいた。そこでは、若い頃の父が授業を受けている。
別の断片は、病院にいた。母が、僕を産む瞬間。
さらに別の断片は、祖父の書斎にいた。祖父が、黒い石を前に何かを呟いている。
これが、交差点。
時間と空間が交差する場所。すべての瞬間が、同時に存在している場所。
「見つけた」
声がした。
断片の一つが、ある光景を捉えた。
白い廊下。その廊下を、誰かが歩いている。
綾瀬さんだった。
彼女の目は白く濁っている。視覚を失った目。しかし、彼女は迷うことなく歩いている。まるで、別の方法で世界を見ているかのように。
僕の断片が、彼女に引き寄せられていく。
他の断片も、次々と彼女の方向へ集まっていく。そして、再び一つになる。
僕は、白い廊下に立っていた。
「綾瀬さん」
彼女が立ち止まった。
ゆっくりと振り向く。白濁した瞳が、僕の方を向く。
「来たんだ」
彼女の声は、穏やかだった。
「どうして分かるの。目が見えないのに」
「見えるわ。あなたの数字が。すべての人の数字が、今の私には見える」
綾瀬さんが、僕の手首を指差した。
「748296。五回変化したのね。早い」
「君は?」
綾瀬さんが、自分の手首を見せた。
000001。
「まだ一つだけ残ってる。でも、もうすぐ消える」
彼女の声には、不思議な安らぎがあった。
「怖くないの?」
「怖い。でも、同時に楽しみでもある」
綾瀬さんが歩き出した。僕は彼女の隣を歩いた。
廊下は、どこまでも続いている。壁には、様々な扉が並んでいる。それぞれの扉には、六桁の数字が記されている。
「これらの扉は?」
「それぞれの座標へ繋がる扉。この数字の扉を開ければ、その座標にいる人の場所へ行ける」
綾瀬さんが、ある扉の前で立ち止まった。
111111
「お母さんの座標だ」
僕が手を伸ばすと、綾瀬さんが止めた。
「今は開けない方がいい。お母さんは、重要な選択の最中よ」
「どんな選択?」
「あなたを救うか、システムを守るか」
僕は息を呑んだ。
「お母さんが、システムを?」
「111111という数字は、記憶の始まり。すべての始点。その数字を持つ者は、消灯教の根幹に関わっている」
綾瀬さんが歩き続ける。
「あなたのお母さんは、かつて消灯教の『守護者』の一人だった。システムを維持する役割を持っていた」
「守護者?」
「管理者、導き手、記録者、そして守護者。消灯教の四つ目の柱」
綾瀬さんが数えた。
「守護者は、システムが暴走しないように監視する。でも、あなたが生まれたとき、お母さんは役割を捨てた。あなたを守るために」
「それで、数字が変化したのか」
「そう。でも、今、システムは彼女に戻ってくるよう求めている。なぜなら、終わりの時が近いから」
綾瀬さんが立ち止まった。
廊下の先に、巨大な扉があった。
他の扉とは違う。これは、何かの境界を示しているように見えた。
「ここが、交差点の中心」
綾瀬さんが言った。
「この扉の向こうには、すべての座標が重なり合う場所がある。そこでは、過去も未来も、可能性も現実も、区別がなくなる」
「そこに、原点があるの?」
「いいえ。原点は、もっと深い場所にある。でも、この扉を通らないと、原点には到達できない」
綾瀬さんが扉に手を置いた。
「私は、ここで待つ。最後の変化を待つ」
「一緒に行こう」
僕が彼女の手を取ろうとすると、彼女は首を振った。
「あなたと私は、違う道を歩まなければならない。あなたは、あなたの方法で原点を目指す。私は、私の方法で」
「でも……」
「大丈夫。私たちは、最後には同じ場所で会える。原点で」
綾瀬さんが微笑んだ。その笑顔は、もう恐怖を含んでいなかった。
「あなたに、伝えたいことがある」
彼女が僕の手を取った。
「数字は、呪いじゃない。それは、可能性よ」
彼女の手が温かい。
「私は、最初、数字を恐れていた。でも、変化を重ねるうちに理解した。私たちは選ばれたんじゃなくて、選んだんだって」
「選んだ?」
「生まれる前に。私たちの魂は、この体験を望んだ。数字を持つことを、変化することを、原点を目指すことを」
綾瀬さんの手首が光り始めた。
000001が明滅する。
「来る。最後の変化が」
彼女の体が、光に包まれていく。
「綾瀬さん!」
「ありがとう。あなたと出会えてよかった」
彼女の姿が透明になっていく。
「原点で、また会いましょう」
綾瀬さんが消えた。
いや、消えたのではない。彼女は、扉の向こう側に移動したのだ。
僕は、扉を見つめた。
手を伸ばす。しかし、扉は開かない。
「まだだ」
声がした。
振り向くと、祖父が立っていた。
しかし、祖父は実体を持っていないようだった。半透明で、輪郭が揺らいでいる。
「おじいちゃん」
「お前は、まだ準備ができていない」
祖父が近づいてきた。
「原点に到達するには、あと二回の変化が必要だ。そして、その二回は、最も過酷なものになる」
「過酷?」
「六回目の変化では、お前は最も大切なものを選ばなければならない。失うものを、自分で選ぶんだ」
祖父の表情が曇る。
「わしは、六回目で嗅覚を選んだ。それが最も価値が低いと思ったからだ。だが、それは間違いだった」
「なぜ?」
「価値の低いものを差し出すということは、原点への覚悟が足りないということだ。だから、わしは七回目、八回目と、より多くのものを失い続けた」
祖父が、僕の肩に手を置いた。
その手は、実体がないのに、確かな重みがあった。
「お前は、わしの過ちを繰り返すな。六回目で、最も大切なものを差し出せ」
「最も大切なもの……」
僕の脳裏に、様々なものが浮かんだ。
視覚、聴覚、記憶。
そして、人との繋がり。
「選択の時は、すぐに来る」
祖父が言った。
「お前の数字は、加速している。通常なら数ヶ月かかる変化を、お前は数日で経験している」
「なぜ?」
「お前がイレギュラーだからだ。そして、システムが終焉を迎えているから」
祖父の姿が薄れ始めた。
「一つだけ、覚えておけ」
「何を?」
「原点に到達したとき、お前は三つの選択肢を与えられる」
祖父が、三本の指を立てた。
「一つ目は、継承。わしが選んだ道だ。原点の責任を、次の世代に渡す」
「二つ目は、維持。原点に留まり、システムを永遠に守り続ける」
「三つ目は、破壊。システムそのものを終わらせる」
祖父の目が、鋭く光った。
「わしは、お前に三つ目を選んでほしい」
「システムを破壊する?」
「そうだ。消灯教は、もう終わらせるべきだ。これ以上、人々を苦しめるべきじゃない」
祖父の姿が、ほとんど見えなくなった。
「でも、破壊を選ぶということは……」
祖父の声が遠くなる。
「お前自身も、消えるということだ」
その言葉を残して、祖父は完全に消えた。
僕は、一人廊下に立っていた。
自分の手首を見る。
748296。
あと二回。
二回の変化で、僕は原点に到達する。
そして、選択をしなければならない。
廊下の扉が、一つ開いた。
748297と記された扉。
次の座標への扉。
僕は、深呼吸をした。
そして、扉を開けた。
その向こうには、僕の部屋があった。
いや、正確には僕の部屋に似た空間。すべてが白黒で、色がない。
部屋の中央に、鏡が置いてあった。
その鏡の中に、僕が映っている。
しかし、鏡の中の僕は、笑っていた。
僕が笑っていないのに、鏡の中の僕は笑っている。
「ようこそ、六回目の変化へ」
鏡の中の僕が話しかけてきた。
「ここで、君は最も大切なものを選ぶ。そして、それを失う」
鏡の表面に、文字が浮かび上がった。
【視覚】
【聴覚】
【触覚】
【記憶】
【感情】
【他者との繋がり】
六つの選択肢。
「一つを選べ。そして、それと永遠に別れるんだ」
鏡の中の僕が言った。
「ただし、選んだものによって、原点への道は変わる。賢く選べ」
僕は、それぞれの選択肢を見つめた。
祖父の言葉を思い出す。
「最も大切なものを差し出せ」
僕にとって、最も大切なものは何か。
視覚。 世界を見る能力。
聴覚。 音楽を聴く能力。声を聞く能力。
記憶。 過去を保持する能力。
感情。 喜びや悲しみを感じる能力。
他者との繋がり。 人を愛する能力。
僕は、手を伸ばした。
そして、一つを選んだ。
他者との繋がり
その瞬間、鏡が割れた。
無数の破片が、僕に降り注ぐ。
しかし、破片は僕を傷つけなかった。代わりに、僕の中に吸い込まれていった。
そして、僕は感じた。
何かが、僕の心から抜け落ちていくのを。
母の顔を思い浮かべる。でも、何も感じない。
父の顔を思い浮かべる。何も感じない。
綾瀬さんを思い浮かべる。
何も。
人への愛情が、消えていく。
友情も、家族への情も、すべて。
僕は、完全に孤独になった。
そして、その孤独の中で、僕の手首の数字が変化した。
748297。
六回目の変化。
部屋が消え、僕は再び交差点の廊下にいた。
しかし、今度は廊下が違って見えた。
すべての扉が、ただの障害物に見える。
人との繋がりを失った僕には、もう誰に会いたいという欲求もない。
ただ、原点へ向かう。
それだけが、僕の目的。
巨大な扉が、今度は開いた。
中へ入る。
そこは、無の空間だった。
何もない。
ただ、一つの光だけが、遠くに見えた。
原点。
僕は、その光に向かって歩き出した。
(続く)




