新時代ジェンダー論
この話はトランスジェンダーについて無知な人間が偏見交じりで書いたものです。
不快に思う方もいるかもしれませんのでもし、苦手な人はブラウザバックしてください。
皆さんはトランスジェンダーについてどう思うだろうか?
こんな話は恐らく、友達とすることはそうそうないだろう。
近年注目されている問題ではあるものの、正直実感がわかなかったり、自分には関係ない話だと思ってないだろうか。
こんなあからさまな「フリ」をしておいて申し訳ないが私はそう思う。
私は普通に心も体も男だし、身近にそう言う人が多い訳でもない。
これから述べる私なりのジェンダー論は極めて断片的な情報をもとに浅い経験と偏見交じりで述べていくものになる。
それでもよければぜひ読んでいってもらいたい。
では本題に入ろう。
まず、LGBTQ+なんてものがよく言われているが正直私はそれが嫌いだ。
LGBTまではわかるがその他ほとんどは意味が分からない。
例えばアセクシャルなんてのがある。
これは他者に対して性的欲求を抱くことが少ない、またはまったく抱くことがないセクシャリティを指すものだが、これは果たして性別なのだろうか。
私はどちらかと言えば「個性」に分類されると思う。
皆さんの周りにも彼氏、彼女、はいらないという人はいないだろうか。
それがアセクシャルに分類されて、自分とは違う性、と言われても納得できるだろうか。
それにこんなものに分類して何になるのだろうか。
ここで考えてほしい。
男勝りな女子、は一体何なのか。
当然、心も体も女だが、やることなすこと全てが男らしかったら、それはいったい何に分類されるのだろうか。
逆も然り。
かわいいもの好きの男子はどうなるのだろうか。
可愛いぬいぐるみを集めるのが趣味で男物ではあるものの可愛い服を着ている男子は当然、心も体も男だが、それは何に分類されるのか。
ではその上記2つが、女と男に分類されるとしよう。
次に、本当に心の性と体の性が逆転している人はどうだろうか。
体は女だが、心は男なので行動は男らしくなる。
逆に体は男だが、心は女だった場合、行動は女らしくなる。
そう、やっている行動は一緒なのだ。
そうなると、上記二人は本当に男と女に分類していいのだろうか。
もしかしたら、気づいてないだけでトランスジェンダーなのではないだろうか。
というようなことになる。
では、結局どうするべきなのか。
「個性」でかたづけてしまえばいいと思う。
さっきの例のようにどこまでいっても人は多様で完璧に分類するのは不可能だ。
ならいっそのこと、この人はこう、この人はこう、と言ったように個性でかたずければいいと思う。
体の性はどうにもならないのでそれはそのまま、それを心の性とイコールにするからダメなのであって
わざわざ分類なんかしなくてもいいと思う。
「実は私アセクシャルで」
なんて言っても訳が分からないが
「実は私、恋愛感情とかわからないんだよね」
と言えばその人はそういう人なんだな、で終わる。
話は変わるが、そもそも日本でトランスジェンダー差別というのはそう多くないと思う。
元からBLやGLに寛容で果てにはほかの生物や無生物までもが恋愛対象であり、それをよしとする文化がある。
そしてそれは今まで性がどうのこうのではなく、その人の「個性」ということで完結してきた。
同性愛を認めないキリスト圏とは違うのだ。
それも相まって日本でそこまでLGBTQ+を推進する理由は果たしてあるのだろうか。
まとめになるが、「分類なんてのは曖昧なんだから、男か女かだけ分けてあとは個性で全部終わらせる」というのが私が考えるトランスジェンダー論だ。
所詮は個性でかたづく。
あんまり深く考えてもしょうがないから楽しくいこうぜ。
トランスジェンダーの人がいたら、それはその時対処すればいい。
性別なんてのはその人を構成するほんの一部でしかないから、それがネックになる人間関係なんかやめちまえ!




