8.時代考証合ってる?これ
「タロウ、いるんですか?」
再びアサガオが訪ねてきたのは2日後のことであった。眠くなってしまうほどに穏やかな朝。具体的に何時かは分からないが、1週間も過ごしていれば大体の時間帯は分かるようになるものだ。
というか、来るのが想像以上に早くてびっくりした。この娘、暇なのかね。かくいう俺も相当暇な身ではあるのだが。
それにしても1週間ねぇ。
そう、1週間。俺がこの世界に来てから、それだけが経過していた。いまだにこの生活には慣れそうにない。その原因はいくつかある。体が動かないのもそうだが、それ以上に生活リズムが乱れまくりなのが深刻だ。
正直に言ってしまえば、体が動かない問題はもうそこまで深刻ではない。無問題というわけではないが、先日の無茶で魔力とやらの感覚をつかめたのがデカかったようだ。生前の身体感覚とは似ても似つかないものの、植物としての体の感覚がなんとなく分かるようになった。なってしまったのだ。
ともかく。今になってやっと植物の体で生活するのに甘んじたとはいえ、それの弊害が消え去るわけではない。
俺が人間だったころ当たり前に、意識すらしていなかった、食事や睡眠が損なわれてしまったのだ。
言われてみれば当たり前のことではあった。
先日蓄えた魔力とエネルギーのおかげか腹は減らん。そもそもこの体になってから飢えに悩まされたことはない。
それと、当然といえばなんだが、寝てるのか起きてるのかも分からん植物が睡眠を取ろうはずもない。厳密に言えば、夜になると全身の細胞が光合成をやめるが、俺の意識が暗転することはないのだ。体をめぐる魔力の流れが収まったと体感できる程度。閉じる目すらないので眠気などあろうはずがなかった。
食事もしなければ睡眠もしない。生活リズムの区切りとなるようなイベントは全て消え失せているこの状況。どこぞの錬金術師兄弟の弟もこんな気分だったのかな、なんて考えてみたり。あれに比べたら、まだ生きている実感のある分俺の方が恵まれてるか。
そんなことを考えているうちにアサガオは歩き出していた。放っておけば帰ってしまうだろう。危ないところだった。
帰ってしまうというのも、彼女は既に用事を済ませていた。例のお祈りである。だから、わざわざ俺を訪ねてきたというよりは、あくまでお祈りのついでに確認したつもりなのであろう。
ついで扱いなのに思うところがないでもないが、こだわることでもあるまい。
「ここにいるぞ」
そう返事してやると、アサガオは分かりやすく反応した。うわっ居た、じゃないんだよ。こちらとしては彼女と話すのを若干心待ちにしていただけに、少し悲しい気分になってしまう。
......そっちに俺はいないのだが、やはりアサガオは石碑の方を向いた。あくまで俺が”賢人様”だと信じ込みたいようなので、仕方ないのかもしれない。逆に彼女と対面しているユウはだんまりを貫いているので、さながら三人称視点で見ているようだ。
さて何を話そうか、なんて幸先悪く尻込みしている俺を差し置き、最初にアサガオは神妙な面持ちで口を開いた。
「それで、結局あなたは誰ですか?」
「結局も何も、君と別れてからは呆然としていただけで……」
「あれから数日たったのでもしかしたらと思いましたが、進展はなしと」
やはりというかなんというか、話題は俺についてになった。記憶喪失はあくまで設定だし、俺は俺。アイデンティティなんて今更確認するようなものじゃない。
俺があっさり否定すると、アサガオはこころなしか不満そうに見えた。
「なんか、あなたは賢人様ではないように思います。雰囲気だとか声色だとか」
「それは最初から否定しているだろう」
「でも……、でも何かしらの縁はあるのではないでしょうか。ここには賢人様が眠っていらっしゃいますし、記憶喪失のカギもきっとそこにあるはず」
彼女、流石に賢人に執着しすぎではないか。相当脳焼かれたんかね。罪深い人だこと。
とはいえ、彼女をがっかりさせて悪いが違うものは本当に違う。俺は俺だよ。
「それよりも色々と教えてくれないだろうか。この世界について、君について……それに賢人様とやらについても。私には知らないことが多すぎる。もしかしたら何か思い出せるかもしれない」
そもそも現地人たるアサガオとの交流の目的は情報収集であり、断じて曇らせではない。というわけで半ば話を遮るようにして提案させてもらった。なんかこの娘を騙しているように思えなくもないが、今更な話である。雰囲気からしてワンチャン断られる恐れもあったが、存外簡単に同意してくれたので杞憂に終わった。
どうやらアサガオは人にものを説明するのが好きなようで、それはそれは長尺で俺に講義してくださった。生前なら普通に飽きていたであろう。
彼女は一生懸命に俺に解説してくれたが、ほとんどの内容はユウの説明とかぶっていた。魔法が存在し、それによって文明を発達させた人間が幅を利かせるナーロッパ。あまりにテンプレだから分かりやすいわ。とはいえ、ユウの説明は正直雑だった部分もあり、それを補完するような内容もいくつか聞くことができた。特に人間の生活形態は特徴的であった。これまでは俺とユウしかこの空間におらず、人間に関わる話はどうしても不足していたので助かるわ。
ナーロッパよろしく、この世界にも数多くの農村が存在し、それを束ねる国もいくつか存在するようだ。アサガオも例にもれず、そんな数ある農村の1つに属する農家の娘とのこと。
これまで何度も擦られてきた中世ヨーロッパ的世界観だなぁ。
そう思っていた。
ところがアサガオの説明を聞いているうちに、どうやら俺の知っている農村とは様子が異なるようだと気づき始めた。
歴史的に考えると、人類はまず狩猟・採集生活を経てから農業へ至り、集落を作り、争奪戦を起こしては国として統合されていく。こういった具合で文明を発達させていくものだ。この世界でもおおむね同じルートをたどってきたようだが、集落形成以降の歴史がこっちの世界のものと大きく違ったのだ。なぜ違うか?
魔法があるからだ。
これまでの話から魔法が世界を、人間を支配していることは容易察せられたが、俺の想像以上にその影響力は絶大であるらしい。
魔法とは世界の法則を支配する超常の力。知性を得て野生から進化してきた人間の中でこの世界に適応できたのは魔法を上手に活用できた集団のみ。ほとんどの農村では魔法は農業や生活、果ては自己防衛にまで及んでおり、その土地の風俗を形作る重大な要因なのだとか。
逆に言ってしまえば、他の要素が多少おざなりでも魔法さえ活用できていれば集団としてやっていけてしまうということ。魔法は農村に平穏をもたらし、その平穏は農村の文化的水準を大きく上昇させた。
そのためかこの世界において個々の農村の民族的アイデンティティはとんでもなく強いらしい。先ほど触れた"国"という括りも堅いものでなく、文化交流を目的とした集落共同体と捉えるほうが適切だろう。なんと、重税に苦しんだり、戦役で離別の悲しみに喘いだりするプリミティブディストピアはこの世界に存在しないのだ。
話を聞いてる最中、コイツ農民なのに学がありすぎはしないかと思ったが、そういうわけだったらしい。ナーロッパを想定していたのに全然違う世界観だったので混乱しそうになる。これは中世ヨーロッパというより古代ギリシャなのかもしれない。古代なのか先進的文明なのかよく分からんが、これ以上は突っ込まないようにしよう。
アサガオが話し終えると、とりあえず小休止をとることにした。彼女は話し疲れているだろうし、俺も情報を整理する時間が欲しい。
そういえば彼女、ここに結構長いこといるが問題ないのだろうか。聞くと、少し間を置いてから農閑期、季節はあるのね、だから大丈夫だと返してきた。年頃の農家の娘だし色々やることがあるのかと思ったが、そうでもないのかね。前世の知識があんまり役に立たなさそうだ。とりあえず文化レベルは思っているより低くはなさそうだとだけ思っておこう。
「それで、この世界のことは色々わかったけども、君はどうなんだい」
「今更だけど、言う必要あります?」
「記憶を失う前の私は君と関係が深かった人物なのかもしれないのだろう?」
「さっき自分で否定していたじゃないですか」
「いいから、いいから」
渋々ながらアサガオは口を開く。
「私の住んでいる〇〇村は、この山の麓に位置しています。とても穏やかな場所で平和ですが、いかんせん前時代的と言うか......」
異世界人って前時代的とか言うんだ。と思ったらこれまた賢人が教えた表現らしい。この世界の文化が進んでるのか、異世界人たる賢人の入れ知恵なのかどっちかよく分からんわ。
「一介の農家に生まれた私はあまり不自由のない生活を送っていました。最低限の教育と衣食住は享受できましたし、それに母は新しいもの好きですから刺激にも事欠きません」
こういった具合でアサガオは身の上話をしてくれた。お気に入りの場所のことだとか、好きな学問とか、異世界人の俺にはさっぱりな内容であったが、一生懸命に話してくれた。
思えば、これほどまで長く女子と会話をしたのはいつぶりだろうか。アサガオほどおしゃべりな人は今まで会ったことがなかったかもしれない。気がつけば彼女昔話になっていて、今はちょうどアサガオと賢人の出会いの部分である。
「その時、あの方は私を勇気づけてくださって......」
よほど仲が良かったんだろうな。それにしても初対面の人によくそこまで話せるね。
「それだけではありません......」
先ほどとは打って変わって、喜色満面のアサガオ。
「あの時だって......」
思い出話は尽きない。
「一度喧嘩した時もありましたが......」
......。
「今でもお慕い申してるんです。ああ、
後ですね......」
いやおっさんの話の尺長すぎて草。
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