「勇者様。立ち上がり、世界をお救い下さい!」 → 返事がない。勇者は布団から出たくないようだ。
男主人公には、「奥村勇気」という名前を付けていたのですが……。
使う事はありませんでした。
「勇者様! ああ、やっと会えた!」
カーテンを引いた窓が明るくなってきた。
暁日の中、目の前に立っている女が俺に呼びかける。
「勇者様。今すぐ立ち上がり、世界をお救いください!」
「……」
いや、いやいやいや。
外、絶対に寒いよね?
俺は布団をかぶり直し、二度寝を決め込んだ。
〇●〇●〇
「勇者様! 寝ないでください! 起きてください!」
う~~っ!
見も知らぬ女が、布団の上から俺の身体を揺らす。
うるさいな。
誰だよ、君。
勝手に他人の家に入って来たら、ダメだろう!?
俺はうっすらと目を開けて、睡眠を妨害する女を見た。
明るい茶色の髪を肩まで伸ばした若い女だ。年は二十歳前後といったところだろう。
特に美人というわけではない。が、たれ目なので、ほんわかした雰囲気が漂う子だ。少しタイプ。
「……」
しかし、奇妙な姿をしている。
この寒い日に、薄手のワンピースって。
……いや、ワンピースってこんなデザインだったか? よく見れば、神話に出てくる神様みたいな服装をしている。白い一枚布をかぶり、縄で腰を緩く縛っていた。
俺は流行には疎いが、目の前の衣服が洗練されたファッションではない事だけはわかる。
「勇者様。話を聞いてください」
俺と目が合って、嬉しそうに女は笑う。
そのマシュマロみたいな柔らかい笑顔が、なんとも可愛らしい。
泥棒には見えない。
「実は私、この世界の人間ではありません」
だろうね。
この世界の若い女性はね、見知らぬ男の部屋に入らないから。
それでね、叩き起こさないから。
危ないからね。いろいろと。
「異世界の人間なのです。私はその世界で、秩序と平穏を祈る聖女を務めております」
「異世界」に「聖女」。
……知らない言葉じゃない。
同期の一人が読んでいる小説に、そんなワードがあった気がする。
「ところが、最近、魔の物達が勢力をつけてきたのです。魔の物達とは、おぞましい怪物の姿をしており、人々の「気力」や「希望」「向上心」を食べます。彼らに支配されたら、私の世界は終わりです! それを阻止するには、異世界に住む勇者様の力が必要なのです! 数多の異世界に飛び、やっとあなた様を見つけました! どうか、一緒に、私の世界へ来てください! そして、共に、魔の者達と戦ってください!」
「……」
聖女さんが頭を下げると、俺の目の前で彼女の髪が揺れた。
少しくせ毛なのか? 所々、はねている。
可愛い。
うん。
この子、俺のドストライクだわ。
「……」
これは寝ている場合じゃないな。
よし、俺も男だ。
好きな女の子の願いごとを聞いてあげなくてはっ!
俺は意気揚々と布団から起き上がった。
「勇者様!」
聖女さんが顔いっぱいに笑顔を浮かべる。
が。
「っ!」
俺はすぐに布団の中に戻った。
ひぃ~~!
外、めちゃくちゃ寒っ!!!
極寒じゃん!
いや、毎日、毎日、思い知らされているけどさ!
なんで、冬の朝ってこんなに寒いわけ!?
布一枚隔てて、天国と地獄の落差が激しすぎるだろう!
あまり人前で言えないけど、俺、冷え性なんだよ!
男のくせに、とか言うなよ!
辛いものは辛いんだ!!
「勇者様!」
聖女さんの顔から笑みが消え、絶望の色に染まる。
すいません。
無理です。
っていうか、なんで、君、そんな薄着で平気なの?
震えている俺の姿を見て、聖女さんは違う角度から説得を始めた。
「あの! 私の世界には「魔法」というのがありまして、その「魔法」の中に、「体温調整」という魔法があります! それは「目には見えない心地良い気温の膜が己の身体を覆う魔法」で、ある程度の寒さや暑さを凌げるのです! 今、私もその魔法を使っていまして、これくらいの寒さ平気なのです。勇者様もすぐに使えるようになりますよ!」
「……」
マジか。
いいな。それ。
俺が布団からチラッと聖女さんを覗き込むと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
畜生、可愛い。
「だから、私の世界に行きましょう! 勇者様!」
俺の腕を掴み、引っ張り出そうとする。
いや~!
やっぱり寒い~!
腕が凍る~!
ドストライクの女の子が「行こうよ」と誘っている(誘われているのは、戦いだが)のに、立ち上がれない己が情けない。
大体、この布団がいけないんだ。
この布団。実は「羽毛布団」なのだ!
昨年、死んだ婆ちゃんが俺の為に残してくれたもの。
「いつか好きな人が出来て、家庭を持つようになった時に使いなさい」
いい婆ちゃんだった。
俺の将来を考えて、羽毛布団二点とある程度の財産を残してくれた。
ごめんね、婆ちゃん。
俺、二十後半だけど、今まで彼女出来た事ないんだよ。
会社とアパートの往復だけで、毎日が過ぎていき、とても恋人なんて作る余裕がない。
結婚なんて夢のまた夢なんだ。
「勇者様、お願いです! このままでは、私はずっと冷たい食事を摂る事になってしまいます!」
「……?」
聖女さんの声を聞いて、俺は眉をしかめた。
冷たい食事?
「あの、恥ずかしい話。私の世界には、昔から聖女の力を疑う人達がいまして……。「聖女がいなくても、平穏が保たれるのではないか」と言っているのです。そんな時、魔の物の力が増強したものですから、「やはり聖女なんて意味がない」という声が強くなりました。それがちょうど、私が聖女に選ばれた時で……。聖女になってから、私は温かい食事を摂った事ないのです」
「……」
何だ、それ。
何だかよくわからないけど、聖女さんが可哀想だ。
「勇者様を連れてきて、魔の者達を追い払えば、聖女の立場も良くなります! だから、お願いです! 私と一緒に来てください。そして、世界をお救い下さい!」
じゃ、じゃあ、戦うしかないか。
俺は冷え性の身体に鞭打つ。
好きな女の子の為にやるぞ!
さらばだ! 羽毛布団!!
その時。
足元に何かが当たった。
あ。
昨夜使った、「湯たんぽ」だ。
まだ温かい。
「……」
俺はそのまま、布団の中にUターンした。
「勇者様!!」
聖女の絶叫がこだまする。
すいません。
全部、湯たんぽのせいです。
最近の湯たんぽって電気で温かくなるタイプがありまして。
あれ、性能いいんですよ。
朝まで温かいの。
こうなると、布団からなかなか解放させてくれない。
まさに、牢獄の鎖。
「お願いです! 私はあなたを連れていかなければなりません。いくら「体温調整」の魔法を使っているとはいえ、拭き掃除に川の水は冷たすぎるのです!」
え? 何?
聖女さんって、川の水で掃除しているの?
俺が目を何回も瞬きをするので、聖女は説明をしてくれた。
「聖女の生活は、税金で成り立っているので。「このご時世、ただでご飯を食べさせるわけにはいかない」と言われ、私が住む宮殿の掃除は私自身がしているのです。でも、お湯を使わせてくれなくて……。近くの川で水を汲んでいるのです」
太陽が少しずつ昇ってきたのか、部屋がだいぶ明るくなってきた。
そこで初めて気付いたが、聖女の手はだいぶ荒れていた。
所々、赤い発疹が出来ている。
しもやけだ。
「……」
むかつく。
異世界の住民なんか、見た事も聞いた事もないけど、すごい奴らに腹が立った。
ついに、俺は布団の上に立ち上がる。
「寒い」が何だ!!?
俺は戦う!
要は「聖女の力は本物だ! 聖女様万歳!」って状況にさせればいいんだろう!
「勇者様!」
聖女さんが期待に満ちた目で俺を見つめる。
よし! やってや……ん?
ふと、壁にかかっているカレンダーが目に入った。
あれ?
今日、もしかして……。
土曜日!?
お仕事、お休み!!?
「……」
俺は逆再生のごとく、布団の中に戻っていった。
「ゆ、勇者様!!」
聖女さんの絶望の声が聞こえる。
だって、だって、だって、
今日、休みだよ!
どんなに天気が良くても、どんなにやりたい事があったとしても、全てを無効化してしまう恐ろしい言葉。
それが「休み」。
この言葉の前では、脳内は「ダルい」「ねむい」「何もしたくない」で侵され、身体は全く動かなくなってしまう!
ああ、聖女さんを助けなくちゃいけないのに、「でも、今日、休みだし~」ともう一人の俺が囁きかけてくる!
「勇者様、どうしてもダメなのでしょうか!?」
いや。あのね。
俺も動きたいし、君を救いたい。
でも、どうしても、起き上がれない。
「嗚呼。私もフワフワの布団に包まれて眠りたい。いつも、冷たい地面にゴザを敷いて、寝ているものですから……」
目の前の女の子は、毎日冷たい食事を摂って、川の水で掃除していて。
で、夜はゴザで寝ていると。
俺は耐えきれなくて、ついに口を開いた。
「あのさ……」
「まあ、勇者様は話せるのですね!」
ずっと黙っていたので、おかしな誤解をされていたようだ。
すいません。俺は話せます。
話すタイミングが見つからなかっただけです。
俺は寒さに耐えながら、ゆっくり上体を起こした。そして、まっすぐに聖女を見つめる。
「そこまで君をないがしろにするような世界なら、君から世界を捨てたらどうだろう?」
「え」
聖女さんのたれ目が俺を凝視した。
わかっている。こんな事、俺が言う権利はない。
でも、話を聞いていると、どうも、その世界を俺は救いたいと思えなかった。
「選ぶのは君自身だけど。もし、君が良ければ……」
これから俺が提示する案は、突拍子もないものだ。
出会ったばかりの人に言う事でもない。
でも、一番いい方法だと思った。
彼女の赤く腫れた指を見て、俺は手を伸ばした。
「俺のところに来ないか?」
〇●〇●〇
数年後。
「勇者様。さあ、お立ち上がり下さい!」
朝だ。
ああ、今日も布団の外は寒いんだろうな。
冬だから仕方がないけど。
「会社に行く前に、朝ご飯ですからね」
目をうっすら開けると、明るい茶色の髪を持つエプロン姿の妻が立っていた。
相変わらず、はねている所がある。
可愛い。
「う~ん……。まだ眠い」
「遅刻しますよ」
「じゃあ、チュ~してくれたら、起きる」
俺がふざけて、唇を突き出す。
すると、妻はその唇を軽く叩いた。
「痛っ」
「馬鹿な事を言っていないで、起きてください!」
その指は白く綺麗な指をしていた。
冬なので乾燥はしてしまうようだが、あの時のような酷いしもやけは無い。
「二度寝しちゃ、ダメですよ」
そういうと、妻はさっさと寝室から出て行ってしまった。
あの時。
聖女さんは俺を選んだ。
聖女さんにだって、あっちの世界に家族はいるだろうに。
俺を選んだって事は、やはりそれだけ劣悪な環境だったんだろうな、と思う。
魔法もない、文化も違う。この世界で暮らすのは大変なはずだ。
慣れるのに、苦労もしただろう。
頭が下がる思いである。
「うっ……。寒い」
まだ温かい湯たんぽに別れを告げ、羽毛布団をまくる。
冬の容赦ない寒さが、俺の身体を苦しめた。
俺の布団の隣には、妻の羽毛布団がきちんと畳まれている。朝早く起きて、朝ごはんの支度をしてくれたんだろう。感謝である。
そう言えば。
聖女さんのいた異世界はどうなったんだろうな?
……ま、いっか。
聖女さんの扱いが酷かったんだ。そんな奴らがどうなろうと俺の知った事じゃない。
「ふわぁ~~」
大きなあくびをしながら、リビングに入る。
白米の炊けた匂いが俺の胃袋を刺激する。
これは、納豆に卵をかけて食べたいなぁ。
「あ。起きましたね。おはようございます」
俺の大好きな笑顔を浮かべ、妻は朝の挨拶をする。
たまらず、俺は彼女を抱き寄せた。
「おはよう」
身体いっぱいに、彼女の体温を感じる。
「体温調整」の魔法でも使っているのかな。
とても温かい。
ああ、幸せだ。
絶対に、聖女さんを元の世界へ返すものか。
べー!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。