03-2.漆黒の卵(2)
「恐れ入りますが、一言申し上げたく存じます」
「あなたは……シェリルさんね。シェリル=ターナー男爵令嬢……。何かしら?」
大神官が何か言おうとしたのを制し、聖女が続きを促す。シェリルはもう一度頭を下げ、言葉を続けた。
「我が領地には、魔物……主に魔獣が頻繁に出没いたします。というのも、皆さまご存じのとおり、ターナー領は瘴気の森と隣接しており、そこに住む魔獣が領地を襲うのです」
聖女が一瞬、表情を曇らせる。
「そのことについては、本当に申し訳ないと思っています。私の力が及ばないせいで、ターナー領には迷惑をかけてしまっている……」
「いえ、そのことにつきましてはお気になさらないでください。聖女様が日々、国のために尽力されていることは承知しておりますので」
王妃殿下でもある聖女は、聖女としての役割の他に、王妃としての仕事もある。彼女が国民のために懸命に働いていることは、ここに来て十分よくわかった。だから、彼女が謝る必要などない。
だが、言いたいのはそれではない。ここで話が終わってはたまらないと、慌てて後を続けた。
「あの……そういったことから、魔獣対策として、我が領には騎士団がございます。彼らは魔獣の扱いにも慣れておりますので、万が一を考えるならば、こちらの卵は我がターナー領で孵すのがいいのではないかと思うのです」
口を挟む隙がないほど、早口で言い切った。
卵の世話を押し付けられるのがわかった瞬間、思いついたのだ。
(ここで世話をするにしても、あの人たちは私一人にやらせるに決まっている。それに、魔獣が生まれてしまった場合、王都の騎士団で対応できるかわからないわ。赤ちゃんとはいえ、魔獣は侮れない。だったら、討伐に慣れているうちの騎士団に任せた方がいい。そうすれば、私もターナー領へ帰れる!)
「卵の世話をシェリル嬢一人ですることになるが、それで良いのか? この卵からは、僅かながら魔力を感じる。よって、魔力量の多い者が世話をせねば、孵すことができないのだが」
(そうでしょうとも。だから、私たちに世話を任せることにしたんでしょう? わかってますって)
大神官の問いにシェリルは大きく頷き、はっきりと返事をした。
「はい。私は構いません。ですが……」
チラリと二人を見遣る。
「ベリンダ様とカレン様が、どうしても卵のお世話をしたいとおっしゃるのであれば……」
「ターナー領でお世話がするのがいいと思いますわ! 魔獣に慣れているのであれば、その方が安心ですもの」
「私もそう思いますわ!」
食い気味で賛成する二人に、シェリルは笑いを噛み殺す。
渡りに船という二人の態度がおかしくてたまらない。二人がこう答えるのはわかりきっていた。だからこそ、あえて話を振ったのだ。
聖女と大神官が検討を始める。それを窺いながら、シェリルはひたすら祈っていた。
(はい、はいと言って! 私はターナー領に帰りたいのっ!)
やがて二人は話し終え、シェリルに向き直る。そして、大神官がこう尋ねた。
「シェリル嬢がターナー領へ帰るとなると、聖女教育ができなくなってしまう。卵が孵ってから、改めてまた残りの教育を行うことになるが、それでも良いか?」
この言葉を待っていた。
シェリルは、少し困ったような表情をしつつ、俯き加減になる。
「恐れながら申し上げます。私は聖女の器ではございません。こちらで学ばせていただき、それを痛感いたしました。ですが、私にはそれなりの魔力量がございます。ですので、最後のご奉仕として、この卵を孵すことに全力を注ぎたく存じます。……聖女教育は、これで終了ということにしていただくことはできないでしょうか」
聖女も大神官も、それに神官長や神官たちまでもが唖然としていた。
聖女として認められるのは大変名誉なことであり、ましてや王太子妃、そして、未来の王妃の座が約束されているというのに。
そっと隣を窺い見ると、ベリンダとカレンの口角が僅かに上がっている。必死に堪えているが、シェリルにはバレバレだ。
「ということは、シェリル嬢は私の婚約者候補も降りるということだね?」
コンラッドが、穏やかな笑みを崩さず尋ねてくる。
シェリルはコンラッドを真っ直ぐに見据え「はい」と答える。
少し微妙な間が空いた後、コンラッドは小さく笑った。
「どうやら私は、シェリル嬢の好みではないらしい」
「いえ! そういうことでは……!」
「あぁ、ごめんね。冗談だよ。残念な気もするけれど、この卵を孵すことも重要なことだし、それに全力を注いでくれるというなら君に託そう。……いいですよね?」
コンラッドが母である聖女に尋ねると、彼女は大神官と顔を見合わせ、了承の意を示した。
こうして、シェリルは自らの望みを叶え、漆黒の卵とともにターナー領へ帰ることになったのである。