10.いろいろ面倒臭い
「はあああああ……」
盛大な溜息に、きゅいが不思議そうな顔をする。
神殿のきゅい専用の部屋には今、シェリルときゅいしかいなかった。聖女は一時席を外している。
「煩わしいことが多すぎるわ」
「きゅう?」
シェリルはきゅいを見つめ、額をつんつんと柔くつつく。きゅいは遊んでもらっているのだと思って、きゅうきゅうと鳴いて喜んでいる。
「第二王子殿下って、あんな人だっけ?」
聖女候補だった時は、見向きもされなかった。時折姿を見かけてシェリルが挨拶しても、向こうはまるきり無視。ベリンダやカレンには普通に声をかけていたというのに。
だから、ヘンリーは身分が第一の選民意識が強い人なのだと思っていた。しかし──
『やぁ、シェリル嬢。聖獣の世話は順調かい? たまには息抜きをした方がいいよ』
『そうだ。僕と町へ行かないか? 欲しいものがあればぜひ贈らせてほしい』
『シェリル嬢はいつも元気で可愛らしいな』
『今日はいい天気だよ。僕と遠乗りにでも行かないか?』
聖女とともにきゅいの世話をすることが決まってから、ヘンリーは手の平を返したような態度をとる。そんな彼を見て、ベリンダとカレンはシェリルに冷たい視線を向けていた。
ただでさえ、聖女とともに聖獣の世話をしているのだ。これだけで嫉妬の対象になる。本来ならば、聖女とともに聖獣の世話をする役割は、自分たちのはずなのだから。
シェリルもそう思って、一応は進言してみた。だが、すぐに無理だとわかった。
きゅいが二人を拒否したのだ。拒否するだけでなく、威嚇もした。
低く唸るきゅいを相手に、ベリンダもカレンも震えていたが、シェリルにはわかっていた。これは本気の威嚇ではない、と。
きゅいが本気で威嚇すれば、身体がビリビリとひりつくほどの威力を発揮する。
ターナー領にいた頃、きゅいが一度だけ本気の威嚇をしたことがあった。
プリベロを植え替えていた時、瘴気の森からたくさんの魔獣がこちらの様子を窺っていたのだ。シェリルとネイトがそれに気付いて攻撃に備えようとした瞬間、きゅいの視線が鋭くなり、これまで聞いたことがないような低い声で唸った。
驚きのあまり、きゅいを凝視し、魔獣から視線を逸らしてしまったのだが、魔獣はあっという間にいなくなってしまった。きゅいは、唸り声一つで魔獣たちを追っ払ってしまったのだ。これ以降、ターナー領で魔獣の姿を見かけなくなった。魔物もだ。
ちなみに、魔物と魔獣の違いは、獣かそれ以外かだ。
瘴気に侵されたものは、魔の生き物に変化する。それが獣であれば魔獣、人であれば魔人、植物であれば魔物と、一括りにして呼ばれる。
今は人が魔物になることはほとんどないのだが、一昔前までは普通にあった。瘴気を防ぐ手立てがなかった時代だ。
しかし今はプリベロのおかげもあって、少なくともセドリックが領主として治めるようになってからは一件も報告されていない。
ターナー領は、魔獣に頻繁に襲われる危険な領地。そして、人が魔物と化す忌まわしい場所。なので、死罪を免れた犯罪者を送る流刑地としても知られている。
だから、ターナー領は国から見捨てられた地として、皆から忌み嫌われていた。聖女の結界から外されることになったのも、そのせいである。
これは聖女の力の及ばないせいでもあるが、王妃である聖女は、何とかしようと手を尽くしたそうだ。だが、どうにもできなかった。
もし力があれば、強引にでもターナー領まで結界を張ることができたのだろうが、それができない。他の方法を取ろうにも、誰の協力も得られない。もしも夫である王の協力があれば──。
しかし王は、高位貴族や有力な富豪や商人たちの意見を優先し、聖女の言うことには首を縦に振らなかった。政治的判断である。




