05-2.薬草「プリベロ」(2)
「これがプリベロ畑か」
瘴気の森の入り口付近一帯に、黄色の花が咲き乱れていた。季節的に、今がちょうど見ごろなのだ。可憐な花たちは爽やかな風を受け、ゆらゆらと揺れている。
「美しいな」
「はい。でも、明日にでも半分ほど摘み取らないと……」
プリベロは強い。摘み取っても根が無事であればすぐに成長し、花を咲かせる。新しい花が咲けば、再び魔物対策として効果を発揮するのだ。
それをネイトに説明すると、冬はどうするのかと尋ねられた。もっともな質問だ。
「冬は雪に埋もれてしまうけれど、その下で花は咲いているの。臭いは雪でかなり軽減するから、私たちは助かるわ。でも、何十倍何百倍と鼻のきく魔獣たちには関係ないから、冬でも立派に務めを果たしてくれるの。ありがたい存在だわ」
ネイトはプリベロ畑を眺め、深く頷いた。
「確かにそうだな。……だが、何故ここでしか栽培されていないんだ? ここでしか育たないのか?」
各領地で育てれば、魔物の脅威は格段に減る。結界を張る聖女の負担も減り、今よりも弱い結界で済むだろう。そうすれば、ターナー領まで結界を届かせることも可能なのではないか。
まったくもってそのとおりである。だが、現実はそうなっていない。
「えっと……少し畑に近付きましょう」
シェリルは意を決して歩き出す。ハンカチで鼻を覆いながら。
これは、説明するより実感した方が早いのだ。
「うっ……!!」
花の側まで来ると、ネイトは呻き、咄嗟に腕で匂いを遮断する。それでも強烈な臭いがした。見た目にそぐわず、酷い臭いだ。
「わかった、お前も臭うんだな」
そう言って、ネイトはプリベロから距離を取る。どうやら、背中の卵に主張されたらしい。
シェリルはネイトの後を追いかけ、「わかったでしょう?」という顔を向けた。
「他の領はこの臭いに堪えられないと言って、栽培を拒否してるの。ターナー領以外は聖女様の加護があるし、必要ないって。以前、聖女様が他の領でもプリベロ栽培をするよう提案したことがあったんだけど、こればかりは通らなくて」
国を護る聖女の提案なら、何でも通りそうなものだ。実際、他の案なら通るのだ。しかし、この案だけは却下された。いや、勘弁してほしい、と泣きつかれたのが正しい。
「ターナー領だけが、貧乏くじを引かされているんだな」
ネイトが不機嫌な顔になる。それを見て、シェリルは小さく笑う。
オルグレン帝国は強大な国で、皇帝をはじめとする皇族は、皆尊大だという。しかし、ネイトに限ってはそう思わない。彼は、王太子コンラッドが言っていたように、口は悪いが根は優しい。
クラーク王国内では、こんな風に腹を立ててくれる者などいない。良くて憐み、普通は無関心、悪くすると嘲りだ。
王都でのターナー領の評判は、すこぶる悪かった。シェリルの名を確認した途端、皆が一様に眉を顰めたのだから。神殿の人間でさえそうなのだから、一般の人間ならいかほどか。
さすがに王族はそんなことはなかったが、それでも腹の中では何を考えているかわからない。もしかすると、他の皆と同じように辺境の田舎者だと蔑んでいたかもしれない。
聖女候補であったベリンダやカレンなどは、最初はシェリルに近付こうともしなかった。嫌な臭いがすると言って、避けていたのだ。
王都に来る前に念入りに身支度して、途中でも事あるごとに確認した。道中で宿泊した町の人たちは、大丈夫だと言ってくれていたのだ。
ここまで気を遣ったというのに、あの二人はシェリルがターナー領から来たと知るや、あからさまに避けた。にもかかわらず、神殿の掃除やら雑務などをしなくてはいけないことがわかるやいなや、近づいてきてそれらを押し付けてきた。
こんな輩が聖女候補とは、と呆れた。相手にするのも億劫になり、はいはいと全て請け負うことにした。それが一番平和だ。
王都の貴族や民は、知っているのだろうか? ターナー領が魔物の討伐をやめればどうなるのか。
聖女の結界があるから平気だ、と答えるかもしれない。しかしそれは違う。
魔物の集団がターナー領を突破した時点で、おそらく国は崩壊する。
集団になった魔物の魔力量は、聖女を遥かに凌ぐ。すると、魔物たちは他領を荒らしながら突き進み、王都まで侵攻するのは必至だ。こうなると、聖女の力だけではどうしようもない。王立騎士団は魔物の討伐に慣れていないので、きっと役に立たないだろう。
「ターナー領は、もっと重んじられるべきだと思うの。でも実際は、その逆。お父様もお母様も、領民たちも、皆歯痒い思いをしているわ。それでも……私たちは魔物を討伐し、この国を守る。何故なら、皆、ターナー領を愛しているから。私個人でいえば、私たちが魔物を討伐するのも、プリベロを栽培して魔物を牽制するのも、全ては領のため。国のためなんかじゃないわ。それに……プリベロは薬草よ。いい薬になるの」
シェリルを見て、ネイトはしばし言葉を失う。ネイトにとって、今の言葉は感動に値するものだった。
貴族の令嬢といえば、皆が皆自らを飾り立て、お茶会やら夜会やら観劇やらと遊び歩き、使用人がいなければ何もできないお飾り人形だという認識だった。祖国でもそういった令嬢が次から次へと寄ってきて、鬱陶しいし、香水の匂いがきつくて敵わなかった。
そんな彼女たちを遠ざけるために粗野なふるまいをするようになったのだが、それを全く気にしない、怖がりもしない女性が存在するなど、この国に来るまでは思いもしなかった。その女性とは、もちろんシェリルである。
「この国には勿体ない」
「え? 何か言った?」
「いや」
こてんと首を傾けるシェリルに笑みを見せると、ネイトは彼女の髪に触れ、恭しく口づける。顔を覗き込むと、シェリルは熟れたリンゴのようになって硬直していた。




