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生きること

作者: ツナ川雨雪
掲載日:2021/11/23

キャヤーン(新老人の世界はロマンチックに)




 イツノ頃からか、憧れていた。ライカ。私はこの機材について何も知らない。購入の際、色々と講釈を知らなければ手に入れてはならん、というものでもあるまい。大体その手の集会を私は苦手としていた。どのような集会であってもだが。いつもの散歩コースの中盤に差し掛かったところにいつもふんぞり返るように重々しい雰囲気の骨董品屋はあった。散歩をするしかないお年頃の私は毎日毎日、古いものを珍重することが、どれほどばかげた値段を、ばっちい茶飲み、飯食い茶碗、前時代的な色つき剥げた意味不明のロボット、に付けるかを、楽しくない顔でクチャクチャになりながら、見て解っていた。ロボットのおもちゃというものは人間の機能を極限にまで似せた想像の産物だ。どうせ想像するのなら余すところ無く機能を保持した人間の完全体をブリキで作って、人間ではありませんロボットです、とでも付記して、さらに名前はナンシーとでも付けて一緒におうちで遊びましょと言わせて宣伝しておけば、日本は戦争に負けんかったかもしれない。絶対負けていただろうが、驕りのある民族はいつか滅びるのが役目だ。まだ奢っていない民族に見本を示す為と私は思っている。それは大きければ大きいほど面白い。何十年も前にそれに参加して驕り高ぶり十数人殺しをしてしまった私にはそんなことを考える権利はないのかもしれない、自由主義というものの渦に巻き込まれて簡単に殆どのことの権利取得できる環境にあっても。私は今この国の平和を否定しない。どんなことが起こっているとしても平和だと断言できる、かといって、この平和が私達世代の犠牲お陰だとも思っても居ないし、彼の大国のお陰などとはみじんにも思っていない。若い世代を見ていると、超重火器を持って戦争をしても良いと言っている人物もたくさんいる。勝つことが出来て大義がこちらにあればと。先週私は民放ではない某局のエロチックコメディー歴史時代劇を見た。カツラをつけた主人公が、笑いなぞみじんもない怖い顔で、大義のためであれば、戦をしても良いと言っていた。それから、大義がなければ戦をしてはいけないとも。いくら平和だと言ってもこいつはいけない。私は目を覆い口をゆすぎ散髪に行きたいと思った。大義、人をどんどん殺してゆくことに大義など関係ない。戦争とは力のぶつかり合いなのだ。そしてそれに負けた方が死ぬ。死人に口はない。まして死者がお前に殺されて良かったとインターネットメールを送ってきてくれることはないし、残された遺族があんな風に天国に行けるなんてあなたのお陰ですとテレビジョンで万人に向けて話すこともない。殺す、亡くすということは生きているアンタの大義なんぞ簡単にはぎ取り悪魔の資格を与える、そういうことなのだ。どんなに死力を尽くして大義に通ずる結果を得たとしても。喜ぶのは自国の人間や同盟国で殺された相手じゃないのだよ。後悔していたとしても後方ではよくやったと飛び上がる人ばかりがいる。君の大好きな恋人もだよ。特権階級ではない一市民の君には何のことか解らなくなるのが戦争なのだよ。ついでに言っておくと格闘技で鍛えた人間であっても地に足を付けているゆえんから、味方にきいた脅しなど通用しなくなって、じき死ぬんだよ。強そうなヤツはねらわれる。意味の集結を正確につけられていないあの戦争が終わったと、わたしにはとても思えない。夢の中と現実との折り合いをつけながら散歩する。犬がいればとも思うが気の置けないともを得た見返りに私が連れられてゆく散歩になるし、変な人間関係が出来るのもあまり好きではない。犬の飼い主同士という立場を理由にして、よく知らない人間と知り合い、今朝起きた通り魔事件の話しや、ボロイ建物で外から見るととても清潔とは言えない病院の先生はやさしくて腕利きだなどという話をすることになる。その間に飼い犬同士は電柱にションベンをかける合戦をし始める。私はそっちの方が気になり始め相手に不誠実だと思われる羽目になる。犬がだらだらと流す涎も、そう好きではない。便の処理が嫌だという人もいるが、そうは思わない。自分を飼ってくれている犬の便に何の抵抗もない。犬は私を食わせてはくれないが、食っているところがある。それは見上げた精神性だと思う。私は感謝とはそういったときに自然と働く力のことだと思っている。毎日同じ所をうろうろと回り代わり映えのしない飯をうまそうに食っている彼らの生活態度は日本が教育で目指している至高形であることは言うまでもない。日本の教育というモノは天才を生み出さないと言われて久しく、そのことを悲しむ同胞もよくいるが、自分たちの都合の良い人間をいつも求めているこの風土において、天才は必要とされていない。しかし、頭が良い子は珍重されている。頭が良いこの尺度を測るのはひどく簡単だし、彼らを発展させることは難いことではない。ところで、犬に於いて天才とは何だろう。もちろん、人間に従順じゃなく自分の考え方を強そうな大犬にあっても変えない者の事だろう。彼らは必ず、変な犬として認定されるだろう。そして不当な扱いを受けるだろう。下手をすれば保健所行きだ。悲しいことである。生かしてくれるだけで良いのに、彼らは思いながら、死んでいく、理解者がいないのだ。人間。我々は手に負えない者のことを想定していないし、うまく扱おうともしない。変態性をのばす事は必ず、この物質社会に於いて、役立つときがある。変態といってもモラルの逸脱のことを言っているわけではない。彼らが成長し変態性を論理的に解釈したとき何か神的な、物質解釈を行い始めだし、我々の目を楽しませてくれるだろう。事実、変態性持った者の論理は真理があろうと無かろうと、何か引っかかるモノがあることは、読書好きの人には解るだろう。それが、平和へと続く道となるかはまた別問題である。平和について、ある意味、画一社会であるからの良い側面は存在するだろう。いつまで、戦争をしない状態を保つことが出来るかは画一的平和理念の構築に成功するかしないかにかかっている。そういう意味では、今の、マスメディアなりジャーナリズムは、鴉の羽の一にも成らないくらい、下等不必要とも言えるだろう。何を目指しているのか、まったく、理解できない。個人個人の意見を尊重することはとても大事なことだが、人の知らないことを言い合うことが啓蒙だ、そのものだと思っている。啓蒙しなければならない。この社会はそんなにバカばかりかな。ふんぞり返って自分の考えを変えないことこそ諸悪の根源とも言えるだろう。完璧に作られた画一的平和理念に対しても自分の考えを通したいが為に、汗だくになりながら、徒党をふやすのだろう。くだらない自分だけの真理の発表をしたいのならば、ランドセルを背負わねばならないだろう。わしは、知らなんだ。




  おわり

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