紅茶と絶望の宰相
紅茶の湯気が立ちのぼる会議室に、俺の声だけがやけに響いていた。
「――宰相、この際はっきりと言います。あなたは、あそこを復興させる気はありますか」
言った瞬間、空気がピキンと凍った。
甘いお菓子の香りも、きらびやかなティーセットの反射も、すべて止まったような静寂。
伯爵様はスプーンを持ったまま固まり、宰相の眉がピクリと動いた。
「……男爵、貴殿が何を言わんとしているか、私にはわからないが」
出たよ、貴族式の“わからないけど怒ってる”トーン。
俺は深呼吸をしてから続けた。
「私は商人上がりなので、貴族の取って回した言い回しになじまないんです。このままストレートに言わせていただきます。派遣された事務官たちは、まったく使いものになりませんでしたよ」
後ろでお姉さん方が「よく言った!」とでも言いたげにこっそり親指を立ててくる。
一方の宰相は眉間にしわを寄せた。
「そんなはずあるか! 彼らはここで一番優秀な者たちを派遣したんだぞ!」
「その優秀さは、どこで発揮されてました? たとえば紅茶の入れ方とか?……は言い過ぎとしても、ルーチンでの仕事それも貴族たち相手の事務仕事では」
「なっ……!」
「彼らは、本当に現地では何もできませんでしたよ。そもそも、領内が破綻している現場での仕事って、臨機応変といえば聞こえはいいですが、とにかく柔軟に、目の前にある問題を片付けながら長期的な視野に立って、復興策を進めていかないとできませんよ。現に私はそうしてきました。しかし、現場経験のない人にあんなところで独自判断できる者なんて、王都にはまずいないでしょう。紙の上の仕事と泥の中の現場は別物です」
宰相の顔がみるみる赤くなっていく。
その隣で伯爵様が困り顔で助け船を出した。
「……男爵。現場はいかようになっている?」
「では、説明させていただきます」
俺は深くうなずくと、シーボーギウムとポロニウムの現状を順に報告した。
隣でお姉さん方も加勢してくれる。
グラフ、表、資料、そしてお手製のイラストまで出して、まるでバラエティ番組のプレゼンのようだ。
「こちらをご覧ください。そもそも領都だけでしたが、食料は持ちませんね。いまはまだ餓死者を出すまでではありませんが、それも時間の問題かと」
ダーナお姉さんが淡々と述べる。
横でサーシャが付け加える。
「さらにポロニウムの北部では、税の徴収が完全に止まっています。人を派遣しても戻ってこないんです。途中で“山に住む女神の使い”を名乗る盗賊団に遭遇したとか」
「……盗賊団が女神を名乗るのか?」
「はい。主神教のシスター服を着てます。しかも全員、筋肉質」
「うわ、こわっ!」
思わず口に出してしまった俺をよそに、宰相は書類を眺めながら唸っている。
それでもまだ信じられないらしい。
「……だが、男爵から領地を召し上げた時の王都の記録では領内の生産は全盛期の六〇パーセントと報告されておる」
「そりゃそうでしょう。報告書の世界ならいくらでも話を作れますので」
ピタッと宰相の手が止まった。
俺はさらに畳みかける。
「紙の上では完璧なんです。その報告書を信じて何かしたそうにしていましたが、そもそもその報告書がでたらめなのですから、事務官たちにはお手上げのようでしたよ。さすがに領民が餓死していくのを見捨てるのも寝覚めが悪いので、食料確保だけは手を貸しましたが、それにしたって、彼らは……本当に使えない」
俺の答えに、お姉さん方も「そうそう、本当に商人と取引したことあるのかしら」
「現場で持っている金貨を全部使おうとしていましたし」
「現状理解してませんね。あの状態で、現金をすべて使えば、そのあと何も出来なくなるのに」
「もう少し頭を使ってほしかったわ」
などなど、ここまでためてきた事務官たちへの不満をぶちまけてきた。
「なっ……!」
伯爵様が「うわぁ……」と顔を覆う。
お姉さん方の一人が「そりゃ落ち葉も貼りつくわ」とぼそり。
それでも宰相は譲らなかった。
「男爵、君の言葉は理解する。しかし、強権を発動して無理やりにでも処置するのは、あまりに乱暴ではないか?」
「乱暴でもやらなきゃ何も解決しません。
宰相、あの領地はもう“システムクラッシュ”状態です。
マウスをいくらクリックしても再起動しないやつなんですよ」
「……なんの呪文だ、それは」
「つまり、詰んでるってことです」
宰相は渋い顔をした。
何度も唇を噛み、俺を睨み、しかし言い返せない。
それでも彼は、まだ信じようとしない。
「書類上では……」
来たよ、それ。
“書類上では問題ない”という魔法の言葉。
それを言い出した瞬間、現場は確実に燃えるんだ。知ってる。
「宰相、もしあなたが信じないなら、いっそ現地に行ってください。実際に見ればわかります」
「行く? ……あそこまで? 行くだけで一か月はかかるぞ!」
宰相は即座に反論した。
だが、その横でお姉さんが穏やかに紅茶を置いた。
「モリブデンからなら三日でシーボーギウムに着けます。そこから急げば一日でポロニウムの街まで行けますよ。ひと月もあれば往復できます」
宰相、目が泳ぐ。
完全に逃げ道を塞がれた顔だ。
伯爵様も「うん、行けるな」と呟いている。
ここぞとばかりに俺は追撃する。
「それに、宰相からの依頼で来ていた事務官たちの案内はすでに終えておりますので、次にお会いするまでに一筆書いていただけますか?」
「い、一筆?」
「はい。“事務官たちに、俺たちに泣きつかないように”とお願いします。
そうしないと、うちの領地の運営にも支障が出ますから。
最悪、領境を閉じることも考えております」
会議室の空気が完全に凍った。
宰相、絶句。伯爵、口を開けたまま固まる。
事務官たちは青ざめて、今にも泣きそうだ。




