いよいよお隣訪問
やれやれだな。
まったくもって、やれやれである。
人生には「やれやれ」で片付けたくなる瞬間が何度かあるというが、俺の場合、この旅そのものが巨大な「やれやれ」の塊だった。
街を出てからというもの、我々の進軍速度は、満腹のナメクジが散歩するペースと良い勝負をしていた。
いや、物理的には確かに前進している。
だが、その歩みは遅々として進まず、精神的な進捗に至っては、三歩進んで二歩どこ ろか五歩くらい後退している気分だ。
原因は火を見るより明らか。
王都からわざわざ派遣されてきた、ガラス細工のように繊細で、湿気たせんべいよりも脆い事務官様御一行である。
小石につまずけば「足が!私の足がもげたかもしれません!」と世界の終わりのような顔をし、森のそよ風が頬を撫でれば「今、明確な殺意を孕んだ風を感じました!」と真顔で訴えてくる。
30分も歩けば「そろそろ戦略的休憩を…」と懇願され、なぜか1時間の休憩を取る始末。これでは目的地に着く前に寿命が燃え尽きてしまうのではないか。
宰相、アンタは俺に嫌がらせをするために、わざわざこの歩く「割れ物注意」シールたちを寄越したのか?
道中、本当に、本当にたまにだが、魔物が俺達に喧嘩を売ってくることもある。
しかし、そのほとんどを俺は視認することすら許されない。
俺が「ん? なんか空気がピリッとしたかな? いや、ジーナがおやつを欲しがってる気配か?」などと呑気な分析をしている間に、全てが終わっているのだ。
ハーフダークエルフのジーナたちが、風のように駆け、音もなく矢を放ち、剣を閃かせて獲物を解体まで済ませてしまう。
俺が魔物の襲来を確定的に知るのは、いつも満面の笑みを浮かべたダーナが「ご主人様ー! 新鮮でピッチピチのオークです! アイテムボックスにお願いしますねー!」と、まだ微かに痙攣している巨大な肉塊を差し出してくるときだけである。
完全に、荷物運び兼、生鮮食品倉庫番だ。
おかげで俺のアイテムボックスは、日に日に獣臭くなっていく気がする。
まだまだ、俺のスキルが足りないようだ。
だいぶレベルは上がったと自負していたが、冒険を生業とする本職の方々からすれば、俺の危機察知能力など、道端の石ころ以下らしい。
まあ、おかげで汗ひとつかかずに安全地帯で高みの見物を決め込めるのだから、文句を言う筋合いもないのだが、もう少しこう、主人公らしい見せ場というものが欲しいお年頃でもあるのだ。
そんなこんなで、俺達一行もだいぶ森の移動に順応してきた……いや、訂正しよう。
俺とジーナたち、そして護衛の騎士団は元から森のプロフェッショナルだ。
正確には、事務官たちが死んだ魚の目をしながらも、なんとかゾンビのように足を引きずってついてくるようになった、というのが正しい表現だろう。
結局、俺達が実に4日もの歳月をかけて、ようやく領境の関に到着したときには、事務官たちは燃え尽きたボクサーのように真っ白になっていた。
魂が口から半分くらいはみ出ていたように見えたのは、きっと気のせいではない。
そして、その関は、驚くほどにもぬけの殻だった。
「……」
誰一人いない。
鳥のさえずりと、事務官のため息だけがやけに虚しく響き渡る。
おい、これ税金の無駄遣いってやつじゃないのか?
ひとまず、俺達はこの幽霊屋敷のような無人要塞で、シュールな一夜を明かすことになった。
ここから目的の領都までは、普通なら5日はかかるらしい。
幸い、ジーナの仲間の一人がこの隣の領地の出身で、道案内には困らないのが唯一の救いだ。
宰相からも聞いていたが、関から領都までは一本道で迷うことはない、とその冒険者も「目を瞑って鼻歌を歌いながらでも着ける」と太鼓判を押してくれた。
翌朝、久しぶりに屋根のある(ただし隙間風だらけの)場所で眠れたおかげか、宰相から遣わされた一行、特に事務官たちには、ミジンコほどの元気が戻ったようだった。
しかし、本当の地獄、デッド・オア・アライブな魔物ウェルカムフェスティバルは、ここからが本番だった。
俺の領内では、街道筋を中心に徹底的に魔物狩りをしているので、移動中に危険を感じることは皆無だ。
だが、お隣の領内は違った。
無法地帯、魔物の天国、人間にとっては24時間営業のサバイバルゲーム会場。
そんな言葉が生ぬるく感じるほどの魔境だった。
街道だろうが森だろうがお構いなし。
「ようこそ!魔物バイキングへ!最初の100体まで無料!」とでも言わんばかりに、四方八方からひっきりなしに魔物が俺達を襲ってくる。
ジーナたちが右手のゴブリン軍団を薙ぎ払う、そのわずか0.5秒の合間を縫って左手からオークのタックルが炸裂する。
かと思えば、頭上からガーゴイルが急降下爆撃を仕掛け、足元からは巨大ワームが「こんにちは!」とばかりに突き出してくる始末だ。
もはやモグラたたきならぬ、魔物たたきオーケストラである。
まあ、それでも俺の護衛としてスジャータ率いる家の騎士団が「殿をお守りしろぉぉぉ!」と悲壮な覚悟で鉄壁の守りを見せてくれるし、何より魔物が見えれば、ナーシャやダーナが「ごちそうタイムですわ!」「今日のノルマは200体!」と、目を輝かせながら喜び勇んで魔物をミンチよりひどい何かへと変えていく。
もはや討伐というより、ただの収穫祭にしか見えない。
俺はといえば、そんな喧騒の中心で、騎士団が張ってくれた完璧な安全地帯の中から、「お、今のコンボは見事だな」とか「ダーナのあの斧の振り、今度教えてもらおうかな(絶対無理だけど)」などと、のんきにスポーツ観戦よろしく戦闘分析をするくらいしかやることがない。
そんな怒涛の魔物ラッシュにもかかわらず、ジーナたちの圧倒的すぎる戦闘効率のおかげで、我々はほとんど移動速度を緩めることなく、ついに目的地の領都へと到着したのだった。
振り返れば、事務官たちは全員そろって白目を剥き、口から泡を吹いて気絶していた。
まあ、そうなるだろうな。
彼らにとっては、人生で最も濃密で、最も理不尽な数日間だったに違いないのだから。
やれやれ、本当に面倒なことばかりだ。
宰相、今度会ったら一発くらい殴らせろよな。




