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自らがなぜ、このような運命にあるのかと、そっと嘆いた。だが、逃げ切れた。そう思うと安堵する。
しかし驚いたものだ。人々にも、自らにも。これほどまでに立ち直るほど、私は幽閉されていたというのか。それも、自らが蒔いた種からだ。
「なぁ。」
目についた男に尋ねる。男は振り向くと、不審そうにこちらを眺める。
「迷子か?」
「そんな歳ではないさ。ただ確かに、少し困っている。
道を教えてもらいたい。」
「なんだ、やっぱり迷子じゃないか。」
そう言うと男はしゃがみ、私に視線を合わせる。
「ガキじゃないぞ。」
「いいや、ガキじゃないか。」
言い合っては本当にガキなんじゃないかと思えてくる。不服ではあるが仕方なく、男の態度には目を瞑る。
「どこに行きたいんだい。」
「ひとまず首都にでも向かいたいのだが。どうだ、近いのか、遠いのか。」
そう尋ねると男は怪訝な面持ちで私を眺める。
「嬢ちゃんが?どう行こうってんだ。」
「手段はあるよ。別に方角さえ教えてくれればいい。そのまま進んで、また人に会った時に尋ねるから。」
そう返すと、納得はしてはいなさそうにも答える。
「東…、そうだな、この道だと右手のほうだな。」
「そう、方角は違ってないのだな。
しかしそうなると、随分と大きな国家らしい。」
「ああ、お偉いさんのいる街って意味ならもっと近いところがあるぞ。」
その言葉に目を輝かせる。
「そもそも行ってどうするんだ。」
「協力を願えないかと思ったんだ。ま、望み薄ではあるけど。」
なんだそれは、そう男は言おうとしたように思えた。だが、実際にどうであったのかはわからない。まだつけようというのである、ずいぶんと執拗な『魔女』だ。
私が触れればそれらは瞬く間に崩れる。それでも、いたずら程度といっても、こうも邪魔をされてはストレスも溜まる。
「ああ、迷惑をかけたね。」
腰を抜かした男に手を伸ばす。もっとも、私のこの小さな肉体で起き上がるものだろうか。
「嬢ちゃんナニモンだ。」
男はそう、震えた声で質した。
「魔女だよ。」
そう、冷淡に答えた。
さっきの礼をしたい、男はそう言って譲らなかった。彼の家に招かれ、食卓につく。
「散々言っているが、さっきのは私を狙ったものだ。いなければ君は巻き込まれなかったし、私が死んでもまた、君が襲われることもなかっただろう。だからこんなものをいただくわけにはいかないんだ。」
「いずれにせよ、既に嬢ちゃんの分をつくっちまったしな。」
ほれ食え、と差し出される。
「あくまでこれは供物だからな、行為への対価ではないんだ。」
こちらが折れることにした。
さて、有り難く私が汁物を啜っていると、扉が開かれ、誰かが家に上がり込む。
「誰それ。」
若い女だ。
「ああ、助けてもらったんだ、えっと…。」
「助けてはない。邪魔なようならどこか行くが。」
「ああいや待て。」
席を立とうとすると、男に制止される。
「娘だよ。」
「そうか。」
食事を再開しようとするが、娘とやらの視線が気になる。
「いや、やはり去ります。また巻き込んでは申し訳ないですし。」
「しかし暗いぞ。」
「問題ありませんよ、夜目が効きますので。」
家を出た。
移動用の魔物をつくり出すと、再び街へと進みだす。そもそも私に食事の必要性はない。それでも、何かを食するのは特別であった…。
不思議なものだな。すれ違う馬車を見てそう思う。いつの間に、情けなくも家畜に成り下がったのであろうか。かつて存在した生物、魔物との生存競争に敗れ去った生物…。つまり馬という生物の代わりを魔物が務めているなんて。人間に従うなんて。
もっとも、それらは純粋な魔物ということもない。ずいぶんと飼いならされたようだ。もはや野生種とは大きく違うらしい。
「おや、お嬢さん。ずいぶんと珍しい馬を連れているのですね。」
ある商人にそう話しかけられる。馬、でいいのだろうか。
「どちらにおるのですかな。」
見慣れぬものを見かければ興味を持つ、商人にとっては大事なことだろう。まして、移動・運搬用の動物なんて人気がある。
「あらゆるところにおりますし、どこにもいませんよ。」
少しばかりからかってみる。謎かけだと思ったのだろう、言葉の意味を解釈しようと頭を悩ませているようだ。
「そのままです。被りを嫌った魔女が、自らのためにつくり出したモノです。
やめておきなさい、そこにいるのと違って人間には従わない。」
「ほう。」
言葉の意味が伝わらないらしい。やはりこれも謎かけと考えているようだ。
「すべて言葉通りですよ。」
そう言って魔物を『片づける』。すると商人は恐れ、ない。その種を明かそうというようだ。
「おい、魔女だぞ。魔物産んだ元凶なんだ。手品でも謎かけでもないぞ。」
商人を睨みつける。
「あっはは、そうですか…。面白いことを考えますね。」
「はぁ。」
こちらが参ってしまった。ここまで鈍くて商売なんてできるのだろうか。もっとも、突飛な話には違いないが。
「まあ、そこまで教えたくないというのであればわかりました。しかし、その歳で一人旅ですか。」
「いろいろとあるんだよ。」
どうも説明が通用しそうにない、そう諦める。
「そうですか…。しかしいくら立派な馬を連れているとはいえ、道中不都合はあるでしょう。私と共に行きませんか。」
「営業?それとも求婚?いずれにせよそういうのは受け付けてないよ。」
「いえいえ、そんなものではなくてですよ。
魔物を自在につくり出せるというのに、かつてのように人を襲わないというのも、なにか理由があるものと思えますが。」
こいつ…。
「確かに不都合はある。もっとも、別に人を襲えないということでもないがね。」
「なら、我々の護衛として行動を共にするのも構わないでしょう。」
一考する。商人ならば道に詳しいし、それにコネクションにも期待できる。
「構わないね。君たちが私に不都合な存在となったときはどうなるかわからないけど。」
「そのときは煮るなり焼くなりご自由に。安心してください、商売は信用あってのもの。顧客と商人は対等な立場で、共通した価値観に基づいて取引を行うのですから。」
そんなこと言っても胡散臭く聞こえるだろうに。そう思ったが、彼のそれは安心感があった。
護衛として隊列に加わり、街を出た。ここからはしばらく野宿もあるだろうとのこと。確かに、一人では気にかけていなかったが、日中に進める距離に街があるとも限らない。さらには小規模な集落や村では、このような大人数を受け入れられやしないだろう。宿場町の形成は遅れているらしい。
おまけに、悪天候につき視界も足場も悪い。体も冷えやすい。
それはこの数日続いていたし、どうも日に日に悪化している。しかしそれでも、期日があるから止まれないのだという。
突然の横からの気配に、魔物を盾にする。なるほど、この雨は厄介だ。
「やっと追いついた。」
隊列は崩れ、混乱と恐怖で動きが止まった。
「こんなになぶって、なにが『やっと』だよ。」
襲撃犯の言葉に返す。すると、彼女は私を嗤った。
「だって、そうでもしないとまたすぐどこか行っちゃうじゃん。」
「逃げたくもなるよ、君のせいで散々だ。」
会話をする裏で、先へ進めと合図をする。
「どうであれ、彼らを攻撃する理由はないだろう。」
「それはどうかな、あなたの浮気相手だもの。」
「なら、浮気される君に問題があるんじゃないかな。」
困った。この雨の中では彼らを、また自らを守る術がないのだ。
「まさか、身だけでなく心すらも魔女となるとはね。だから言ったじゃないか、いいもんじゃないだろうって。」
「それでも、そう仕向けたのはあなたじゃない。」
「あはは、ああまぁ。痛いところを突く。しかし、ここで彼らを攻撃して、君が得るものというのは全面戦争だぞ。
それに君、君に与えたものはあくまで不完全なパチモンだ。忘れることなかれ。」
彼女は苦しみ、もがき始める。何故か、そう問う目を見て口を開く。
「石を携帯していたから脅威だったのさ。天然物と養殖物の違いかな、これは。それに、君の行う分にはどうにかできるに決まっているだろうに。
半人前のお嬢さん?」
心の内が腐っていくのを感じる。それでも、生きたいのだ。
変わらずの雨の中、隊列に合流する。すると商人に呼ばれ、彼女は何者かと訊かれた。
「一般化してしまえば敵、でしょう。しかしずいぶんと変わった様子、もはやあれが何であるか、私にもわかりかねますけど。」
その言葉は自らにも返ってくる。私はもはや、何者であろうか。
「そうか。」
彼は深く問いはしなかった。
その晩も、野宿の中で番をした。彼女は果たして、これからどうするのだろうか。月明かりに照らされる濡れた指先を眺め、思考を巡らせた。