解答篇
「分かったぞ! これで栗マロンケーキは僕のものだ」
立ち上がらんばかりの勢いで腰を浮かせた碓氷を、蒲生は驚いたように両目を丸くして見据えた。
「お前も人のこと言えないな。急に大きな声を出すなよ」
フリルをあしらった西洋風の黒いワンピース姿をしたウエイトレスが、何事かという顔で二人に怪訝な視線を送っている。碓氷は顔を僅かに赤らめながらソファに腰を下ろした。
「よ、よし。蒲生の期待に応えて、輪舞曲橋の解答篇に進もうではないか」
「おう。早速始めてくれよ」
空になった珈琲カップを脇に除けると、碓氷はテーブルの上に両肘をつく。
「まず、輪舞曲橋が落ちて十歩『戻った』ことから、この升目で起きたことは何か良くないこと、ネガティブな出来事であったことは想像に難くない。そして、十歩という数から一家の人生を左右するような一大事であったことが推測できる」
「そこまでは俺も考えた。問題はその先だ」
「では、一家に起きたトラブルとは何なのか。ここで重要なのが、最初に蒲生が指摘したように『輪舞曲橋が落ちた』の発言者がパパ、つまり父親であったことだ。一家の大黒柱でもある父親にとって、人生を揺るがす出来事とは何だろうか」
「そりゃあ、父親の最もたる役目は家族を養うこと。家族を養うためには働く必要がある」
「その通り。とすると、『輪舞曲橋が落ちた』ことは父親の仕事に関することではないかと考えられる」
「真っ先に浮かぶのは、失業したとかリストラされたとか、そんなところか」
「うん、僕もそう思うよ」
「え、じゃあ」
「蒲生の言う通り、『輪舞曲橋が落ちた』とは父親の失業、仕事を失ったことを表していたのさ。仕事がなければ働くことができない。家族が路頭に迷う。まさに死活問題だ。十歩も戻りたくなる気持ちも分かるな」
一人納得したように頷く碓氷に、蒲生は待ったをかける。
「勝手に納得するなよ。父親の失業と輪舞曲橋が落ちたこと、それに十歩の数がどう結びつくんだよ」
「蒲生は、そもそも輪舞曲の意味を知っているか」
友人の問いに、蒲生は身を縮めるように肩を竦める。
「いや、恥ずかしながら」
「この言葉の難しさは、輪舞曲の基本的な意味が分かっていないとすべてを関連付けられないところにある。いくら駄洒落が絡んでいるとはいえ、子どもたちが首を捻るのも無理はないね」
「で、結局輪舞曲ってどういう意味なんだよ」
「輪舞曲っていうのは、音楽の形式の一つさ。回旋曲とも呼ばれていて、名前の通り同じ旋律を繰り返すスタイルだ」
「同じことを繰り返す。それが、父親の失業と関係してくるのか」
「正確には、橋が落ちたことに結びつくんだ。いいかい、輪舞曲橋はそもそも、その昔橋の上で舞踏会が開かれていた――これはあくまで僕たちの憶測だけど――ことからその名がついた。けれど、橋が落ちてしまったらどうなるか? 簡単だね、人々は橋の上で舞踏会ができなくなる。輪舞曲が踊れなくなる」
「はあ」蒲生はまだピンとこないらしく、間の抜けた声を上げるしかなかった。
「今も言ったように、輪舞曲は『繰り返す』ことを意味している。繰り返す、回り続ける。これを父親の会社の状況に当てはめるとどうなる?」
「会社の状況? 繰り返す、回る。ううむ、経営が上手く回っていくとか」
「ご明察。社会人だからこそ辿り着く思考だね」
軽快に指を鳴らし、碓氷は淀みない口調で先を続ける。
「もう一息だぞ。輪舞曲とは『会社の経営が上手くいく』ことを意味している。では、輪舞曲橋が落ちるとどうなるか?」
「輪舞曲ができなくなるから、会社の経営が悪化する」
「ザッツライト。会社の経営が悪化し、父親が失業する事態とは何か」
「倒産――とうさん!」
黒ワンピースのウエイトレスに再び振り向かれ、蒲生は照れたように頭髪を掻きながら椅子に腰かけた。碓氷は晴れ晴れした表情でメニュー表を持ち上げる。
「倒産は父親、つまり父さんに掛かっていたのが一つ。そして、倒産、とうさん、十さん――これには十散とでも無理に当てはめようかな。これで、十歩下がるってわけだ」
碓氷は勝者の笑みを湛えながらウエイトレスを呼びつけると、メニュー表を指で叩いた。
「秋季限定の濃厚栗マロンかぼちゃケーキをお願いします」