表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

問題篇


「ロンド橋が落ちたから十歩戻ろう」

 不意に言葉を漏らした蒲生を、碓氷は奇妙なものを見る目で眺めた。

「何?」

「ずっと考えているんだが、分からないんだよな。『ロンド橋が落ちたから十歩戻ろう』」

 陶器のカップに並々と注がれた珈琲を、蒲生はじっと見つめていた。未確認生物の目撃情報が相次ぐ湖で、その正体を見極めんと待ち構える探検隊員のように。

「弟がさ、この前親戚の家で双六をしたらしいんだわ」

 思い出話を語るかのような口調で、蒲生は話し出す。洒落たデザインのソファ椅子に背中を預けて、碓氷は友人の話に黙って耳を傾けることにした。

「親戚の家にあった双六は、少しばかり変わった内容が升目に書かれていてな。たとえば、『パパとママに新しい子どもが生まれたから三歩進む』とか」

「まあ、子どもができるのは喜ばしいことだから進むってことじゃないの」

「それくらい俺にも分かる。肝心なのは、どうして『三歩』なのかってことだよ」

「進む歩数にも理由があるの」

「親戚のガキ曰く、そうらしい。因みに弟が訊ねたところによると、子どもが生まれるのは出産。出さん、出三(しゅっさん)――つまり三つ出るから三歩進む」

「ただの駄洒落じゃん」

「答えを訊いたら確かに馬鹿らしいんだがな。その双六は、主要なすべての升目に駄洒落めいた言葉が書かれているんだとさ。だから、単に駒を進めたり運任せにサイコロを振るだけじゃなく、『この升目の言葉はどういう意味だ?』ってのを考えながら楽しむことができる。なかなかどうして上手くできているだろう」

「ふうん。あ、もしかして蒲生がさっき呟いていたあの言葉も」

「ああ。その双六の升目に書かれている言葉の一つなんだよ」

 ようやく合点がいったというふうに、碓氷は深々と頷く。

「他の升目はすべて理解できたんだが、ロンド橋だけが未だ謎のままみたいでな。親戚一同頭を悩ませ、たまたま遊びに来た弟も巻き込んでの推理合戦だ。だが、結局そのときは未解決のままお開きとなった」

「なるほどね」

「親戚のガキは学校のクラスメイトも巻き込んで、毎日ロンド橋についての熱い議論を交わしているんだと」

「親戚の子って、学年はいくつなの」

「小学三年生」

「九歳の子供たちには、えらく難易度の高い議論だね」

 子どもたちが教室で双六を広げああでもないこうでもないと騒ぐ様子を思い浮かべたのか、碓氷は微笑しながら友人の話に相槌を打つ。

「他の升目が駄洒落めいたものだから、ロンド橋もきっとそうなんだろうけど。まだ誰一人として納得のいく解答に行き着いていないんだ」

「僕を呼びつけたのは、双六の謎解きをさせようって魂胆だったのか」

「どうせ暇なんだろう。それに、今日は俺の奢りだからな。まずは約束通り店に来たってことで、謎解きを引き受けたものと見なし珈琲を奢る。さらにロンド橋の謎を見事解いたあかつきには、当店の期間限定『秋の味覚をふんだんに使った贅沢フルーツ盛り合わせスペシャルパフェ』をご馳走してやろう」

「それよりは『秋季限定濃厚栗マロンかぼちゃケーキ』がいいな」

 メニュー表を開いた最初のページを指差し、碓氷は即答する。北海道、または宮崎や長崎のごく一部の地域でしか生産されていない栗マロンかぼちゃは「農家泣かせの種」とも言われるほど栽培が難しく、故に希少価値が高い。一般的なかぼちゃよりも濃厚な甘みとホクホクとした食感が特徴で、特に北海道産の栗マロンかぼちゃは糖度がぐっと高まり、甘いもの好きやかぼちゃ好きには堪らない――とは、喫茶店マスターの受け売りである。

「何だよ、折角この店一押しのパフェがタダで食べられるってのに。まあ、何でもいいけどさ。ロンド橋の謎を解いてくれりゃ」

 そして、栗マロンかぼちゃケーキを賭けた碓氷の謎解きが幕を開けた。



「最初に確認だけど、ロンド橋が落ちたら――ってのは、正確には何て書かれていたの。『ロンド橋が落ちたから十歩戻ろう』で全部?」

「いや、確か写真を撮っていたな」

 椅子の背もたれに引っ掛けたジャケットから、スマートフォンを取り出す蒲生。

「あった、これだ。『パパが言ったよ。輪舞曲(ロンド)橋が落ちたから十歩戻ろう』」

「ロンドは輪舞曲のことなのか」

「おそらくな。そして、これを()()が言ったってのもポイントなんだろうな」

「ストップ。そもそも双六の設定ってどんなふうになっているの。さっきはパパとママに新しい子どもって言っていたけど」

「確か、最初のスタートはパパとママの夫婦だった。それから一人息子が生まれて、あとペットの犬も飼ったとかあったな」

「最終的には、夫婦に子一人、そして犬の家族で双六は進むわけだ」

「ああ。ゴールの升目にも、一組の男女と少年と犬の絵が描かれている」

「ふうむ。その双六、他にはどんな言葉が書かれていたか分かる?」

「全部は把握していないが、俺が弟から聞いたものだと『パパが新しい仕事を見つけたから四歩進む』とかあったな」

「仕事を見つけて四歩進む。仕事、四歩――ははあん、なるほどね」

「何だよ、もう分かったのか」

「仕事を見つける、だろう。仕事、しごと、四ごと。つまり四、ゴウ、トオ。四、GO、TO。『四つ行け』だろ」

「ご名答だ。その調子なら輪舞曲橋の謎も朝飯前だな」

 鼻歌混じりに上機嫌の蒲生に、だが碓氷はちょっと顔を顰めて首を振る。

「いや、まだ輪舞曲橋については妙案が思い浮かばないな。でもまあ、そう焦ることもないさ。何といっても栗マロンかぼちゃケーキが賭かっているんだからな。慎重に解かないと」

「ま、仮に解けなくても自分で金払って食べりゃいい話だがな」

 言いかけた蒲生は、かつてないほどに真剣そのものといった顔で考え込む碓氷を前に口を閉ざした。秋の昼下がり、喫茶店の窓から見える街中のメインストリートでは、スーツを着たサラリーマン風の男やOLらしき女性、サボりなのか学生服を着崩した少年少女たちが行き交っている。

「その輪舞曲橋ってさ」

 碓氷が徐に口を開いた。

「双六の世界で設定されている架空の橋なの?」

「ああ、確かそうだったな。パパが仕事に行くときは輪舞曲橋を通るみたいなことが説明書に書かれていた気がする」

「随分親切な説明書だね」

「基本設定はその説明書に書いているらしいんだ。パパとママの馴れ初めとか、ペットの犬の名前の由来とか。あと、息子が初めて学校でバレンタインのチョコレートをもらったとか」

「何だか、説明書を読むだけでも楽しそうだね」

「弟もそんなことを言っていた」

 珈琲に投入した角砂糖が沈むのを、碓氷は凝視している。まるで、そこから謎の答えが浮かび上がってくるとでもいうように。

「輪舞曲橋が落ちたと聞いて、当然最初に思い浮かぶのはマザー・グースの童謡『ロンドン橋落ちた』だね」

「俺もいの一番に思い付いたよ」

 碓氷はズボンの尻ポケットからスマートフォンを取り出すと、素早い動きで液晶画面に指を滑らせる。

「あ、あった。原文と日本語訳が載ったサイト」

 スマートフォンをテーブルの中央に置いて、二人で画面を覗き込む。



London Bridge is broken down, (ロンドン橋が落ちる)

Broken down, broken down. (落ちる、落ちる)

London Bridge is broken down, (ロンドン橋が落ちる)

My fair lady.(マイフェアレディ)


Build it up with wood and clay,(木と泥で建てろ)

Wood and clay, wood and clay,(建てろ、建てろ)

Build it up with wood and clay,(木と泥で建てろ)

My fair lady.(マイフェアレディ)


Wood and clay will wash away,(木と泥じゃ流れる)

Wash away, wash away,(流れる、流れる)

Wood and clay will wash away,(木と泥じゃ流れる)

My fair lady.(マイフェアレディ)



「長いな。まだ下に続くじゃん」

「うん。確か、地域によって節の数が違ったり、アメリカではbroken downの箇所がfalling downになっていたり。バリエーションがいくつかあるらしい」

「じゃあ『ロンドン橋落ちた』から輪舞曲橋の意味を探るのは無謀だな。バリエーションが多いってことは、その分解釈の数も膨大にあるってことだろ」

「そうだね。それに、双六自体が駄洒落をメインに作られているなら、蒲生が言ったように輪舞曲橋の升目もきっと同じだよ。子ども向けのゲームなんだから、海外の童謡をもとに云々なんて小難しい考え方ではないと思う」

 両腕を組んで唇を歪めていた蒲生は、突如「あっ」と鋭い声を上げた。手に持ったスマートフォンを危うく珈琲の中に沈めるところだった碓氷は、対面に座る友人を睨み付ける。

「いつも言っているけどさ、突然奇声を発したり何かを呟き始めるの、止めてくれないかな」

「奇声とは失礼な。いや、分かったんだよ。輪舞曲橋の升目は、『ロンドン橋落ちた』の歌詞が十節あるから、十歩戻るんだ」

「今言ったけど、歌詞の数は地域によって違うんだって。それに、駄洒落とは何の関係もないじゃない」

「製作者がたまたま駄洒落と関係のない升目を作ったのさ、きっと。人間誰しも、間違いの一つや二つあるものだろ」

「解答としてはあまり面白くないな。親戚の子がそれで納得するの」

 不満げな顔の少年あるいは少女を思い浮かべたのか、蒲生は黙り込む。

「パパが言った、輪舞曲橋が落ちたから十歩戻る――か。ところで、十歩って双六の中では随分数が大きいね」

「言われてみればそうだな。輪舞曲橋が落ちることが、一家にとってはよほどの大事なのか」

「説明書には、輪舞曲橋の由来とか書いていたの」

「あ、そういや弟が言っていた気がするぞ。ええと、何だったかな。あれ、思い出せないや」

「輪舞曲っていうくらいだから、おおかた昔橋の上で舞踏会でも開催していたとかじゃないの」

「そうだったかも。きっとそうだ」

 投げやりに首肯する蒲生を、呆れ顔で眺める碓氷。

「輪舞曲、ロンド、回る、十歩。パパの通勤路、仕事」

 ぶつぶつと言葉を並べる碓氷を、栗マロンのケーキが広げたメニュー表からじっと見上げている。彼が堂々たる声で「濃厚栗マロンかぼちゃケーキを一つ」と口にしたのは、それからおよそ十五分後のことであった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ