【あの山を越えて】
俺が里を出たのは、齢15の時だった。
一年の半数を雪と氷に包まれて過ごし、山に囲まれたわずかな大地で細々と作物を育て、険しい峰を散々に駆け回って獣を追い。そうやって、なんとか命と伝承を受け繋いできた、小さな里だった。
俺たちのご先祖とやらが、いったい何を求め、いったい何をやらかしてこんな大地に移り住んだのかは知らない。長い時の中で、酔狂な行商人達が足を運んでくれるようになった祖父母の代までは、本当に隠れ里の暮らしだったと言う。
もう顔もおぼろな祖父は、幼い俺に昔話を聞かせながらシミジミと言ったものだ。
『外なんぞ、知らねばよかった』と。
閉じられた里の暮らしは、わずかながら外気に触れた。
新鮮な風が、知らない暮らしを、知らない考えを運んできた。
薄く開いた扉をくぐり抜け、やがて外に踏み出す者が出てくる。
彼らの多くは戻らなかった。
しかし、彼らは気まぐれに届く便りに載せて、未知の風だけは運び続けた。
まれに戻る者もいた。
彼らは多くを語らなかった。ただ、遠い目をして山の向こうを見つめるばかりだったと言う。
世代が変わり、やがて「外の世界」は怖れから憧れへと変わった。
飛び立つ翼と勇気を持つ者が、次々と里を後にした。
そして里はゆっくりと滅びていった。
俺が里を出たのは、15の時だった。
何度も大人達が会合を重ね、時には怒号が集会所の外まで響き、暗い瞳の大人達が、林の奥や夜の小屋で密かに集まる姿を、数少ない里の子どもである俺たち数名は、ただ見守っていた。
やがて決断の時が来た。
里は見捨てられた。
頑なな数名の老人達を置き去りにして、里の皆は山を越え、外の世界に新しい里を築くために旅だった。
その時の俺の心には、不安よりも期待があった。否、期待しかなかった。
一人では出て行けない。けれど、皆と一緒ならば。
里の皆と一緒ならば、他のどんな人とだって合わせて生きていけるだろう。
里の暮らしと変わらぬように、どんな大地でもきっと生きていけるだろう。
その時は、ただそう思っていた。里の皆も、きっとそう信じていた。
俺が再び山を越えたのは、齢30の時だった。
俺は外では生きていけなかった。
いつも心は里に帰りついていた。
里で暮らしたのと同じ年月を外で暮らした後、俺は再び山を越えた。
朝焼けの中、雪に覆われた里に一筋の煙が立っていた。
その光景を見下ろし、俺は理由の分からぬ一筋の涙を流した。
【写真撮影データ】
撮影時期:2004年1月
撮影場所:置賜
撮影機材:EOS KissD(初代)+SIGMA50mm(F10)
----------