3.変化と涙
ただの思い出話だったはずなのに、彼があんまり面白そうに突っ込んでくるからか、私の心は少しずつ重くなっていた。
「……も、おしまい! この話」
「なんで?」
「だって、修一くん、絶対、私のことバカにしてるもん」
あはは、と彼は面白そうに声を上げた。
「何でそう思うの?」
「知らないっ!」
ぷいっと彼の膝から抜け出そうとすると、ぎゅっと後ろから力いっぱい抱きしめられた。
「さくらが世間知らずな理由が、よーく分かった気がする」
「世間知らずで悪かったわねっ」
思わず涙声でムキになって言い返すと、彼は慌てて言い訳をした。
「ごめんごめん。泣くなよ」
「泣いてなんか、いないもん!」
そう言いながら、逆にいたわられた事で潤んでいただけの私の涙腺は決壊した。
別にそんなに悲しい訳でもなければ、こんな事くらいで泣くような泣き虫でもなかったはずなのに……、そう思いながら、ぽろぽろこぼれる涙を不思議に思って見つめる。涙のしずくがスカートに水玉模様を作っていた。
彼の指が私の涙をすっとぬぐった。
「さくら、ごめん」
私が何も言わずにいると、彼はそっと立ち上がった。背中の温もりがスッと消えた。
うそ! 泣いたらダメだった!?
悲しくないなんてウソだ。からかわれるのはいい。でも、おバカだと思われるのも嫌われるのも、やっぱりイヤだ。
修一くんに出会ってからの私の心は、まるでうっかりボタンを掛け違えたような感じでどこかおかしい。本当に、こんなくらいで泣くような私じゃ、絶対になかったのに。
涙が勢いを増して、さらにポロポロと私のスカートをぬらした。
すると、目の前が大きな影に覆われて、今度は前側からぎゅっと抱きしめられた。
「ごめん」
彼は、困ったように私の顔を覗き込む。
「さくらみたいな生粋のお嬢様に、俺みたいなおじさんでいいのかなって思ったら、つい……」
つい、いじめちゃった? それはないよ、修一さん。と思わず唇をとがらせた。
彼は、「二年でいいから社会に出てみなさい」と親に放り込まれた会社の元上司。正直、就職なんてする気はなかったから、親には随分抵抗した。でも、ホント、社会ってものを見る機会をもらえて良かったと思う。
彼と出会えたからってだけじゃなくて、何て言うか、やっぱり私は世間知らずだったなと思う。彼に言わせると、今でも世間知らずなんだろうけど。
そんな私は、三十台後半の彼と一回り以上も年が離れている。
「な……んで、そ…なこと、心配、す…の?」
やだ。恥ずかしっ。まともにしゃべれないじゃない。
しゃくりあげながら、でも、心を許し、こんな情けない自分を平気で見せられる相手ができたのは、もしかしたら喜ばしい事なのかも知れないとも思う。
だって友だちにすら、ろくに涙なんて見せたことがないんだもん。
「俺んちは、普通のサラリーマン家庭だし、むしろ、お金には割とシビアに育ったし、年はこんな上で……。
何とか大手企業に就職して同期で一番に管理職について、ようやくちょっとだけ自分も偉くなったななんて思ってたけど、さくらは堂々とコネ入社。俺なんて口も聞いたこともない社長と普通に話してるし。
見るからに育ちが良さそうで、世間知らずなお嬢様だったもんな」
コネ入社。
社長はじめ役員の方々まで、たまに私の顔を見に来る。「困ったことがあったら、何でも言いなさい」って言ってくれる。
大人なのに、社会を見て来いって言われたのに、あまりに守られた環境で、遠巻きに腫れ物にさわるように、私を伺い見る同僚や部長たち。
息苦しかった。
そんな中、彼だけが堂々と仕事を渡してくれて、平気で私を叱ってくれた。
「家の格とか考えたら、普通、恐れ多くて、さくらなんかと付き合えないよな?」
「そんな事、言わないでよぉ」
「ごめんごめん。だから泣くなって、さくら」
「それに、うちの親、そんな事気にしないし」
「だよな?」
彼は笑った。
「じゃなきゃ、結婚なんて許してくれっこないよな」
彼の笑顔がスーッと近づいてくる。
あ、キスされる、と慌てて目を瞑った。
私が好きなチュッてだけの軽く触れるだけのキスじゃなくて、ディープなそれ。
「……ん」
絡み合う舌が、さりげなく私の背中に回された彼の指先が、私の気持ちをガラリと変えてしまう。
さっきまでの、彼に拒絶されたような突き放されたような寂しい気持ちは、一瞬でどこかに行ってしまい、まるで雨上がりの空に虹が架かる瞬間のように、頭の中が幸せな色で染められていく。
こんな気持ちも、彼と付き合うまで知らなかった。




