10 科学と錬金術の結晶、フルーツたっぷりアイスクリーム
「あ~、何か暑いな~。アイスクリーム食べたいよ~」
私はテーブルの上にだらしなく身を預けて呟いた。
このところ晴れ続きで、気温が上がっているのだ。
母親のカティ曰く、空の様子から察するに、しばらく雨は降らないそうだ。
いつものようにヴィーの家に集まった私とラウルスは、額に汗を浮かべていた。
ヴィーだけは汗をかいていないものの、見るからに元気がない。
だけど私の言葉に反応して、ゆっくりと顔を上げた。
「あいすくりーむ? それはどういう食べ物なの?」
「簡単に言えば、牛乳と砂糖と果汁を混ぜて凍らせたおやつだよ!」
「氷に味を付けるの? 砕いた氷に果汁を掛けて食べている人なら見たことがあるわ」
「それはかき氷っていう別物! アイスクリームは混ぜることによって滑らかな口当たりになるの。あの感覚は格別なんだよね」
「口当たりが変わるなんて、錬金術みたいね。それはどうやって作るの?」
「基本は材料を混ぜて冷やすだけなんだけど……」
そこで私は言葉を切った。
アイスクリーム作りは口で言うほど簡単じゃないからだ。
それにしても今日は暑い。
まさかゲームの世界でこんなに温度差があるなんて思わなかった。
日本と違って、湿度が低いことだけが救いだ。
「あーあ。涼しいところでアイスを作って食べられたら最高なのにな~」
「涼しいところって言うと……氷の洞窟か?」
「氷の洞窟?」
聞いたことのないワードが出てきたので、私は首を傾げた。
ゲームをプレイしていた時には出てこなかった場所だ。
「その名の通り氷に覆われた洞窟で、一年中溶けないんだ」
よく遊園地に“マイナス何℃の世界”みたいなアトラクションがあるけど、あんな感じかな?
「いいね! そこなら涼しいしアイスも冷やすことが出来るし、一石二鳥じゃん!」
「でも、問題が一つだけあるわ」
「問題? 何?」
そう尋ねた私に、ヴィーが非常に言いにくそうな様子で答えた。
「氷の洞窟は、遠いのよ。ここからだと三日はかかるわ」
「三日!」
私は悲鳴みたいな声を出した。
この暑い中を三日も歩いてなんていられない。
日頃ろくに運動もしていないし、休み休み行けば三日以上かかってしまうだろう。
山猫亭の手伝いもしなければならない私に、そんな余裕はない。
しかもいくら涼しいからと言っても冷凍庫並の冷たさは期待できないし、アイスを作るにも時間が掛かりそうだ。
詳しく話を聞けばモンスターも出るようで、アイスのためにそんな労力をかけるのは面倒だ。
だけどどうしてもアイスは食べたい!
となると、ここでどうやって作るかを考えた方がいいかもしれない。
「一番の難関は、生クリームだよなぁ……」
生クリームは牛乳を遠心分離させて乳脂肪分を濃縮させたものだ。
「うーん、遠心分離器なんてないし、どうしよう……手動でかき混ぜればいけるか?」
「遠心分離器?」
「物を高速で回転させて、中身を分離させる装置だよ。それがあればすっごく便利なんだけどな~。手動だと時間が掛かるだろうなあ……」
嘆いていると、それを聞いたヴィーがあっさりと言った。
「それなら、あるわよ」
「えっ、あるの? 何で!?」
「ほら、例の海老の……アレを取り出すために作ったの」
「ああ、アレね……」
私とヴィーは、ラウルスに聞こえないように声を抑えた。
例のアレとは、前回ヴィーが錬成した“性転換エキス”のことだ。
何でも、海老のあるエキスを服用すると性別が変わってしまうのだとか。
エキスを抽出し終えた海老をクリームコロッケにして食べたところ、ラウルスは女性になる夢を見てしまった。
「生クリームはそれでいいとして。次はどうやって冷やし固めるか、だなあ。そもそもこの暑さじゃねぇ」
すると、ヴィーが私の顔を覗き込んだ。
「涼しいところじゃないと作れないのね? だったら、常に涼しくっていうのは無理だけど、一時的でいいのなら氷玉があるわよ」
氷玉というのは、熱さに弱いフモヤシという腐妖精を元気にするために使った、一種の冷却装置だ。
「その手があったか!」
私は再び元気を取り戻した。が、すぐに肩を落とした。
氷玉があれば部屋は涼しくなるし、氷玉に塩を加えて0℃以下にしたものでアイスを作ることも可能だ。
だけどそれはアイスというよりも、フローズンやシャーベットの方が近い仕上がりになるだろう。
氷玉よりももっと冷たいやつがあればいいのに。
……うん? ものすごく冷たいと言えば……
「そうえば、液体窒素でアイスが簡単に作れるって聞いたような気がする!」
液体窒素は金属の熱処理や、パソコンのCPU冷却装置などに使われる、マイナス196℃の液体状の窒素だ。
「チッソ……って何なんだ?」
「えーと……」
ラウルスの問いに、私の言葉が詰まった。
窒素と言えば元素記号がNで七番目の元素ってことくらいしか知らない。
そもそも、液体窒素ってどうやって作るんだろう?
確か作り方は……。
あ、思い出した! 空気を圧縮して冷やすと二酸化炭素はドライアイスに、酸素は液体窒素になるとかテレビで言っていたような。
昔はそういう理科実験の番組を見るのが大好きで、その中に液体窒素を作る実験もあったなぁ。
で、必要な物は……。
「うーん、魔法瓶みたいなものがあったら手っ取り早いんだけどなあ」
「魔法瓶?」
「えーとね、金属やガラスを二重にして、その間の空気を抜いて真空にした容器のことだよ」
パンパンに膨らませた風船を作り、その出口に魔法瓶を取りつけ、高圧の空気を移動させる。
すると、高圧の空気が魔法瓶の中に解放された事により、断熱膨張が発生し、急激に温度が下がっていく。
魔法瓶なので外界に熱が逃げる事もない。
これを何度か繰り返す。
断熱膨張で冷えた空気は液体化する。
先に液体化するのが酸素なのでそれを取り除き、残った空気をさらに冷やせば、再び液体化が始まる。
それが液体窒素、だったはず。
液体窒素を作った後は、凍らせたバナナをハンマー代わりにして釘を打ったり、風船を冷やしてしぼませたりしていた気がする。
……思い出せたのは良いものの、よくよく考えると手間が掛かるなあ。
私のわがままで何から何までヴィーを頼るのは良くないかも。
「ごめん、やっぱり自分で何とかするよ」
反省した私が提案を取り下げようとすると、ヴィーが小さく首を振った。
「いいのよ。アンナの発想は私にとって素晴らしいものなんだから。おかげで錬金術師として腕試しが出来るから、喜んでいるのよ」
くうっ、何ていい子なのっ!? 天使がっ、天使がここにいますっ!!
感謝の気持ちを込めて、ヴィーの柔らかな頬に頬ずりをして、それから液体窒素の作り方を説明した。
ヴィーはその説明をやけに真剣な顔で聞いている。そして、何か思い悩んでいる様子になったので、私は途中で話を止めた。
「どうしたの、ヴィー。ここまでで何か分かりにくいところがあった?」
「……いいえ、とても分かりやすいわ。でも、まるで錬金術のレシピみたいに順番が決まっているのね。アンナ、それはもしかして……ううん、何でもないわ。続きを聞かせて」
ヴィーのいつもと少し違う態度を不思議に思いながらも、私は説明を続けた。
話し終えてしばらくすると、ヴィーは何かを決心した表情をして、私にウインクをしてきた。
「じゃあ、まずはそのマホービンというものから作ってみるわね」
「よろしくお願いします! あ、液体窒素は素手で触ると危険だから、気を付けてね」
一瞬だけなら大した被害はないけれど、ずっと触っていると皮膚が壊死して、最終的には大変なことになってしまうのだ。
詳しくはグロい話になるので、割愛。
「えっ、危険なのか? だったら俺が代わりにやろうか」
危険と聞いて、ラウルスの顔色が変わった。
ヴィーが断ると、「エルヴィーラに何かあったら、アンナが悲しむ」とか何とか言っている。
おーい、人をダシに使わないでくださーい。
確かに、ヴィーに何かあったら悲しいけれど、そこで「お前が心配なんだ」とでも言えばラブストーリーが始まるだろうに、ラウルスったら本当に照れ屋だね。
案の定、ヴィーはラウルスの気持ちに全く気付かずに話を進めてしまった。
「でも、まだ出来るか分からないから、あまり期待はしないでね」
「うんうん。出来なかったら別の方法を考えるから、気にしないで!」
危険だから、との理由で、ヴィーは一人で錬金部屋に籠った。
暇な時間が出来た私とラウルスは棚に並んでいる何が入っているか分からない瓶の埃を払ったり、頑張っているヴィーに悪いとは思いつつ、ボードゲームをしたりして待った。
このボードゲームは錬金術師の生活を体験するゲームらしいんだけど、何故か水を汲んできて街の人に売ったり、良い水が湧く杯を割ってそこから湧いた水を売ったり、という内容だった。
……錬金術師って水売りばっかりなの!?
そしてきっかり三時間後、ヴィーが錬金部屋から出てきた。少し疲れた様子で、試みが成功したかどうかその表情からは分からない。
「ど、どうだった?」
「何とか出来た……はずよ。アンナが教えてくれたことをベースに、錬金術の知識を駆使してみたの。最初にマホービン? の中にうっすら青みがかった液体が出来たから、取り除いたわ。その後に出来たのがこれよ。どうかしら? アンナが言っていた液体チッソになっているかしら?」
分厚い手袋をした手で手招きをされ、私も錬金部屋に入る。
するとテーブルの上には小さな錬金窯があり、その中には白い煙が出ている液体が入っていた。
これが液体窒素かどうかを試すなら、実験方法はやっぱり花だよね。
私はヴィーに了解を取り、テーブルの上にある花瓶からヴィーの瞳に似た水色の切り花を一本拝借した。
その花びらの部分をゆっくりと錬金窯の中に挿し込む。
数秒後に取り出した花は、色がややくすんで見えた。
瑞々しかった花びらはまるでドライフラワーのように水分を失っている。
その花びらを手袋をはめた手で触ってみれば、パラパラと崩れていった。
間違いなく、液体窒素だ。
「すごいな。まるで魔法みたいだ」
「やっぱりヴィーはすごいよ。私なんかより、ずっと!」
ラウルスと私が手放しで褒める。私のやった確認作業をやけに真剣な目で見つめていたヴィーは、褒められたことに少しの間気付かず、慌てて頬を染めて照れくさそうに俯いた。
「これくらい、たいしたことないわよ。だって、他ならぬアンナのためですもの」
ぐ、可愛いっ! 嫁にしたい!
このままだと犯罪スレスレの行為に及びそうになったので、私は慌てて意識をアイスクリーム作りに戻した。
「よし、これで材料は揃ったね。さっそく作ってみよう!」
私は牛乳と砂糖と生クリームを小さめのボウルに入れ、かき混ぜて砂糖を加えた。
液体窒素を入れた大きなボウルに、材料を入れたボウルをそのまま入れる。
すると端の方から液体が徐々に固まってくる。
それを適度に混ぜながら全体を均一に冷やしていく。
アイスが固まったので、スプーンを使って器に盛り、フルーツとビスケットを添えた。たくさん盛ったので、ちょっとしたパフェみたいになった。
「出来た!」
「フルーツの色が綺麗ね!」
舌に乗せた瞬間にふわりと溶ける。
ほんのりした甘さと冷たさが喉を通り、身体の火照りを奪っていく。
「きゃっ! 冷たい! それに、すっごく甘いわ!」
「うん? 飲み込んでないのに消えてしまったぞ? 一体、どうなっているんだ?」
二人は初めて食べるアイスクリームにびっくりしてしまっている。
食べ物と言えば温かいイメージだから、違和感が拭えないのだろう。
ラウルスは意外と甘いものも好物なようで、チビチビと食べるヴィーとは違い、アイスをぺろりと食べてしまった。
空になった器をじっと見つめている。
……おかわりが欲しいのかな?
「ラウルス。アイス、まだあるけど、いる?」
「いいのか? じゃあ、いただこう」
私が声を掛けると、ラウルスの表情が目に見えて明るくなった。
どうやら自分からもっと食べたいとは言い出しにくかったみたいだ。
ラウルス、可愛いやつめ。
「アンナは、もういらないのか? まだ残っているぞ」
「おなかいっぱいで、もう食べられないよ~」
「私も遠慮するわ。これ以上食べたら、太ってしまうもの」
「そうか、俺はまだまだ食べられそうだ」
聞けば、ラウルスは昼食を軽くしか取っていなかったそうだ。
それなら、胃に余裕があって当然だ。
最初は遠慮がちにおかわりしていたラウルスだけど、結局、残っていたアイスを全部食べてしまった。
ボウル一杯に作ったので、おそらくファミレスのパフェで言えば、十人前はあったはずだ。
「ラウルス、さすがに食べ過ぎじゃないかしら? 豚みたいに太ってしまうわよ」
ヴィーはラウルスの食欲に呆れてちょっぴり苦言を呈した。
ラウルスはたくさん食べても太らない体質だ。
おそらくその引き締まった筋肉を維持するにはたくさんのカロリーが必要なんだろう。体型を気にする女子にとっては腹が立つ存在に違いない。
「そんなに食べて、お腹は大丈夫?」
「腹? どういう意味だ?」
私の質問に、ラウルスは訳が分からない、という顔をした。
「冷たいものを食べ過ぎるとお腹を」
壊すよ、と言いかけた時だった。
「うっ……!」
ラウルスが顔を歪めてお腹を押さえた。
その体がみるみるくの字になっていく。
「ト、トイレ!」
そしていきなりトイレに向かって走り出した。
「だから言ったのに……って、ちょっと遅かったか~」
そして案の定、ラウルスはトイレの住人になった。
忠告が遅かったのは、別に太らない体質のラウルスに腹が立った訳じゃないよ?
ほんとだよ?
なにはともあれ、その日から山猫亭には“アイスクリーム”というスイーツがメニューに載り、話題を集めることになったのだった。
■今回の錬金術レシピ
~液体窒素~
・空気
・風船
・魔法瓶
●アイスクリーム
・牛乳
・砂糖
・生クリーム
・フルーツ
・ビスケット
甘くて美味しかったな~! 今後はスイーツ作りにハマりそう!
■今日のラウルス君
スイーツ男子で腹を壊してトイレの神様状態。