9 性転換エキス入り、海老のクリームコロッケ
「ヴィー? いるー?」
ヴィーの家を尋ねると、返事がない。
だけど鍵は掛かっていなかったので、中をそっと覗き込んでみれば、部屋の真ん中に見慣れないものがあった。
石や水草が入った、大きな水槽だ。
中には赤い小さなものがたくさん蠢いている。
良く見るとそれは甘エビっぽい小さな海老だった。
「な、何これ!?」
思わず叫ぶと、水槽の反対側にいたヴィーが驚いた顔で私の元へ駆け寄ってくる。
「アンナ、来てたの?」
ヴィーは慌てた様子で入口の扉を閉め、私を部屋の隅に移動させて、壁際に追い詰めた。いわゆる“壁ドン”というやつだ。
わあ、壁ドンされるのなんて生まれて初めてだよ。
もしかして、とうとう口説かれちゃうパターン?
やっぱりヴィーって私のこと? この胸の高鳴りは一体何なの……!?
ヴィーは私の目を真剣な顔で見つめて、その形の良い小さな唇を開いた。
「お願い、この水槽のことは誰にも言わないで」
ああ、そういうことか……すみません、私の勘違いでした。
だけど私の耳元で囁くヴィーの髪の香りが、私の胸を更に高鳴らせた。
やばい、このままだとそっちの道へ一直線だ。
私は深呼吸をして心を落ち着けてから話を続けた。
「うん、分かった。誰にも言わないよ。でも、何なの? この大量の海老は」
「実は、今回の依頼者が送ってきたものなの。錬金術に使うのよ」
「……海老を? しかも、こんなに大量に?」
海老フライにでもするのだろうか。
そんな訳ないでしょ、とセルフでツッコんでいると、ヴィーが想像を軽く超えることを言った。
「この海老はね、成長すると性別が変わると言い伝えられている、不思議な種なの」
「うっっっそだぁ」
私は信じられない思いで言った。だけど、ヴィーの目は真剣だ。
え? これってもしかして、ヴィーが男の娘(いや、子か?)になって、やっぱり私が壁ドンされちゃう訳? もとがヴィーなら性別が変わっても美少年確定だし、ヴィーがそんなに私のことを想ってくれているなら、私も……!
「アンナ、私が使う訳じゃないわよ?」
私の妄想は、ヴィーのツッコミによって終わりを告げた。ああ、違うのか……って、何ちょっと残念がってるの、私っ!!
ヴィー曰く、それは成長すると性転換を行う不思議な海老なんだそうだ。この大量の海老から性転換に関わるエキスを取り出し、合成の材料にするのだそうだ。
「それで本当に性転換なんて出来るの?」
「近代錬金術理論からすれば、出来る……はずよ。ただ、こんな大量に不思議な海老を手に入れることは今まで出来なかったから、私にとっても初挑戦だけど」
とにかく面倒そうな依頼だということは分かった。
「誰なの、そんなこと依頼してきたのは」
「いくらアンナにでも言えないわ。それも契約の内なのよ」
どうやら契約料も高額で、守秘義務があるらしい。
これだけの海老を集めるのも相当なお金が必要だっただろうし、一体、どこのお金持ちが依頼してきたんだろう?
「そういうことで、この錬金術が成功するまでは錬金部屋に籠るわ」
「じゃあ、また差し入れ持ってくるね」
「ええ、ありがとう」
さっそく錬金を始めると言うので、私はヴィーの家を後にした。
そして翌朝また家を訪れると、ヴィーは昨日と同じ服のまま錬金を続けていた。
徹夜したらしく、食事を取った様子もない。
「ヴィー、朝ごはん持ってきたよ。少し休憩にしたら?」
「……」
ヴィーは何度話しかけても返事をしなかった。
まるで私の存在に気付いてすらいないようだ。
その集中力はすごく、鬼気迫るものある。
「無駄だよ。俺も何度か話しかけたけど、ちっとも気付いてくれなかったんだ」
背後から声が聞こえて振り向けば、肩をすくめたラウルスが立っていた。
その手にはいくつか錬金術に使えるアイテムがある。
先日、護衛の仕事に行くと言っていたラウルスに、ヴィーが頼んでいたものだった。
「大丈夫なのかな? 休憩も取らないなんて。身体を壊したら、錬金術だって失敗しちゃうかもしれないのに」
心配のあまりそう言うと、ラウルスは安心させるように私の肩をポンッと叩いた。
「大丈夫だ、アンナ。エルヴィーラだって自分の限界くらい分かっているはずだし、アンナの料理を食べないなんてことはありえないだろ。それに、今回の錬金術もきっと成功させるさ。何たって、錬金術を学ぶ学院でも将来有望と言われていたそうだからな」
ヴィーがすごいことはもう知っている。
今まで私が頼んだものをすぐに作ってくれたことで分かる。
何でもない風に作ってくれていたけれど、他の人だったらこうもうまくはいかなかっただろう。
そうだよね。きっとヴィーなら大丈夫。
私は、私に出来る限りのサポートをしよう。
まずはやっぱり差し入れだよね。錬金術の作業をしながらでも食べやすいものって何があるかな?
「アンナ、この後時間があるなら、お茶でも……」
「ラウルス、私先に帰るねっ!」
さっそく差し入れのメニューを考えたり、足りない材料を仕入れたりしなくちゃ!
こうしちゃいられない、と私は山猫亭に向かって走り出した。
ん? そういえば、さっきラウルスが何か言いかけていたような?
角を曲がる前にちらりと振り返ってみれば、ラウルスが肩を落として寂しそうに一人佇んでいるのが見えた。
結局、ヴィーはそれから一週間ほど家に籠もった。
その間、私は差し入れをし続けた。日替わりで具材を挟んだサンドイッチや、バーベキューみたいに食べやすく串に肉や野菜を刺したものなど、片手で食べられるものばかりだ。
そしてとうとう性転換の薬品を完成させたのだ。
依頼主は秘密裏に薬品を引き取りに来たらしく、私がヴィーの家に行った時には、全てが終わった後だった。
「あーあ。どんな人が依頼主だったのか、ちょっと見たかったなあ~」
正確には、依頼主が本当に性転換するのかどうかを見てみたいという気持ちが強い。
髭面のオッサンだったらどうしよう。
もし性転換が成功したら、髭はそのままなのかな、それとも消えるのかな?
そのままオバサンになってたら、笑えるよね。
「まあ、いいじゃないの。それよりも、海老が大量に余ったの。何か良い料理はないかしら?」
ヴィーはご機嫌だ。
錬金術がうまくいったことが嬉しいんだろう。
ヴィーが嬉しそうだと自然に私まで嬉しくなってくる。
そこで私は詮索を止めて海老の活用方法について考えてみた。
海老はサイズが小さいから、フライやてんぷらにするよりも刻んで料理に入れた方が良さそうだ。
「よし、海老のクリームコロッケにして食べちゃおう!」
「また私が知らない料理なのね。楽しみだわ!」
クリームコロッケはカニより海老の方が、味が濃厚になって美味しいのだ!
私は材料が豊富に揃っているキッチンを見回した。
カップラーメンで得た収入で買ったもので、高価だったり手に入りにくかったりする食材も揃っている上に、ヴィーに錬金術で加工してもらった食材もある。
ロングセラーとなったカップラーメンだけではなく、他の料理も山猫亭で好評を得ている。お昼のランチにはトイエカの餡かけスパ、牛のハンバーガー。夜は醤油を使ったモツ煮、パリパリポテトチップス、量産型たこ焼き&アヒージョ。
人気が人気を呼び、山猫亭の客は増える一方だ。両親はすごく忙しそうに動き回っていて、私も手伝いをすることが増えた。最近は同じ料理ばかり作っていたので、久々の新メニューにワクワクする。
私はタマネギ、バター、小麦粉、牛乳、塩コショウ、卵、パン粉を用意した。
海老はやはり、見た感じ普通の海老と何ら変わりはない。
一体、どこのエキスをどう使ったのかは気になるけれど、聞かない方がいいだろう。
性転換に必要なエキスなんて、無駄な知識もいいとこだ。
まずはみじん切りしたタマネギを炒める。
タマネギが透き通ってきたら、バターを入れて溶かし、小麦粉を加える。
マッシュポテトみたいな柔らかい塊になったものに温めた牛乳を少しずつ入れて伸ばし、味付けをしてホワイトソースを仕上げる。
横で私の作業を見守っていたヴィーが、たまりかねたように手伝いを申し出てくれた。
「何か私に出来ることはない?」
「じゃあ、これを冷やしてもらえる?」
「分かったわ!」
私はホワイトソースを錬金術で冷やしてもらった。
そうすると成形しやすく、更に揚げやすくなるのだ。
次に殻と背ワタを取った海老を適度に切り、冷やしたタネに混ぜ込む。
最後に小麦粉、卵、パン粉を付け、170℃に熱した油に投入した。するとジュワッという音と共に油から泡が発生し、やがて香ばしくて食欲をそそる匂いが辺りに漂ってくる。
「もうすぐ出来るよ~」
「じゃあ、ラウルスも呼んでくるわね」
「あ、そうだね! ヴィーってば、やっさしい~」
「先日、材料を採集してくれたお礼よ」
ヴィーはわざとしかめっ面をしてから家を飛び出していった。
やっぱり優しい子なんだなあ。
可愛いし錬金術師としても腕がいいし、ほんと私が男なら放っておかないな。
ラウルスは家にいたようで、ほどなくしてヴィーと二人でやってきた。
「いい匂いがするな」
「でしょ? 今揚がったところだから、二人とも座って座って!」
サラダ菜を盛った皿に、揚げたてのクリームコロッケを盛りつけていく。
作っている間にお腹が減ってしまった私は、一足先に頬張った。
外側の衣はカリッ、中はトロッとしている。
海老がたっぷり入った濃厚なホワイトソースは、自分でも最高の出来だと思う。
「うわ、おいしーいっ! ほら早く、二人とも食べてみて! 熱いから気を付けてね」
私に勧められるまでもなく、二人はクリームコロッケを口にする。
「中が柔らかいわ! 一体何で出来てるの?」
「バターと小麦粉だよ」
「外側のカリカリはどうやって作ったんだ?」
「パン粉を付けて揚げてるだけだよ」
今日も二人は美味しいと褒めてくれる。
調子に乗った私は、野菜とコロッケをパンに挟み、ソースを掛けて二人に渡した。
「これもまた美味しいわね」
「外で食べたら更に美味そうだ」
確かに、コロッケパンでピクニックなんて楽しそうだ。
海老はまだまだあるし、ヴィーに錬金術で冷凍してもらって、今度採集に行く時に作ろうかな。
「いい考えかも。今度ヴィーの採集に行く時は持って行こうか!」
私の同意に、二人の顔に笑顔が弾けた。
余ったコロッケは各自に分配して、その日は解散となった。
その二日後。
ラウルスが悩ましい顔をしてヴィーの家を訪ねてきた。
「どうしたの、ラウルス。元気ないじゃん」
ヴィーが温かい飲み物を私たちに振る舞ってくれる。
それを一口飲んで深呼吸したラウルスは「実は……」と口を開いた。
「海老のクリームコロッケを食べた日の夜、不思議な夢を見たんだ。俺の胸が膨らんで、女になったような気分になる夢。心なしか大事な部分が軽くなってしまった気もしたんだ。次の日、起きたはずなのにまるで夢を見続けているような気分になってさ。気持ち悪かったから、昨日はずっと寝込んでいたんだ」
「え、大丈夫なの?」
「ああ。今は大丈夫だ。だけど、何でそんな夢を見たのか……」
苦悩するラウルスを見ながら、私はヴィーに耳打ちをした。
「まさか……料理した海老に残っていたエキスが効いたんじゃ……?」
すると、ヴィーは我が意を得たり、という風に頷いた。
「私の理論は正しかったみたいね。依頼主から結果は伝えられていないけど、クレームもないようだし。……私も飲んでみようかしら……」
いやいや、今はそんな話をしている訳ではなくってさ。
そうツッコみたい気持ちをぐっと堪えた。
私は男になる夢を見てはいないけど、人によって効果の度合いが違うのかもしれない。今度食べた時、男になってしまったらどうしよう?
マッチョになったり、髭が生えてきちゃったりするかも。
「とにかく、あの海老はもう二度と食べない方がいいんじゃない?」
「確かに……」
眉を寄せて考え込むヴィー。
「貴重な海老みたいだし、めちゃくちゃ美味しかったけどさ。何か事故が起きちゃったら、その人が大変なことになっちゃうし。ヴィーが男の子になっちゃったら、嫌だし」
一瞬それもいいかもしれないと思ったことはあったけど、やっぱりヴィーは女の子のままがいい。私は可愛くていい匂いがする女の子のヴィーが、私は好きなんだから。
「そうね。無理にそんなことしなくても、アンナとこうすればいいだけね!」
ヴィーは私の言葉を聞いて嬉しそうに微笑み、後ろから抱きついてきた。背中にヴィーが頬をスリスリしているのを感じる。
「ちょっとヴィー! くすぐったいじゃない!」
ちっとも嫌そうに聞こえていないだろうってことは自覚している。
イチャイチャしている私たちを見て、ラウルスは困惑した表情を浮かべた。
「何の話だ?」
「いや、こっちの話だから」
「女だけの秘密よ」
目配せしあう私たちを見て、ラウルスは寂しげに溜め息をついた。
■今日の錬金術レシピ
~性転換~
・海老
・?
●海老のクリームコロッケ
・海老
・バター
・小麦粉
・卵
・パン粉
・塩コショウ
・ソース
やっぱりクリームコロッケはかにより海老だね! 今日も大成功☆
■今日のラウルス君
うっかりちょっぴり女性になりかけて悩ましげ状態。