飼い主
《サイド:栗原徹》
「こんなところで戦闘を?」
実際に戦局がどう動いているのか僕にはわかりませんが、
何となく共和国軍の勢いが強まっているように思えますね。
徐々にですが陰陽師軍を押さえ込み始めた頃に戦場の騒ぎを聞き付けた僕は、
遠方から両軍の戦闘を眺めることにしました。
「ここまで共和国軍が進軍しているということは、国境の砦はすでに陥落したということでしょうか?」
砦への攻撃を放棄して進軍しているとは思えません。
なのでここに共和国軍がいるということは砦の制圧は完了済みということだと思います
…ですが。
王都まで進軍する部隊としては小規模のように思えます。
ざっと見て1万を超える程度でしょうか?
アストリア軍の規模と比べてみると、
どう考えても半分以下にしか見えません。
これでは王都の制圧は難しいのではないでしょうか?
「ここにいるのは偵察部隊か…あるいは先行部隊と考えるべきでしょうか」
基本的に軍に知り合いと言える存在はいませんので、
見た目だけで誰の部隊なのかは判断のしようがありません。
実際に合流して指揮官と面会することができれば色々と話を聞くことも出来るとは思うのですが、
そのためには戦闘中の共和国軍に接近しなければいけないということになってしまいます。
「上手く合流できるでしょうか…。」
不安を抱えながらも戦場への接近を試みてみたのですが。
共和国軍は陰陽師軍に取り囲まれつつあるせいで、
合流する為には陰陽師の部隊を突き抜ける必要がありそうに思えます。
「共和国軍の背後まで回り込めれば、まだ敵の数は少ないように見えますが…」
あくまでも少ないというだけで0ではありません。
他よりはマシだと思うだけで、戦闘は避けられないでしょう。
それでも敵軍の真っ只中を進むよりは安全のはずです。
よっぽど運が悪くない限りは突き抜けられると信じて共和国軍の背面へと回り込んでみるのですが。
少なくない数の陰陽師達も共和国軍を包囲しようと動いているために、
後方に移動するのも難しそうでした。
「それでも行くしかないですね」
合流しなければ天城さんとの約束が果たせません。
兵器の情報を届けることができないのです。
「数分程度なら今の魔力でも耐え切れるはず!」
覚悟を決めて戦場へと駆け出すことにしました。
「10分…いえ、5分だけ耐え切れればっ」
自分に言い聞かせて走り続けようとしたのですが。
「魔術師がいるぞーー!!!」
僕の姿に気付いた陰陽師達が一斉に襲い掛かってきました。
「「「殺せーーっ!!!」」」
くっ!
さっそくですか…。
迫り来る陰陽師達の動きに視線を泳がせながら、防御用の魔術を展開しました。
「エレメント・ガード!!!」
魔力の節約を考えての中級補助魔術です。
属性攻撃を防ぐ盾を発動させて、まっすぐに走り続けようとしました。
…ですが。
やはり突破は難しいようですね。
「急々如律令!風神召来!!!」
「急々如律令!雷神逆鱗!!」
2種類の護符が放たれて、僕の展開する防御結界に襲い掛かってきたのです。
陰陽術による風と雷ですね。
激しい旋風と雷撃が結界に降り注ぎました。
「耐え切れるでしょうか…っ?」
結界で攻撃を受け止めようとしたのですが、
魔術は一瞬で砕かれて、盾はあっさりと消失してしまいました。
うあああああああああっ!?
防ぎきれなかった衝撃を受けてしまい。
前方に進むどころか、
後方へと吹き飛ばされてしまったのです。
「くぅっ!」
やはり複数同時は厳しいですね。
単一であれば耐え切れたと思いますが、複数同時は無理でした。
即座に回復魔術を発動して体勢を整えてから逃げ出そうとしてみるのですが、
陰陽師達は容赦なく襲い掛かってくるようです。
「死ねーーーーっ!!」
突撃して来る陰陽師。
次々と放たれる護符を見た僕は焦りを感じてしまいました。
「どうすれば…っ?」
敵の動きを封じるだけの攻撃力がないのです。
並の兵士達であれば足止め程度は簡単ですが、
相手も遠距離攻撃の使い手なのです。
足止め程度では逃げ切れません。
「急がないとっ!」
焦りを感じて戸惑っている間にも迫り来る陰陽師達。
その様子を眺めながら必死に打開策を考える僕の足元に、
不意に一匹の小猫が接近してきました。
「みゃ~♪」
のんきに鳴き声を上げる小猫が足元にいるのです。
「どうしてこんな時に…っ!?」
どこにいようと猫の自由だとは思うのですが、
陰陽術の射程範囲にいるのは危険すぎます。
「暴れないでくださいねっ」
さっと小猫を拾い上げて、一目散に駆け出しました。
放っておけば巻き込まれて死んでしまうからです。
猫の命を考えていられるほどの余裕はないのですが、
だからといって見殺しにすることもできません。
「逃げますよ!」
言葉が通じるとは思いませんが、
それでも子猫に一声かけることにしました。
…ただ。
拾い上げてからすぐに感じた疑問があるのですが、
本来ならあるべき体重を一切感じません。
不思議なほどに重さを感じないのです。
「子猫とは言え…これは…?」
どう考えても不自然です。
普通なら1キロ程度の体重はあるのではないでしょうか?
「餌にありつけていない…という程度の話ではありませんよね?」
単に軽いだけであれば何も思わないのですが全く重さを感じないのです。
「まあ、今は気にしている場合ではありませんね」
走るにあたって支障はないのです。
重くて苦労するよりは軽くて運びやすい方が有難いのは事実ですからね。
…などと。
そんなことを考えている間に、
真っ白な小猫は気楽そうに鳴き声を上げていました。
「みゃ~♪」
とても可愛らしい鳴き声です。
ですが子猫が鳴いたその直後に。
「何だっ!?」
「何が起きたっ!?」
戸惑う陰陽師達の声が聞こえてきたことで、急いで背後を振り返ってみました。
「えっ!?」
どういうことでしょうか?
戸惑う僕が見たもの。
それは宙を浮く陰陽師達の姿だったのです。
「何が…?」
何が起きているのでしょうか?
驚き戸惑う僕が足を止めてしまった次の瞬間に。
「みゃ~♪」
再び小猫が鳴くのと同時に、
『ドドドオォォォォンンン…!!!』と、
陰陽師達は地面に強く叩き付けられていました。
周囲に響く大きな激突音。
落下による衝撃によってうめき声を上げる陰陽師達は
ほぼ全員が意識を失ってしまったようでした。
「全滅…?」
突然起きた異常な状況が理解出来ずに足を止めてしまった僕に、
見たことのない少女が駆け寄ってきてくれました。
「大丈夫ですか!?」
心配そうに僕を見上げる少女の表情は
どことなく愛里ちゃんと似ているような気がします。
「きみは…?」
問い掛けてみると、
少女は笑顔で答えてくれました。
「私は深海優奈です。その子猫の保護者です」
保護者?
ああ。
飼い主ということですね。
深海さんが手を伸ばすと、
小猫は嬉しそうに手の上に飛び移りました。
「みゃ~♪」
幸せそうに鳴き声をあげながら擦り寄る子猫。
これらの行動を考えれば、
この少女が子猫の飼い主なのは間違いないでしょう。
…ですが。
僕に分かるのはそれだけです。
陰陽師が倒れた理由も、
子猫が戦場にいる理由も理解できていません。
いまだに状況が理解出来ないのですが、
そんな僕に深海さんは説明をしてくれるようでした。
「追われているのが見えたので、この子に救援をお願いしたんです」
深海さんはもう一度僕に子猫を見せてくれました。
「この子、見た目は小猫ですけど、これでも精霊なんですよ」
はぁっ?
微笑む深海さんを見て、僕は更に混乱してしまいました。
どう見ても精霊には思えないからです。
「精霊、なのですか?」
「はい。そうです」
………。
本当にそうなのでしょうか?
確かに体重は感じられませんでしたので普通の子猫ではないのかもしれません。
ですが、精霊であるはずがありません。
精霊は魔力で具現化する魔術の一種だからです。
姿形がどうかに関係なく。
鳴き声をあげるなどという行動は絶対にありえないのです。
それなのに。
「精霊が声を…?」
今でも子猫は当たり前のことのように鳴き続けているのです。
それも子猫らしい仕草まで真似ているのです。
こんなことがありえるのでしょうか?
予想外の出来事に驚いてしまったのですが、
子猫の行動に関しては深海さんにも説明出来ないようでした。
「えっと、この子はちょっと特別な存在みたいです」
特別…ですか。
それはそうなのかもしれませんが、
どういう原理で動いているのかとても気になりますね。
ですが説明を断念した深海さんは慌てるような雰囲気で僕の手を掴みとりました。
「話はあとにして、今は逃げませんか?」
え?
あ、ああ、はい。
そうですね。
確かにのんびりと話し合っていられる状況ではありませんでした。
まだまだ頭の整理は追いつかないものの。
それでも僕は他の陰陽師達が迫っていることを思い出して、
急いで気持ちを切り替えてから深海さんと共に走り出すことにしました。
…ですが。
やはりそう簡単には逃げきれないようです。
「逃がすな!!」
「追えーーっ!!!」
追撃して来る陰陽師達が背後から迫ってきているからです。
「逃げきれませんね…っ」
不安を感じて呟く僕のすぐ横を…
「ファイアー・ボール!!!」
突如として炎の球が通り抜けました。
地面に着弾して火柱を上げる炎が陰陽師の体を焼き尽くします。
その攻撃が牽制となったのか、
陰陽師達から距離を稼ぐことには成功したようです。
「…助かったのですか?」
もっとも接近していた陰陽師が倒れたことで僅かに余裕の生まれました。
そして再び前方に視線を向けてみたのですが、
そこには深海さんとそれほど変わらない年頃の少女がいました。
「優奈!早く早くっ!」
大声で叫ぶ少女に、深海さんは笑顔を向けています。
「ありがとう♪悠理ちゃん!」
微笑む深海さんのすぐ側を、今度は一人の女性が通り抜けました。
「あとは任せて!」
僕達と入れ替わって陰陽師へと攻め寄る女性は、
恐れることなく陰陽師達に立ちはだかっています。
後ろ姿だけでははっきりとはわかりませんが、
服装から推測するとどうやら軍に所属する指揮官のように思えます。
「国境警備隊の名にかけて!背後の守りは絶対に崩させないわっ!!サンダー・ストーム!!!」
激しい雷撃が両手に現れて陰陽師達の一団へと襲い掛かりました。
「ぐあああああっ!?」
「うああああああっ!?」
雷撃を受けて倒れる陰陽師達。
その掃討の為に、後方に控えていた魔術師達が魔術を放っています。
一斉に放たれる無数の攻撃魔術。
複数の魔術が生み出す爆音と衝撃を受けたことで、
僕を追撃してきた陰陽師達の部隊は壊滅したようですね。
それでも周囲に対する警戒は揺るぎません。
「まだまだ来るはずよっ!全部隊!迎撃準備!!」
敵の進行に備えて、共和国軍はさらなる迎撃体勢を整え始めました。




