一人で先行
《サイド:栗原徹》
はあ…。
本当に僕でいいのでしょうか?
色々と考えてしまって、
どうしても不安を感じてしまうのですが、
それでも今は案内図に記されていた階段に向かって歩みを進めることにしました。
距離的にはそれほど遠くないと思うのですが、
それでも片道5分程度はかかるでしょうか?
幾つかの部屋の前を通り抜けて階段を目指しているのですが、
時刻が夜のせいか他の職員の方々とすれ違うことはありませんでした。
「誰もいませんね」
「ええ、そのようですね。ですが…」
問題の階段がすぐに見つかったことで朱鷺田さんが足を止めました。
左右に別れた通路の左側に向かえば階段にたどり着けるのですが、
そこには予想通り多くの警備兵達によって封鎖されていたからです。
兵士達の人数はざっと20名ほどでしょうか。
決して広くはない通路を屈強な体格の兵士達が油断することなく監視しているのです。
気づかれずに通り抜けるというのは、
まず間違いなく不可能だと思います。
「一旦、様子を見ましょう」
「そうですね」
立ち止まった朱鷺田さんの隣に並び、
曲がり角の手前で身を潜めながら兵士達の様子を偵察することにしました。
「これからどうするんですか?」
一歩踏み出せば兵士達の視界に入ってしまう状況ですので、
手短に打ち合わせを行うことにしました。
「私と栗原さんでは所属が違いますので、一旦、別行動をとったほうが良いでしょう。」
ええ、そうですね。
そのほうが無難な気がします。
「二人同時では不審に思われるかもしれませんので、まずは栗原さんが先に地下に向かってください。何かあれば即座にあとを追いますが、出来る限り一人での突破を心掛けていただけるとありがたいですね」
一人で、ですか。
少し…と言うか、かなり不安なんですが、僕が先行で良いのでしょうか?
「何をどうすればいいのか、僕には全く分からないのですが?」
せめて見本でもあれば…。
例えば朱鷺田さんに先行していただくなどの成功例を確認すれば僕でも行けると思うのですが、
それではダメなのでしょうか?
「僕があとではダメですか?」
「ダメというわけではありませんが、私が先行してしまった場合に、もしも栗原さんに何かあっても助けに戻れる可能性が低いように思います。あまり何度も警備を通り抜けるわけには行きませんし、少しでも疑いをかけられてしまったら潜入作戦は失敗しかねません。ですので、私が後方について援護できる状況を維持するのが最良かと思います」
ああ、なるほど…。
そう言われてみるとそうかもしれません。
僕の不手際を助けてもらうためには
後方で見守ってもらったほうがいいように思えます。
なので朱鷺田さんの意見はもっともかもしれません。
ですが。
納得してしまったせいで、
僕の表情は緊張でガチガチに固まってしまいました。
本当に僕が先行していいのでしょうか?
警備兵と対面すること自体にも恐怖も感じてしまうのですが、
それ以上に僕の失敗によってみなさんに迷惑をかけてしまうのではないかと考えるだけで不安がこみ上げてしまいます。
「だ、大丈夫でしょうか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
不安を感じる僕の表情を見たことで、
朱鷺田さんは笑顔を浮かべながら僕の肩をポンポンと叩いてくれました。
「そんなに緊張する必要はありませんよ。堂々としていれば良いのです。もしも警備兵に何か聞かれても『仕事だから』と答えれば良いですし、内容を問いかけられても『機密事項』と答えればいいだけの話です。それが当たり前のことのように堂々と通り抜ければ良いのです。ですから、落ち着いて、ゆっくりと、地下に向かって下さい」
仕事だから恐れる必要はないと朱鷺田さんは言ってくれました。
確かに実際の職員であれば地下に向かうのは当然ですし。
警備兵を恐れる必要はありません。
何らかの質疑応答はあるかもしれませんが、
極秘任務だから答えられないと突っぱねれば押し通ることができるかもしれません。
「堂々と、ですよね?」
「ええ、そうです。なに食わぬ顔で堂々としていればいいのです。下手に言い訳を並べ立てるよりも、逆に拒絶するくらいのほうがちょうどいいんですよ」
そ、そうなのでしょうか?
さすがにそこまで強気な態度を維持する自信はないのですが、
挙動不審な態度を見せれば疑われてしまうというのは何となくわかります。
「なんとか、頑張ってみます」
朱鷺田さんの説明を受けた僕は何度も深呼吸を繰り返してから一度だけ大きく頷きました。
「行きます!」
警備を突破する覚悟を決めて、一歩を踏み出します。
『コツッ…コツッ…』と足音を立てながら歩む通路。
徐々に近づく僕の姿を警備の兵士達がじっと見つめているようですね。
現時点ではまだ警戒されていないようですが、
ここでの対応次第で僕達の今後の方針が変わってしまうことになります。
決して失敗はできません。
僕にとっての緊張の一瞬。
互いに無言の時間が流れるなかで、僕の歩く足音だけが通路に響いています。
それでも立ち止まることはせずに、一歩一歩、確実に階段へと近付きました。
内心では心臓が張り裂ける思いで歩みを進めているのですが。
疑われることがないようにと心がけて、
堂々とした態度を意識しながらゆっくりと歩き続けました。
兵士達に悟られない為にです。
落ち着いた雰囲気を保つことを最優先に考えながら地下へ続く階段へと差し掛かかります。
そんな僕の様子を眺める警備の兵士達は特に声を掛けようとする様子がありません。
階段を下ろうとする僕を無言で眺めているだけです。
もしかしてこのまま通り過ぎることができるのでしょうか?
何らかの理由で呼び止められて質問攻めにあうと思っていたのですが、
そうではないのでしょうか?
警備兵達は僕を呼び止めようとしません。
むしろ気にも止めていないように思えます。
だとすればどうやらこのまま無事に通れそうですね。
そんな雰囲気を感じて、ほっと息を吐いた瞬間に警備兵の一人が僕に声を掛けてきました。
「こんな時間から、お仕事ですか?」
うっ!?
警備兵の言葉によってビクッと体が震えそうになるのを辛うじて堪えた僕は、
足を止めて背後の兵士に振り返りました。
「え、ええ。上からの命令でして…」
曖昧に答えるのがやっとでしたが、
それでも警備兵は微笑みを浮かべてくれました。
「大変ですね。あまり人のことは言えませんが頑張って下さい」
呼び止めるどころか、何故か応援されてしまいました。
理由はよくわかりませんが、
人のことは言えないという言葉の内容を考慮すれば、
おそらく自分も苦労しているということを言外に表しているのかもしれません。
「お互いに大変ですね」
気を使って答えてみると警備兵は苦笑していました。
どうやら夜の見張りに疲れているようですね。
ですが、その気持ちはなんとなくわかります。
警備する必要があるとわかっていれば頑張れもしますが、
来るかどうかわからない侵入者を警戒してずっと立っているだけというのは精神的に疲れるでしょう。
それも連日となれば嫌になってくると思います。
まあ、だからこそ気が緩んで警戒心が低下しているのだとも思いますけどね。
侵入者である僕をあっさりと通してしまうほどなのです。
必要以上に緊張しなくてもいいのかもしれません。
そんなふうに思いながら警備兵に会釈した僕は、
緊張感から解放されて階段を下りることができました。




