お爺さん
《サイド:朱鷺田秀明》
少し遅めの朝食を終えた私は宿の外で休憩していました。
「ここは静かな町ですね。」
外の風に当たりながら静かな時間を過ごしているところです。
この行動に理由なんてありません。
何となく外にいたい気分だったというだけです。
…と言っても。
部屋に戻るのが嫌だとかそういう意味ではありません。
単純に日差しの下で休憩したかっただけです。
もう少し時間があれば町の中を散策して寄りかかれそうな木を探して居眠りでもしたいところですが、
さすがにそこまでの余裕はありませんからね。
今は外の空気を吸いながら春の風を感じることで満足しているところです。
「アストリアはまだ桜が咲き始めたばかりですね」
共和国ではすでに満開の桜ですが、
気候の関係なのか、こちらはこれから桜の花が咲き始めるようです。
現時点で5分咲きといったところでしょうか。
あと数日もすれば満開になるでしょう。
「そう言えば今年はまだ花見をしていませんでしたね」
色々と仕事に追われてしまって、
こうしてのんびりと桜を眺める余裕はなかったように思います。
「いつもこうならと思うのは贅沢な悩みなのでしょうか…」
戦争などなく。
互いに手を取り合うことができてさえいれば、
この平和なひと時は維持できると思うのですが…。
現実はそうそう上手くは行きませんね。
「一体、いつまでこの争いは続くのでしょうか」
そんなふうに考えていると、
ゆっくりと歩み寄ってくる足音が聞こえてきました。
「休憩中?」
話しかけてきたのは三倉さんです。
「ええ、そうですよ。こうしてのんびりと出来るのも、今だけですからね」
午後からは王都に潜入することになります。
そうなればもう、生きて帰れる保証さえありません。
「今のうちに体を休めておこうと思いまして」
「ふ~ん。まあ、それはそうなんでしょうけど。はた目で見てると日向ぼっこしてるお爺さんって感じに見えるわよ?」
ははっ。
お爺さんですか。
そうかもしれませんね。
「ギルドでもよく言われますよ。もう少し威厳を持って欲しいとね」
「あ~、それは分かるかも。ギルド長っていう肩書きの割には偉そうじゃないし、威厳とかそういうのは感じないわね~」
ははははっ。
そうですね。
自分でもそういう覇気はないと思います。
「どうも堅苦しい雰囲気は苦手でして。気楽にしていたいんですよ」
「それでいいんじゃない?無理して偉そうにする必要はないと思うし」
「ええ、私もそう思いますよ。ですが、周りはそう思ってくれないから大変なんですけどね」
「主に精神的な意味で?」
「そうですね。慣れないことをしようとすると疲れますからね」
「それでよくギルド長になれたわね~」
「他に適任者がいなかっただけですよ。」
「そうなの?でも、頼れる男性っていう雰囲気はあると思うわよ」
どうでしょうね?
「自分では分かりませんから」
「まあ、そうかもね~」
ははっ。
「それよりも、三倉さんは素直な方ですね」
「ん?どうして?」
「普通、そこまではっきりと話す方はいませんから」
「ぁ、あ~、ごめん。」
「いえいえ、そのほうが気楽でいいですよ」
「ん~。私って思ったことをすぐに言っちゃう性格だから、結構ずばずば言っちゃうのよね~」
「それはそれで大変そうですね」
「まあね~。」
「主に精神的な意味で、ですね」
「あはははっ。しょっちゅう怒られたり喧嘩したりするのよね~。学習しないとも言われるけど、隠し事をするのとかって苦手なのよ。あ、もちろん仕事は別よ?任務に関しては拷問を受けても話さないわ。まあ、その反面、余計なことはがんがん言っちゃうんだけどね」
「ははははっ。面白い人ですね」
「ふふっ。よく言われるわ」
笑顔で笑い合っていると、三倉さんは私の隣に並んで座りました。
「ねえ。話のついでに聞くけど、あなたはどうして護衛なんて仕事を引き受けたの?」
「それはどういう意味ですか?」
「どう、って言うか、本当なら誰かの下につくような役職じゃないでしょ?」
ああ、そのことですか。
私は魔術師ギルドのギルド長です。
父親はマールグリナの知事を務めていますし、
母親もそれなりの地位にいます。
世間一般的に考えれば、
それだけの地位にいる人物がなぜ他の町の一生徒に大人しく従っているのか?
それが分からないのでしょう。
「どうして、というほどでもないんですけどね」
三倉さんの問い掛けに、私は迷うことなく答えます。
「誰に従うとか、誰を従えるとか、そんな些細なことには興味がないんですよ。」
必要であれば協力し合う。
ただそれだけのことですから。
そう言って微笑みました。
もちろん嘘ではありません。
実際にどうでもいいと思っているからです。
今回のことに関して言うなら名目上は天城さんの下という扱いですが、
厳密に言えば天城さんの護衛という立場です。
彼を守るという役目において上下関係など存在しませんし。
任務を請け負った時点で彼に従うのは必然的な流れになります。
「知事や代表であればいいとか、生徒や一般人では駄目だという問題ではないのですよ」
「ふ~ん。変わってるわね~」
「私に威厳はありませんから」
「ふふっ。結局、そこに戻ってくるわけね。貴方らしいっていうべきかしら?」
ええ、そうですね。
ですが私にも意地はあります。
最低限、礼儀を知らないようでは手を貸す気にはなれません。
「上下関係はともかく、彼はちゃんと礼儀をわきまえていますよ。他者を見下すようなことはしていませんし、学園での騒動に関しては多少やりすぎな気はしましたが、必要な『選別』だったとも思っています」
「ん?どういうこと?」
あくまでも推測でしかありませんが…。
「彼の行動は暴力的ではありましたが、必要以上の犠牲を出さない為にわざと厳しく接したのでしょう」
元々は一人で行くつもりだったのかもしれませんね。
「彼は一人でも多くの魔術師を守る為に、あえて挑戦的な態度で協力を拒むことで彼等を死なせないように強引に追い払ったのでしょう」
「へ~、そうなんだ?全然、気にしてなかったわ。私だってあの時の言動にはムカつくと思ってたから、ぶっ飛ばしてくれて清々してたんだけど」
ははははっ。
「まあ、口数の少ない所が誤解を招くのかも知れませんね。」
ですが、彼の行動を見て、私は彼を気に入ったのです。
彼に手を貸したいと自然とそんなふうに思えたのです。
「ふ~ん。そうなのね~」
納得してくれた様子の三倉さんに、今度は私が問い掛けることにしました。
「反対に聞きますが、三倉さんは何故この作戦に?」
彼の護衛任務を引き受けた理由を問い掛けてみたことで、
三倉さんは何故か淋しそうな表情を見せました。
「言いにくいことであれば、無理には聞きませんが…」
「ん~、言いたくないとかそういうことじゃないんだけど、どう説明すればいいのかな?私には兄がいたんだけどね。もう5年くらい前になるのかな?この国への潜入作戦に参加して、それ以来行方が分からなくなったのよ」
「5年前…ですか?」
嫌な予感がしますね。
もしも私の想像と同一であれば、
三倉さんの兄の行方を私は知っているかもしれません。
そう思えたことで、少しだけ過去の出来事を思い出してみました。
あれは…そう。
何度も何度も…
それこそ何十回と繰り返されている潜入作戦の一つです。
ですが全ての作戦はことごとく失敗してきました。
今回の砦への潜入が初成功と言っても良いでしょう。
それほど数え切れないほどの作戦を過去に実行してきたマールグリナの歴史の中でも、
5年前の作戦は私にとって最も辛い思い出と言える内容になります。
20名を越える精鋭を集めて行われた潜入作戦だったからです。
ですが作戦は失敗。
生き残ったのは僅か3名だけでした。
その内の一人が私になります。
「一応、聞いてもいいですか?そのお兄さんの名前は?」
「三倉健一よ」
ああ、やはりそうでしたか…。
「あなたは彼の妹でしたか…」
「えっ!?兄のことを知ってるの!?」
戸惑う様子の三倉さんに事実を伝えることにしました。
「同じ潜入作戦に参加していましたので…」
「教えてっ!」
知っていると言い切るよりも先に、
三倉さんが力を込めて掴み掛かってきました。
「兄は!兄はどこに!?」
期待させて申し訳ないのですが、
その質問には答えられません。
さすがに行方に関してまでは知らないからです。
「分かりません。王都への侵入の際には別行動でしたので…」
問い詰めてくる三倉さんの手を止めてから首を小さく左右に振りました。
「そ、そうなの…」
私の言葉を聞いた三倉さんは落胆の表情を見せていますね。
「ごめんなさい。取り乱して…」
落ち込む三倉さんですが、
ここは元気付けるために笑顔で話しかけようと思います。
「私も詳細を知りませんが、まだ死んでいると決まったわけではありません。生きて捕らえられている可能性もあるはずです」
「え、ええ、そうね」
三倉さんは小さく頷いてくれました。
「そうであることを信じているわ」
元気のない声ですね。
それでも三倉さんの瞳には戦う意志が残っているうように思えます。
「まあ、例え生きていないとしてもね。私は最後まで諦めるつもりはないわ。兄が守ろうとした町を…共和国を私も命をかけて守りたいから。それが私の戦う理由なの」
なるほど。
そのために護衛という口実を得てアストリアに潜入したわけですね。
「さあさあ!落ち込むのは終わりよ!」
三倉さんは精一杯の笑顔を浮かべています。
「私は私。だから私のやりたいようにやるわ」
力強く宣言してから宿の中へと入って行っていきました。
「ははっ。」
強いですね。
ですが、もちろん私も諦めるつもりなんてありません。
もう二度と悲劇を繰り返さないと決めたのですから。
かつての失敗を繰り返さないために私も立ち上がります。
「共和国に平和を」
それだけを願ってから宿の中へと歩みを進めました。




