臨時報酬
《サイド:藤沢瑠美》
2月14日、午後3時頃。
ジェノス魔導学園の敷地内に建てられている魔術研究所の地下に位置するルーン研究所の薄暗い通路をいつものように歩いていると。
「所長、またですかっ!!!!」
たまたま通りかかった近くの部屋から聞きあきるほど聞きなれた親友の怒鳴り声が聞こえてきたわ。
「一体、何度言えば分かるんですかっ!?」
「だが、他に方法はあるまい?」
毎日毎日繰り返されている怒鳴り声に対して、
相手の男性が面倒くさそうに答えてる。
「今はレーヴァからの助成金のおかげで資金面に苦労はしてないはずだ。」
「それはそうですが、だからといって職員全員に臨時報酬を与えるというのはいくらなんでもやりすぎですっ!!これでは資金を調達してくれた御堂君の努力が報われません!!」
「それなら問題ないだろう。彼からも有意義に使うように言われていたはずだ。」
「だからと言って、全額を分ける必要はないと言っているんですっ!!」
「職員にはこれまで幾度も給与の面で不安な思いをさせているんだ。この辺りで一度、報酬を与えておいたほうが今後のためになる。」
「だとしても!一年分の給与に匹敵する報酬なんていくらなんでもやりすぎですっ!!せめて半分は研究所の資金に回すべきですっ!」
「それでは有り難みがないだろう?何よりレーヴァからの資金を兵器の研究に使うべきではない。そのことはきみも分かっているはすだ。」
「………。」
所長の指摘に対してついに反論の余地をなくしてしまったようね。
悔しがるつばめの表情が簡単に思い浮かんでしまったわ。
…まあ、どっちの言い分も分かるんだけどね~。
かつて兵器の開発に資金を提供したレーヴァはすでに大きな罪を背負っているわ。
だからこそ立花光輝は御堂君を通して多額の資金を所長に提供して、
兵器の対策資金に使うように話を持ちかけてきたみたいなんだけど。
「これ以上、立花光輝に責任を負わせるべきではない。だからこそ今回の資金は兵器の研究には回さない。そのことは昨日も説明したはずだ。」
…って言うことなのよね~。
折角の研究資金だけど。
所長は受け取った資金の使い道を別の方法に考えているようなのよね。
「そ、それはそうですが…。だからと言って…。」
「兵器の研究には資金を回せないが、その資金を職員に回せば巡り巡って兵器の研究を進めることができるようになる。直接的な資金源にはしないが、結果的に兵器の研究が進むことには間違いないのだ。そう考えれば決して無駄な投資ではないだろう?」
「………。」
黒柳大悟の説得を受けて黙り込むつばめ。
そんな友人のやり取りを聞いていれば、
どちらが優勢なのかは考えるまでもないわよね。
「今回も所長の勝ちみたいね~。」
実際の現場を見るまでもなく、
あっさりと二人の口論を聞き流して自分の職場に向かって歩き出そうとしたんだけど。
「なんだろうなー?相変わらずあそこだけは騒がしいな。」
1分も経たないうちに私と同じルーン研究所の幹部である大宮典之が歩み寄ってきたわ。
「んー。給料がどうこうって騒いでたけど、今度はなんだろうな?」
対して興味もなさそうな態度で呟いているけれど。
ここは喧嘩の内容を伝えておいたほうが面白そうよね。
「どうも今回は1年分の給与を特別賞与として分配するっていう話らしいわよ。」
「うおっ!?本当なのか!?」
…たぶんね。
「今回も所長が持論を展開してつばめの反論をばっさり斬ってたから間違いないんじゃない?」
「おー。さすが所長!やることがふとっぱらだな。」
「その代わりに兵器の研究を押し進めようっていう考えらしいわよ。」
「ははっ。1年分の給料が貰えるとなれば俺達も嬉しい限りだ。」
…まあ、ね~。
開発班は特にそうでしょうね。
「俺のところもそうだが、実験班は命がけの部署だからな。あそこも給与の上乗せくらいしておかないと人離れが加速しかねないぞ。」
…でしょうね。
戦時中に私や所長と共に戦場に立っていた大半が実験班の職員達で、
ミッドガルム王都の戦いにおいて兵器の攻撃を受けて全滅するという壊滅的な被害を受けた実験班は戦後も極度の人手不足に陥っていたわ。
そのうえ仕事の量は増えても給与が安定しないという理由で研究所を去る職員が後を絶たなかったのよ。
「まあ、実際問題として一年分の給与をもらってもこれまでの努力が報われるという程度で収入が増えるとは言い切れない部分があるからな。一度くらいはそういう方法で人手を確保するのも悪くないんじゃないか?」
…ええ、そうね。
「所長もそういう考えらしいわよ。まあ、つばめとしては今までに所長が自腹を切りまくって散財した資金を補填したいという考えがあると思うけどね~。」
「ははははっ!まあ、それが内助の功ってやつだろう。」
…さあ?
…どうかしら?
「その辺りは私には分からないけど、たぶん所長のことだからきっと自分の分は除外して考えてるでしょうね。だからなおさらつばめもむきになってるんじゃない?」
「あー。それはありえるな。」
…ええ。
つばめは賞与を貰えるとしても、
それだけで所長が注ぎ込んだ資金を補填できるわけでもないでしょうしね。
「なんとか赤字分を埋めようと必死なんでしょうね~。」
「良い妻だな。口は悪いが…。」
…ふふっ。
「それも分かったうえで所長も結婚したんだから別に良いんじゃない?」
「優秀すぎる嫁というのも難しいもんだな。」
…う~ん。
つばめは特別な気もするけどね。
「それより大宮はどうなの?新しい彼女はできたの?」
「ん?俺か?まあ、ひとまずは…だけどな。」
…へぇ~。
「今度は誰なの?」
「受け付けの凛子ちゃんだ。この間、告白してみたら意外とすんなりおっけーをくれてな。」
…あぁ~。
…あの子ね。
「色々と噂は聞くわ。」
「金目当てってやつだろ?まあ、それも可愛いと俺は思うんだけどな。」
「…そういう発言はお金を持ってる人が言える言葉よね?」
「はっはっはっ!まあ、遊べる程度の資産はあるからな。」
「怪しい商売はほどほどにしときなさいよ~。所長は何となく許してくれてるけど、結構ギリギリの範囲だと思うし。」
「まあな。それは分かってるが、そういう方法で稼いだ金が研究所の運営に役立ってるのも事実だからな。技術の売買は正当な商売だ。」
「間違っても兵器の開発技術なんて売らないでよね?」
「ははははっ!俺もそこまで危険なことはしないさ。少なくとも所長を敵に回すようなことはしない。下手をすれば物理的に処理されかねないからな。」
…あ~、そう言えばそうね。
「そんなふうに消えていった職員もいたわね~。」
「命あっての金だ。所長を裏切るようなことはしないさ。だからこそ技術力の売買なんていう裏切りと判断されかねないギリギリの商売が認められてるんだ。」
…まあ、そうでしょうけどね。
「だけどつばめはそういうところは厳しいから、あまり余計なことは言わないほうがいいわよ。」
「ああ、分かってるよ。副所長に睨まれるのもごめんだからな。黙って見過ごしてもらえる範囲内でやりくりするさ。」
「それならいいけどね~。」
「ははははっ!まあ、俺に関してはそんな感じだが、瑠美のほうこそどうなんだ?」
…え~。
…私?
「副所長が結婚したことで瑠美も結婚しようとか考えないのか?」
「ん~。特に考えてないわね。」
「神崎さんの弟子と仲が良いんだろ?」
…ん?
「あれと?私が?仲が良い?そうなの?」
「いや、そんなに立て続けに聞き直されても困るんだが、向こうはそういう噂を流してるようだぞ?」
…あ~。
…そう言えばそうだったわね。
「で?実際はどうなんだ?」
「どうって聞かれても…。食事に行ったことさえない関係だけど…。それでも世間一般的には仲が良いっていうの?」
「…いや、たぶん、言わないだろうな。」
「でしょ?で、それがどうして仲が良いってことになるの?」
「いや、だから、俺に聞かれても困るんだが…。向こうの情報操作のおかげで瑠美と付き合ってるっていう噂は流れてるからな。だから瑠美には誰も声をかけないだろ?」
…え?
…あ~。
…そう言えばそうかも。
「誰かに告白されたりした覚えはないわね。」
「向こうは本気で瑠美を狙ってるようだからな。余計な揉め事に巻き込まれたくないってのが周りの男共の本音かもしれないけどな。」
…う~ん。
「いい迷惑ね~。」
「ってことは、付き合う気はないのか?」
「私が?あいつと?どうして?」
「いや、だから、俺に聞かれても困るんだが…。」
「悪いけど興味がないのよね~。」
「嫌いなのか?」
…う~ん。
「前にも似たようなことを聞かれたけど好き嫌い以前の問題なのよ。」
「恋愛に興味がないってことか?」
…まあ、それもあるけどね。
「感情を理性が上回るというか…。無駄に理論的に考える癖がついてるから、普通の男に魅力を感じないっていう感じかしらね~。」
「ほう。だったらどんな男に惹かれるんだ?」
…う~ん。
…そうね~。
「見た目はともかくとして、私よりも頭が良くて私の理論を打ち崩せるような人?」
「いやいやいやいや、瑠美の理論を打ち破れるような男って、恐ろしく厳しい条件だな。」
…そう?
「国内にはいないんじゃないか?少なくとも所長以外に俺が知る限りの人材で考えられる人物がいるとすれば…それこそ天城総魔くらいだろう。」
…あ~。
「やっぱりそう思う?私も天城君なら良いと思うんだけど…。だけど競争率が高すぎて私じゃ無理だと思うのよね~。」
「見た目だけなら十分争えるだろ?」
「天城君が見た目だけで女性を選ぶ男なら、きっと私は彼に対してなんの魅力も感じないと思うわ。」
「…また随分と無茶な条件を付け加えてくるな。」
「手に入らないと思うものを手に入れたいと思うのが『魔女』なのよ♪」
「あー、今、何となく瑠美の性格が見えたような気がするぞ…。」
…ふふっ♪
…あら、そう?
「でもまあ、簡単に手に入るモノに興味がないのは事実かもね。」
だからこそ知りたいと思うのよ。
「この世界には私にも理解できない『何か』があるのかどうか?その答えを探すために私は研究者になったのよ。」
「ははっ。その考えは理解できなくもないな。そんなふうに世界の真理に触れたいと願うからこそ俺も研究者になったようなものだからな。」
…ふふっ。
だから私はこの場所が好きなのよ。
世界の真理に最も近いこの場所が好きなの。
「だから今はまだ引退するつもりもないし、どこかの男に人生を捧げるつもりもないわ。」
あくまでも自分自身の欲望を満たすために。
そのために研究者であり続けるの。
「だから今は…そうね。天城君が私を必要としてくれるまで待つか…。私を真理に導いてくれそうな誰かが現れるのを待つか…。そんな感じかしら?」
「そこは自分で捜しにいこうとは思わないんだな。」
「私は私の理想を進むだけよ。」
だから誰かに頼るつもりなんて最初からないわ。
自分よりも世界の真理に近い場所にいるかもしれない天城総魔ならともかく、
他の誰かに頼るという考えは持ってないの。
「私は世界の真理に触れたいのよ。」
そのためになら私は私の人生の全てを注ぎ込んでも惜しくはないわ。
「だからどこかの男が私の知らないところでどんな噂を流しているとしても…私の心は動かないわよ。」
恋愛よりも探求心が上回る限り私の心は揺るがないわ。
だからこそ私は私を上回る人物が現れない限り、
自らの進むべき道を曲げようとは思わなかったのよ。
「私の心を狂わせることのできる誰かが現れない限り、私は誰のモノにもならないわ。」
私の才能を越える人物だけが私を手に入れられるの。
「私を手に入れられるのは私を制することができる人だけ。だから周りで何をしようと私を手に入れることはできないわ。」
直接的に私と向き合って私の心を動かせる人物だけが私の人生を手に入れられるのよ。
「私の理論を狂わせることができる人物は…今のところは天城君かしら?」
御堂龍馬でさえも私の理論は論破できない。
唯一の存在として所長だけは私の才能を越える可能性があるけれど。
つばめから所長を奪おうという考えがないから論外よね。
「立花光輝にしても竜崎慶太にしてもおそらく足りないでしょうね~。」
私の理論を崩せるとは思えないわ。
だからこそ私の感情にもたどり着けないのよ。
「どこかに良い男はいないかしら?」
「………。…瑠美は間違いなく魔女の一人だな。」
ため息交じりに呟く私を見ていた大宮が世間話を打ち切ったわ。
「瑠美を手に入れられる男が現れるかどうか知らないが、もしもいるとすれば見てみたいものだな。」
…ホントに。
「私も見てみたいわ。」
そんな奇跡が存在するのかどうか?
あるいはそんな運命が存在するのかどうか?
「いるのなら…見てみたいわよね。」
期待は出来ないと思いながら、
さっさと移動を再開することにしたわ。
生存者(68)《大宮典之》
研究所の技術を売買するという裏家業を継続しながら研究所の資金調達に奔走する。
その数ヵ月後。
お金目当てに付き合ってくれた凛子との間に子供が生まれてめでたく結婚することになるのだが、
金遣いの荒い嫁に苦労してさらなる資金調達に頭を悩ませることになる。
生存者(69)《峰山泰蔵》
黒柳大悟から受け取った資金を元に再び職員を呼び集めて本来の業務を再開する。
その数年後に産休をとったつばめの代わりに副所長代行を務めるのだが、
あまりの激務に役職を断念してつばめの早期復帰を願うようになる。
生存者(70)《息吹幸太郎》
瑠美への想いをひたすら貫きいて、
どうにか瑠美を手に入れようとするものの。
一向に振り向いてもらえずに苦悩の日々を過ごすことに。
そしてついに強行策に出て瑠美を力ずくで手に入れようとするのだが。
逆に瑠美の策に嵌まってしまい、
何も出来ないままひれ伏すことになる。
生存者(71)《藤沢瑠美》
世界の真理に近づくために、
ひたすら研究の日々を過ごしていたのだが。
ある日、大陸中部での戦いにおいて興味を惹かれる情報が流れたために、
つばめに別れを告げてから突如として研究所から失踪してしまった。




