母子手帳
《サイド:五十鈴菜々子》
8月中旬。
大陸中部での戦いや西の大陸での戦いの情報が共和国中を飛び交って、
多くの人々が戦争に苦しんでいるという噂が広がる最中ではあるけれど。
私の中で新たな奇跡が生まれようとしていたわ。
「…さすがにこの症状は間違いないと思います。」
ジェノスの一角に存在する小さな診療所の診察室で医師の一人が断言してくれたのよ。
「間違いなく妊娠しています。ただ、まだ受精して間もない状況のために詳細までは分かりません。とは言え一般的な傾向に類似していますので流産の心配はないと思います。ただ、念のために安静にしておくことをおすすめします。」
…だったら。
「この子は…生まれてくることが出来るんですか?」
妊娠していると宣言してくれた医師に問いかけてしまったわ。
「私も…子供を産むことが出来るんですか?」
信じていなかったと言えば嘘になるけれど。
体調の異変に気づいてやってきた診療所で呪いの発現を確認しまったことで冷静ではいられなくなってしまったのよ。
…私が、子供を?
絶対に手に入れられないと考えていた幸せ。
かつての奴隷生活を思い返して静かに涙を流してしまったわ。
「私が…子供を…っ。」
「おそらく間違いないでしょう。もう少し様子を見なければ何とも言えませんが、数ヵ月もすればおおよその状況が分かるはずです。ある程度まで大きく育てば性別も分かるかもしれませんが…。まあ、そう急ぐ必要もないでしょう。」
…ええ、そうね。
初めての出産経験となる私にとって性別なんて問題ではないわ。
それが分かっているからか、
医師が『母子手帳』を差し出してくれたのよ。
「これから長い付き合いになりそうですね。」
「は、はい…っ。お願いします…。」
幾度も流産を繰り返して二度と子供を産めなくなった体に絶望を感じていたのに。
あの男が残した呪いの発動を実感してしまったことで、
無意識のうちに両手をお腹に添えていたわ。
…ここに。
お腹の中に新たな命があるのよ。
愛すべき人にもらった命が自分のお腹の中にあるの。
…ありがとう。
呪いを残した彼に感謝の想いを呟いて、
手にしたばかりの母子手帳をしっかりと握りしめる。
「この子は…死なせないわ…。」
もう二度と子供を死なせない。
もう二度と子供を失わない。
その想いを込めていとおしくお腹をさすっていると、
医師が微笑んでくれていたわ。
「御懐妊、おめでとうございます。元気なお子さんが生まれるように、精一杯ご協力させていただきますね。」
「はいっ!お願いします。」
涙を流すほどに喜びを表現して子供の未来を託してた。
そうして事実確認を終えてから診察室を出た私の目の前に、
いつどんな時にでも傍にいてくれる二人の男性がいたわ。
「菜々子っ!」
「菜々ちゃんっ!」
…ふふっ。
「体は大丈夫なのか!?」
「どこか悪いところでもあるのかいっ!?」
…いいえ、大丈夫よ。
私が病院に訪れた理由をまだ理解していない二人が気遣ってくれているけれど。
心配するようなことなんて何もないのよ。
…ふふっ。
「大丈夫。何も問題はないわ。」
涙を拭って優しく微笑む。
「子供ができたの。妊娠したのよ。」
「なっ!?」
「本当かいっ!?」
私の報告を聞いて飛び上がるほどの驚きを見せて喜びの表情を見せる浦谷と市村。
そんな二人の喜びの表情を見て私の心も幸せに満たされるなかで、
二人に話しかけてみることにしたわ。
「どっちの子が産まれるのか楽しみね。」
「「………。」」
浦谷と市村。
二人の男性のどちらの子供が産まれるのか?
それは私自身にも分からないわ。
「生まれてくる子は…どちらに似るのかしら?」
それがどちらであっても構わないと思うんだけど。
「俺に決まってるだろっ!」
「いや、僕だね!」
浦谷と市村はそれぞれに意見を対立させていたわ。
「俺の子供に決まってるっ!」
「いーや!僕の子供だっ!」
お互いにムキになって言い争う二人。
そんな二人だからこそ微笑ましく思えて仕方がなかったのよ。
…答えなんてどちらでも良いのよ。
本当にどちらでも良いの。
…私達の子供に違いはないんだから。
どちらか一方である必要はないし。
どちらも愛しているわ。
だからこそ答えなんて求めない。
「さあ、実験室に戻るわよ。」
「い、いや、ちょっと待て!まだ仕事を続けるつもりなのか!?」
「そうだよ、菜々ちゃん!もう一人の体じゃないんだから安静にしてないとっ!」
…あらあら。
安静を勧めてくれる二人だけど。
むしろ今だからこそ頑張る必要があるんじゃない。
「だめよ。私達にはまだ仕事が残ってるんだから。私達に託された役目を終えない限り、休んでいる暇はないわ。」
優しい呪いを残してくれた彼の願いを叶えるためにも、
兵器の対策方法を確立しなければいけないのよ。
「悪魔の残した呪いが絶望に変わらないために…。私達でこの世界から兵器を消滅させるわよ。」
他国が兵器を使用して共和国を襲うことがないように。
そしてこれから生まれてくる子供が戦争に巻き込まれることのないように。
「さっさと研究を再開するわよ!」
3人で再びルーン研究所へ戻ることにしたわ。
生存者(47)《浦谷吾郎》
菜々子の妊娠が発覚した直後から意欲的に研究を行い、
兵器の研究を急速に進展させていく。
そうして生まれてくる子が自分の子供だと信じながら、
これからもずっと菜々子を愛し続ける。
生存者(48)《市村孝太郎》
菜々子の妊娠が発覚した直後から浦谷と同様に意欲的に研究を行い、
兵器の研究に大きく貢献する。
その後もどちらが父親かで浦谷と言い争いを続けることになるのだが、
生まれてくる子供を守るために菜々子と共に幸せな日々を過ごす。




