結婚式
《サイド:シェリル・カウアー》
5月25日、午後2時過ぎ。
旧カーウェン連合国の最南端に位置するクールガー・アイランドの王城の謁見の間において、
祝福すべき一つの儀式が終わりを迎えようとしていたわ。
…ふふっ。
…幸せそうね。
以前グランパレスで再会したときに親友からの誘いを受けて久しぶりに訪れたんだけど。
予定通り絹川紗枝と相良英雄の結婚式が行われたようで、
二人の幸せそうな姿を見ることが出来たのよ。
…ただ、かなり遅れて到着してしまったのよね。
本来なら式の最初から参加する予定でいたんだけど。
それが出来ない事情があったの。
…まあ、遅刻の言い訳なんて必要ないでしょうけどね。
一時的な任務とはいえ、
西の大陸に渡って諜報活動を行っていたことで帰国が遅くなってしまったのよ。
だけどそんな言い訳をするつもりはないわ。
…紗枝には関係のないことだしね。
まあ、結婚式に顔を出さなかったら文句の一つも言われても仕方がないとは思うけれど。
こうして間に合ったからにはきっと満足してくれるはず。
そう思うからこそ。
到着したばかりの謁見の間を堂々とした態度で進んでいくことにしたのよ。
…ふふっ。
…綺麗ね、紗枝。
私には手に入れられなかった華やかな舞台に立って、
ウェディングドレスに身を包む紗枝の姿がとても眩しく感じられたわ。
…本当に幸せそう。
私からは紗枝の姿が見えているわ。
だけど紗枝はまだ私の姿に気づいていないようね。
…まあ、それならそれで良いんだけど。
多くの来賓の中を進む私の目には美しく着飾った紗枝の姿がはっきりと映っているのよ。
…良い笑顔ね。
だからこそ思ってしまうの。
…少しだけ羨ましい、かな。
京一との未来を諦めて、
密偵としての人生を選んだ私には手に入れられない幸せだからよ。
その幸せを手にした紗枝を羨ましいと思う気持ちは私にもあったわ。
…まあ、今さら後悔なんてしても手遅れだけどね。
京一と御神唯さんの婚約はすでに周辺各国に発表されているし。
近々、京一の国王就任式と共にイーファの王城で盛大な披露宴が行われることになっているのよ。
…それに。
…これで良かったのよ。
もしも私と一緒になれば京一の未来は確実に傾いていたはず。
せっかく手に入れた栄光がいつか必ず失われてしまうでしょうね。
…私なんかじゃダメなのよ。
紗枝と同じ幸せは手に入れられないわ。
もしもその幸せを望めば私と京一以外の人々にも多くの迷惑をかけてしまうことになるからよ。
だから私は私自身の心に強く言い聞かせることにしたの。
…私は自分の信じる道を進んできたの。
…だから今さら後悔なんてしないわ。
密偵になったことを悔やむ気持ちは一切ない。
そもそもの前提として密偵として活動していなければ、
京一達と共に戦争に参加することさえなかったでしょうしね。
…だからこれが私の運命なのよ。
決して幸せにはなれない運命。
そんな絶望にも等しい人生もあると考えていたわ。
…故郷を失ったあの日から、私の人生は狂ってしまっているのよ。
常磐沙織やフェイ・ウォルカと同様に。
住み慣れた国を追われて家族を失い。
多くの幸せを失ったあの日から。
私の絶望は10年以上続いているの。
西の大陸よりもさらに西の大陸から祖父とたった二人で共和国に亡命して、
両親を殺された復讐を心に誓いながら密偵として暗躍するようになってからすでに10年以上の月日が流れてしまってる。
…血にまみれた私には。
紗枝のような幸せは手に入れられない。
そのことがわかっているからこそ、
紗枝には私の分まで幸せになってほしいと願っていたのよ。
…ねえ、紗枝。
そっと呟いて紗枝の幸せをしっかりと脳裏に焼き付ける。
そうして紗枝の幸せを見届けることにしたのよ。
…これからもずっと幸せに、ね。
「さよなら…紗枝。」
愛すべき親友と憎むべき復讐の相手を温かな眼差しで見つめてから。
何も言わずに黙って謁見の間を離れようとしたわ。
…それなのに。
「会わないつもりか?」
不意に話しかけられたことで足を止めてしまったのよ。
…はぁ。
…ついてないわね。
出来ることならもう二度と会いたくなかったんだけど。
こうして声を掛けられた以上は無視するわけにはいかないわよね。
だから面倒だけど声の主に振り向くことにしたわ。
「…貴方も来ていたのね。」
魔術師ではない人物の気配をあまり気にしていなかったこともあって、
ここにいることに気づかなかったのよ。
だけど声の主は紗枝に近づこうとしていた私の姿に気づいてしまったみたい。
…杞憂玄夜。
「まさか貴方とここで再会することになるとは思っていなかったわ。」
「…すまない。一応、俺も関係者として式典に呼ばれていたものでな。」
その辺りの理由は別に構わないわ。
私が口出しをするようなことじゃないから。
…それよりも。
「どうして私に謝るのよ?」
「きみには迷惑をかけたと思っているからだ。」
………。
「きみ達の想いを察していながらも、その想いを利用してしまったことは事実だからな。きみには謝っても謝りきれない恩義がある。」
…ふん。
「…今さら、ね。」
「ああ、そうだな。だが、きみと出会ってしまった以上は何も言わずにいられなかった。例えきみが望まないとしても、例えきみが俺を恨んでいるとしても、それが俺の果たすべき役目として、きみにはきちんと謝罪させてもらいたかったのだ。」
………。
…謝罪、ね。
杞憂玄夜の言いたいことは十分理解できるわ。
以前グランパレスの一室で話し合ったときの話だからよ。
あの時の会話は今でもはっきりと覚えているわ。
「上手く利用されているのは分かっていたわ。だけどそれが分かっているからこそ、私は私自身の運命を受け入れたのよ。だから今さら貴方に謝ってもらうことなんて何もないわ。」
そもそも杞憂玄夜を恨もうなんて考えていないのよ。
ただ自分の運命を受け入れて、
自分の考えを告げただけにすぎないんだから。
「私は誰も恨んでなんかいないわ。貴方のことも…もちろん御神唯王女のこともね。」
「………。」
今ここに彼女がいないことはわかっている。
魔力の波動が感じられないから、
この場所に唯がいないのは間違いと判断していたわ。
だけどそれでも自らの想いをはっきりとさせるために彼女の名前を出したのよ。
「彼女を恨むつもりもないわ。誰がどう考えてもこれが最良の結末だと思うから、だから私は誰も恨まないって決めたのよ。」
もしも京一が国王に選出されなければ?
もしも彼女が婚約を否定していれば?
そんなふうに思う気持ちが全くないとは言い切れないけれど。
それでもこういう状況になった以上は誰にも文句を言うつもりなんてなかったわ。
「これでみんなが幸せになれるのよ。」
京一も。
御神唯も。
そして多くの仲間達や数多くの国民達も。
誰もが安定した未来を手に入れられるの。
「こういう結末を手に入れるために…。私は私の手を血で染める覚悟を決めたのよ。」
多くの人々の幸せを願い。
もう二度と悲劇を繰り返さないために。
密偵としての道を選んだの。
「これが私の望んだ結末なのよ。」
愛すべき相手を手放して。
復讐すべき相手さえも見逃して。
ただ親友の幸せだけを静かに見守る。
そんな悲しい人生を全て受け入れるつもりでいたわ。
「これで良かったのよ。」
全てが私の望み通りに動いている。
私以外の幸せという形で何もかもが上手く動いているのよ。
「これ以上を望むには…私は罪を犯しすぎたわ。」
そう思うからこそ紗枝の笑顔を何よりも眩しく感じてしまうの。
「きっと紗枝と同じように御神唯王女も幸せな人生を手に入れられるはず。きっと紗枝と同じように…誰よりも素敵な笑顔を見せられるはずよ。」
…だけど。
そんな二人に反して、
私はもう二度と無邪気な笑顔は見せられないと思う。
「だけど私はもう…二度とあんなふうには笑えない。私はもう私自身の幸せを忘れてしまったから…だからもう…あの頃には戻れないのよ。」
笑い方を忘れてしまったから。
幸せを見失ってしまったから。
…だからもう。
「私はもう…あんなに綺麗には笑えないわ。」
そう思うと同時に、杞憂玄夜も幸せを見失ってしまった人間だと考えていたのよ。
「ねえ?貴方もそうでしょう?」
「………。」
「私達は同じなのよ。誰かのために罪を重ねることでしか自分の存在を証明できない不器用な人間なのよ。」
「は、ははっ。不器用…か。確かに、そうかもしれないな。」
…ええ。
「だからもう私のことは気にしてくれなくていいわ。私は誰も恨んだりしないし、誰かの幸せを呪うようなこともしない。そんなふうに自分をおとしめるつもりはないから。」
誰かを恨んだりしない代わりに自分が不幸だとも思わない。
そう考えることで自らの運命を受け入れるつもりでいたのよ。
「これが私の選んだ答えなの。」
だから誰にも文句は言わせないし。
誰にも文句は言わない。
そう決めているのよ。
「そうか…。ありがとう。」
私の想いを確認して私の考えを知ったことで杞憂玄夜は再び頭を下げてきたわ。
今度は謝罪ではなくて感謝の想いを込めて最大級の誠意を示してくれたのよ。
「きみのような人間と出会えてよかった。本当に…良かった。」
「別に…私は感謝されるほどの人間じゃないわ。」
「きみがどう考えるかではない。俺がそう思うのだ。」
「…そう。」
「ああ、きみに出会えて良かった。」
そっけない態度の私に精一杯の笑顔を見せてから、
杞憂玄夜はそっと道を開けてくれたわ。
「引き留めてすまなかったな。」
「別にいいわよ。これくらいなら。」
紗枝はまだ私に気づいてないから。
今はまだ何も問題なんてないわ。
「…それじゃあね。」
杞憂玄夜に対して軽く挨拶をしてから謁見の間を立ち去る。
そんな私の後ろ姿を眺めながら、
杞憂玄夜は最後に一つだけ問いかけてきたのよ。
「何か言い残すことはないか?」
………。
「あれば彼女に伝えておこう。」
………。
「…そうね。」
問いかけられたことで歩みを止めてみたけれど。
あえて振り返らずに伝言だけを残すことにしたわ。
「紗枝には『幸せになりなさい』ってところかしらね。」
「ほう。ならば、もう一人にはどう伝える?」
………。
紗枝には、と言った以上、
別の人物にも伝言があるはずと考えたようね。
…ふふっ。
「それじゃあついでにお願いするわ。相良英雄にはこう言っておいて。『紗枝を幸せにできなかったら殺してあげる』ってね。」
「はははっ。良いだろう。必ず伝えておこう。」
「…ええ、宜しくね。」
紗枝と相良英雄の幸せを心から願いつつ。
…さよなら、紗枝。
今度こそ歩みを止めずに謁見の間を立ち去ることにしたわ。
生存者(30)《絹川紗枝》
結婚式のあとに杞憂玄夜からシェリルが来ていたことを告げられるが、
シェリルに再会できないまま王城にとどまることに。
その後、英雄との子を身ごもるのだが、
生まれてくる子供が女の子だと分かった瞬間に『しぇりる』と名付けた。
生存者(31)《相良英雄》
結婚式の後に『絹川』に姓を変えてクアラ国の代表となる。
その後はシェリルとの約束を果たすために紗枝の幸せを一途に守り続け、
生まれてくる子供を大事に育て上げた。




