健康が一番
《サイド:北条辰雄》
マールグリナに向かう馬車と入れ違いにジェノスに戻ってきた。
そうして仕事の合間をぬって屋敷に戻った俺は、
帰りを待ってくれているはずの娘とようやく再会出来そうだった。
…とは言え、少し遅かったようだな。
本来ならば3人に挨拶をしようと考えていたのだが、
どうやらその目的は叶えられそうにないようだ。
…まあ、今となっては仕方がないか。
無理なものは無理と諦めて、
今は出来ることから順番にやっていくしかない。
「まあ、雪がいれば十分だな。」
愛すべき娘さえいれば特に問題はないのだ。
それ以外のことに関してはあとで考えれば良い。
…ここだな。
執事に全て任せていたために屋敷のどの部屋が雪の私室になっているのかを知らなかったのだが、
庭園の手入れをしていた執事の報告によると現在は真哉の私室の隣の部屋が雪の私室として使われているという話だった。
「雪、いるか?」
「あっ!はいっ!どうぞ。」
魔力の波動が感じられるために室内にいるのは間違いものの。
それでも念のためにと考えて扉をノックしながら呼び掛けてみると雪は嬉しそうな声ですぐに呼び掛けに応えてくれた。
「すぐに開けますねっ。」
急いで扉にかけよって扉を開いてくれた雪の姿を見ただけで自然と笑顔が込み上げてくる。
「元気そうでなによりだな。」
「はい!お父さんのおかげで幸せな日々を過ごさせていただいてます♪」
…ははははっ!
「そうかそうか。それはなによりだ。」
「はいっ。それにお父さんもお元気そうで良かったです。」
「健康だけが取り柄だからな。」
「健康が一番ですよ。」
…ああ、そうだな。
「それはそうと、出来ることなら竜崎慶太とウィッチクイーンにも挨拶をしておきたいと考えていたんだが、どうやら手遅れだったようだな。」
「あ、はい。すみません…。」
やはり竜崎慶太と長野沙弥香はすでにこの屋敷にはいないらしい。
魔力の波動を感じないという理由ももちろんあるのだが、
もしもまだこの屋敷に滞在していれば間違いなく雪と共にいるはずだからだ。
「竜崎達はもう旅立ったのか?」
「はい。今日の朝早くに馬車に乗ってジェノスを離れましたので、今ごろはきっと栗原さん達と合流していると思います。」
…ほう、そうか。
すでに竜崎が旅立ってから半日近くが経過しているらしい。
だからこそ雪は兄と姉が栗原君達に合流していると判断しているようだった。
「徒歩だと時間がかかると思うから、合流できそうなら合流してからミッドガルムに向かうと言ってましたので…。」
…ふむ。
…そうなると。
「時間的に考えればすでにマールグリナにたどり着いていてもおかしくはないな。」
「はい。そう思います。きっと今ごろは栗原さん達と合流してカルナック山脈を目指している頃だと思います。」
…なるほど。
「竜崎達と共に行動しているのか…。それならば余計な心配は必要なさそうだな。」
竜崎慶太と長野沙弥香がついているのならば身の危険を考える必要はないだろう。
…あの二人を倒せる戦力など、国内には存在しないだろうからな。
何事にも例外はあるが、
現時点で最高の護衛なのは間違いない。
…それはともかくとして、だ。
まずは俺自身の現状を伝えることにしよう。
…俺としてもあまりゆっくりしていられる立場ではないからな。
「グランバニアに行く用事があったからその前に一日だけ休暇をもらってきたんだ。明日には再びグランバニアに戻らなければいけないのだが、今日一日だけは雪と共に過ごせるだろう。」
「あ、それで、帰ってこられたんですね♪」
…ああ。
なぜ国境警備隊の総司令官に任命されたはずの俺がジェノスの町に戻ってこれたのか?
その理由を知ってお互いの状態を確かめあったことで雪は納得してくれた様子だった。
「それじゃあ、遠慮せずに中に入ってゆっくりしてください♪」
「ああ、そうだな。」
二人の間に穏やかな雰囲気が生まれて、
家族水入らずの静かな時間が過ぎていく。
…たまにはこういうのも良いだろう。
今日一日はゆっくりできると分かってくれた雪の案内を受けて室内に入ってみる。
そして雪の部屋を見回してみると、
俺の屋敷とは思えないほど内装が変わっていた。
「はははっ!ずいぶんと可愛らしい部屋になったな。」
以前とは大きく変わり。
ただの物置だったはずの部屋が、
今では女の子らしい可愛いげのある部屋に模様変わりしているのだ。
「真哉の部屋とは大違いだな。」
「あ、あは…っ。そうですね。」
大きな声で笑う俺とは違って、
雪は遠慮がちに笑っていた。
「お隣の真哉さんのお部屋は…質素というか、必要なものだけを揃えてる感じですよね。」
…ああ、そうだな。
長野敦也が手配してウィッチクイーンが監修した雪の部屋は、
お姫様の部屋と言っていいほどきらびやかで可愛らしく内装を施されている。
そのうえ数多くのぬいぐるみや数えきれないほどの洋服も取り揃えられていて、
白とピンクを主体とした女の子らしい部屋だった。
だが真哉の部屋は余計な装飾を全て除外したような質素な部屋であり、
体を鍛えるための器具や分厚い魔導書や参考書などの必要最低限の書物が残されている程度で、
趣味趣向が感じられるような基本的な私物というものが全くと言っていいほど存在していなかったのだ。
「真哉さんは昔からああいう感じだったんですか?」
…ああ、そうだな。
以前からずっとそうだったのかを訊ねられたことで、
少しばかり憂鬱な気持ちになってしまった。
「あの子は昔からあんな感じだった。」
真哉が亡くなって整理したというわけではないからだ。
「あまり多くのことに興味を示さないというか…目に見える何かというような、いわゆる物欲的な感情は見せない子だったからな。」
「あ~、確かに。あの部屋を見ると、そんな感じですよね。」
…ああ。
「あの子にとっては物理的な何かよりも、もっと他に『求めるもの』があったのだろう。」
「それって…。」
まあ、言いにくい話にはなるが。
「簡潔に言えば『愛』だろうな。」
俺は仕事柄どうしてもここにいられる時間が少なかったうえに、
真哉が幼い頃に妻も死んでしまっているのだ。
そのせいであの子は家族の愛というものをほとんど知らずに生きてきたからな。
だからこそ金で買えるものよりも金では買えない何かを求めていたのだろう。
…情けない話だがな。
資産という意味では十分すぎるほどの家だが、
それでもこの屋敷には本来住むべき住人が存在していなかった。
たった一人の執事と真哉だけが長い年月を過ごしていたために、
両親の愛というものをほとんど知らずに生きていたのだ。
「今さらと言われるかもしれないが、あの子には寂しい想いをさせたと思っている。」
出来ることならばあの子が結婚して、
やがて生まれてくるであろう命と共に家族として幸せな日々を過ごしてほしいと願っていたのだが。
その想いが叶えられることはないまま、
真哉はアストリアで命を落としてしまった。
「真哉には悪いことをしたと思っている。だからこそ同じ過ちを繰り返そうとは思っていない。」
失った息子への精一杯の謝罪として、
俺は一つの方針を定めていた。
「上手く軍部と話し合って、しばらくの間は旧ミッドガルムではなくてグランバニアに滞在させてもらえるようになったからな。」
もちろんその後のことも話し合うつもりではいるのだが、
ある程度の時期を見て軍の幹部からは引退するつもりでいるのだ。
「まあ、今すぐにとはいかないのが実情だが、せめてジェノスに滞在できるように話を進めようとは考えている。」
真哉には何もしてやれなかったからこそ。
せめて雪の成長は見届けたいと思うのだ。
「まあ、年内には何とか話がまとまるだろう。」
その後はジェノスにとどまりながら後継者の育成を行うか。
あるいは有事の際にのみ出動することになるか。
その辺りに関してはまだ何とも言えないが、
出来る限り雪の側にいられるように話を進めるつもりでいる。
「色々と…ありがとうございます。」
「いやいや、礼なんて必要ない。」
これは俺自身のけじめの問題だからな。
「真哉の分まで雪を幸せにする。それが俺の罪滅ぼしだ。」
「罪滅ぼしだなんて、そんな…。でも、ありがとうございますっ♪」
…ははっ。
俺の想いを切なく思いながらも精一杯の笑顔を見せてくれる。
それが自分に出来る恩返しだと信じているのだろう。
雪は俺の心の隙間を埋めるかのように精一杯の笑顔で微笑んでくれていた。
「これからずっと、お世話になります。お父さん♪」
…ああ。
これからは俺を実の父だと思ってくれればいい。
「お父さんの娘になれて良かったです♪」
「そうか?」
「はい!」
想いを態度で示すかのように、
雪が全力で抱きついてきた。
「お父さん♪大好きですっ♪」
…ははははっ!
何だか照れくさい気もするが、
確かな信頼を感じることは出来た。
…だからだろうな。
「良い娘を持った。」
自然と穏やかな気持ちになれたのだ。
「例え将来お前が嫁にいったとしても、俺はずっとお前の父親でいる。そのことだけは覚えておいてくれ。」
「はいっ♪ありがとうございます♪」
いつ訪れるかもわからない幸せな未来。
その先もずっと変わることなく父娘であることを約束したことで。
「おかえりなさい♪お父さん♪」
「ああ、ただいま、雪。」
しっかりと再会の挨拶を交わした俺達は、
今日という一日を家族仲良く過ごすことにした。
生存者(12)《北条辰雄》
龍馬が代表となってしばらくしてから国境警備隊総司令官を退任。
その後、ジェノスの屋敷の敷地内に軍の訓練施設を建造し、
国境警備隊の指導官として雪と共にジェノスで過ごすことに。
生存者(13)《北条雪。旧姓、竜崎雪》
ジェノスに移住後、
北条辰雄の援助を受けながら幸せな日々を過ごす。
そしてしばらくしてから優奈の両親が経営する花屋で成美と出会い、
改めて友達になったことをきっかけとして成美の父からケーキ作りを教わるようになる。
それから半年が経過したのちに淳弥の旅立ちに同行して再び戦場へ赴くことになるのだが。
新たな地で待ち受けているのは…?




