絶望の淵
「すでにご存じだとは思いますが、私は戦う術を持たないただの医師です。」
だから琴平重郎には他の者達のように力によって御堂を導くことは出来ない。
「…ですが。ですがこんな私にもまだ一つだけ出来ることがあるのです。」
御堂を正しき道へ導くために。
無力な琴平重郎にできること。
「それは戦う術を持たない人々の想いを貴方に届けるということです。」
死を受け入れるしかできない人々の絶望を御堂に伝えること。
「それが出来るのは…私だけなのです。」
今この場所で御堂を導けるのは琴平重郎しかいない。
常に上を目指して歩き続けることも大事だが、
足元で怯える者達がいることも知らなければならないからな。
「何もできない私に唯一できること、それがこういうことなのですよ。」
弱き者達の心の叫びを御堂に伝えて。
弱き者達の未来を御堂に託すこと。
そのために人柱となることを琴平重郎は選んだ。
「私が犠牲になることで未来に希望を残せるのなら、私は喜んで死を受け入れます。」
「…どうして、そこまで?」
「こうすることが贖罪だと思うからです。」
「…え?」
何故そこまで役目に徹する必要があるのか?
その理由を琴平重郎は贖罪だと答えた。
「娘を戦場に送り出しながらも…栗原君を戦場に送り出しながらも…それでも何もせずに戦場から遠く離れた地で傍観していただけの自分が許せないのです。できることなら私も共に戦いたかった!ですが私の立場上どうしても共和国を離れることができなかった…。その事実が今でも私の心を蝕んでいるのですよっ!!」
抑えきれない感情によって、
薫と同様に心の叫びを必死に話す。
琴平重郎の瞳からこぼれる涙は薫以上の悲痛さを物語っていた。
「私は馬鹿な父親です!娘を死なせ、戦場から遠ざかり、生徒を戦場に送り続けながらも自分は安全な地で指揮を執っていただけの愚かな男なのですっ!!」
それが間違っているというわけではない。
人々を導く立場にいる者としては、
正しい判断だっただろう。
だが琴平重郎の罪の意識は日増しに募り。
深い闇の中に心を沈み込ませていたということだ。
「私は私自身が許せないのですっ!!何故、娘の代わりに私が行かなかったのか?何故、娘を犠牲にしておきながら今もこうして生きているのか!?そのことばかりを考えてしまうのです!!」
愛里を失った悲しみによって絶望の淵に立つ琴平重郎は、
今の現状こそが自分にはふさわしいと考えている。
「私の命で救える何かがあるのなら、私は私の命など惜しくはありませんっ!!娘を死なせただけの愚かな私の命で共和国の未来が守れるのならっ!私はここで死んでも悔いはありませんっ!」
「それが…?それが琴平さんの絶望だったのですね…。」
御堂に伝えるべきことを伝えて自分が成すべきことを成す。
その結果として死を求める琴平重郎に御堂は何も答えられずにいた。
…だが、それは当然か。
医師として戦場に立った琴平愛里がまともに戦えたはずがない。
俺でさえ結果しか知らないからな。
無抵抗の存在である側の愛里が戦場で生き抜くためには逃げることしかできなかったはずだ。
それでも逃げ切れなかったあとに残った結果が死という現実だった。
「この世界には戦いたくても戦えない人々が大勢いるのです。そのことを忘れないでください。そしてどうか…多くの犠牲者が恐怖を抱いて死んでいったことを忘れないでください。」
「琴平さん…っ。」
「慰めはいりません。私の役目は貴方を導くことです。そのためになら、喜んでこの身を捧げましょう。」
「…出来ませんっ。僕には…できません…っ!」
弱者に目を向けることを願った琴平重郎によって、
ついに御堂は自らの弱さも知ることになった。




