共和国の密偵
「今回の試合は…僕に現実を理解させることが目的だったのですね。」
「ああ、そうだ。」
黒柳の役割はなんだったのか?
その意味を把握した御堂に宗一郎が真剣な表情で答える。
「きみの理想は確かに尊敬に値する。」
だが、理想だけでは世界を変えられないのも事実だ。
「あまり大きな言葉で言えることではないが、力によって解決する問題も確かにある。話し合いだけで解決できない事柄を力によって解決すべき状況は確かにあるのだ。」
武力によって戦争を勝利したように。
理想だけで解決できないことは世界中に数多く存在する。
「理想を語り、夢を追い求めることは国を治めるものとして必要な想いと言えるだろう。だが…な。」
それだけでは世界を動かせない。
話し合いだけで全てをまとめることはできないからだ。
「悔しいが、時として力も必要になる。」
かつて宗一郎が共和国の代表を務めている時にも『その力』は存在していて、
美由紀が代表を受け継いでも『引き継がれた力』が存在している。
「きみはもうすでに知っているはずだ。」
この共和国にさえ闇があることを。
他国に潜入し。
情報を操作し。
時には武力で問題を解決する。
そういう者達が実在していることをすでに知っているはずだ。
「はい…。共和国の密偵…ですよね?」
「そう、その通りだ。」
かつて黒柳も所属し。
各国を渡り歩く共和国暗部の組織。
その存在をすでに御堂も知っている。
…何故なら。
「きみもその一人だったのだからな。」
ジェノス限定とはいえ。
風紀委員の名の下に数多くの任務をこなして学園と町の平和を維持してきた。
身分的には一生徒であったとしても、
その身に背負う役割は他の場所で活動する密偵達とそれほど大差はないだろう。
「共和国を維持するために存在する密偵。その多くは国外での活動を主としているが、なかには長野敦也君やシェリル・カウアー君のように、独自の判断で動く者達もいる。そのこともすでに知っているはずだ。」
「はい。知っています。」
「だが、きみはその事実から目をそらしていた。」
仲間達の手によって失われていく命から目を背けていた。
「…はい。否定はできません。僕は事実から目をそらして…知らないふりをしていたんです。そうしなければ敦也を…仲間を悲しませてしまう気がして…何も知らないふりをしていたんです。」
「その考えが間違っているとは言わない。だが、それでは本当にただの偽善者になってしまうだけだ。」
自分の手を汚さない代わりに仲間に罪を背負わせる。
そんな考えではいずれ周囲の信頼を失ってしまうだろう。
「だからそうならないようにと考えて、かつて密偵として暗躍していた黒柳にきみとの試合を依頼したのだ。」
「僕が共和国の暗部と向き合うために…ですね。」
「まあ、密偵の全てが犯罪者と言うわけではないがな。」
中にはそうとしか呼べない者もいるだろう。
「それでも彼らがこの国を想い、きみの理想を守るために罪を重ねていることも事実なのだ。」
それは今この瞬間にも行われているかもしれないし。
何もないかもしれない。
それはここでは分からないが、
今もどこかで誰かが戦っているのは事実になる。
「その悲しみと苦悩を理解して共和国の暗部さえも守れるようになること。それがきみの本当の役目なのだ。」
黒柳や長野敦也の存在を認めて。
繰り返される罪を許しながら。
仲間達の罪を止められない自分を認めること。
そこから御堂のさらなる成長が始まる。
「共和国の暗部を否定するのではなく、その組織そのものが必要なくなるときがくるように努力を積み重ねること。それがきみの役目になる。」
長野敦也達にこれ以上の罪を重ねさせないために御堂がするべきこと。
「その方法を考えることが…この試合の意味だったのですね。」
「そういうことだ。少しは理解できたか?」
「はい。また一つ、勉強させていただきました。」
「そうか、そう言ってもらえれば黒柳の努力も報われるだろう。」
いまだに意識を失っている黒柳だが、
御堂と宗一郎の会話を聞いて全ての事情を理解した西園寺つばめは黒柳の本心を知って穏やかな微笑みを浮かべていた。
「本当に…所長はどうしようもない人ですね。」
共和国のために罪を重ねてきたこと。
その罪がさらけ出されることを覚悟の上で試合に挑んだ黒柳に再び尊敬の想いを抱いたようだな。
「大丈夫ですよ。所長の苦しみは…私も負担しますから。」
そっと誓いの言葉を囁いてから、
西園寺つばめは黒柳の体を場外にまで引きずりだしていった。




