無価値な称号
《サイド:常盤沙織》
午後10時15分。
いつもより随分と遅くなってしまいましたが、
翔子と私は家の前までたどり着きました。
「遅くなっちゃったね」
ため息を吐く翔子が苦笑しています。
『あの子』を待たせてしまった事に後悔しているようですね。
ですが、この程度のことで怒るような子ではありません。
「まだ大丈夫よ。あの子ならきっと、翔子を待ってくれているわ」
そっと翔子に微笑みかけました。
今日一日。
色々とあって疲れた表情を浮かべる翔子に少しでも元気を出してもらおうと思って、
いつもよりも元気を出して翔子に話しかけることにしたんです。
「遅くなった事を悔やむよりも、元気な笑顔を見せる方がきっとあの子も喜んでくれるわ」
「う~ん。そうかな~?」
私は信じて微笑んでみましたが、翔子は複雑な表情を浮かべていました。
「大丈夫かな~?」
「ふふっ。大丈夫よ」
笑顔を絶やさないように気を配りつつ。
翔子の背中を後押しします。
「さぁ。入りましょう」
「う、うん」
私の後押しを受けた翔子は大きく深呼吸をしています。
「すぅ~、はぁ~」
深く息を吐いてから、翔子はいつもの笑顔を浮かべました。
「よしっ!もう大丈夫!」
気合いを入れ直す翔子に微笑んで、玄関の扉を開きます。
『ガチャッ…』と鳴るとても小さな金属音。
扉の開く小さな音がした瞬間に奥の部屋から『ガタガタッ』と物音がしました。
「来たっ!」
かすれるような小さな声でした。
けれど私達ははっきりとその声を聞き取っています。
『コツコツ』と小さな音を立てながら部屋の奥から顔を見せたのは妹の成美です。
年齢は私の4つ下で15歳なのですが、
来月が誕生日なのでもうすぐ16歳になります。
「ただいま、成美」
「お帰りなさい、お姉ちゃん」
笑顔で出迎えてくれる妹の成美に微笑む私の後ろから翔子がこっそりと顔を覗かせました。
「やっほ~!こんばんわ、成美ちゃん」
「ぁっ!!翔子さんっ!待ってましたっ♪」
笑顔を浮かべながら翔子に近づく成美ですが、
その足取りは決して早くはありません。
足元を探るために杖を突きながら前に進んでいるからです。
『目の見えない』成美とって、
ほんの僅かでしかない私達との距離でさえも思うようには進めません。
杖を頼りに少しずつ進むことしか出来ないからです。
そんな成美にそっと歩み寄った翔子が成美の手を握りました。
成美がつまずいたりして怪我をしてしまわないためです。
目の見えない成美を支える翔子の表情には優しさを感じてしまいます。
「支えてあげるわね」
成美の手を繋いで歩き出す翔子。
数日ぶりになる二人の姿を眺めているだけで、
その光景が見られることが嬉しくて、
一滴の涙を流してしまいました。
居間へと向かう成美と翔子。
それが当然の事のように私の両親が優しく出迎えてくれて、
二人は部屋への中へと入って行きます。
その後ろ姿を見送ってから、私は涙を拭って静かに玄関を上がりました。
これが私の日常です。
翔子と出会ってから今日に至るまでの安息の日々です。
成美を可愛がってくれる翔子と翔子を心から慕う成美。
そんな二人を見守ることが私の一番の幸せなのです。
この幸せな日々がいつまでも続けばいいと本気で願っています。
だからこそ私は翔子の親友でいようと思うんです。
私と成美の心を救ってくれた翔子のために、
私にできることがあるのなら精一杯何かをしたいと思うんです。
もちろん。
できることなら、成美の目が見えるようにしてあげたいとも思っています。
未だに原因は分かっていませんが、妹は生れつき両目が見えませんでした。
お医者様が言うには光を感知できないらしいです。
目を開くことは出来ても、
光を感じることの出来ない『真っ暗闇の世界』で成美は生きているそうです。
だから成美は生まれた時からずっと暗闇の中で生きてきました。
今までは両親と私だけが妹の支えだったと思います。
私達が手を貸さなければ成美は生きていくことさえ出来ないからです。
真っすぐに歩くことさえ出来ず。
何かにぶつかっても対処出来ず。
一度でも方向を見失えば、そこから動き出す勇気さえ持てない弱い子なのです。
そんな永遠の暗闇の世界でただただ恐怖だけが込み上げる日々。
触れるもの全てが恐怖で、どんな些細な事にも怯える日々。
目が見えないというのは、一体どれほどの恐怖を与えるのでしょうか?
目が見える私達には想像も出来ない世界です。
ですがその暗闇の中で成美はずっと生きてきたのです。
もうすぐ16歳になる成美ですが、
外の世界を何も知らずに家の中で閉じこもっています。
誰とも関わる事のない妹を見ていると、
両親だけではなくて私でさえ涙が溢れて止まりません。
ですが。
だからと言って無理に成美を家の外へ連れだそうなんて私には思えませんでした。
『目が見えないという恐怖』があるからです。
それは目を閉じて外を歩けばすぐに分かります。
何があっても分かりません。
どこに向かっているかも分からないのです。
誰かがいても避けることさえ出来ません。
壁にぶつかってから初めて行き止まりを知ることが出来るのです。
そんな恐怖を妹に強要することなんて私には出来ませんでした。
そして…。
歳を重ねる毎に日に日に口数が少なくなってしまい、
やがて話をする事さえ諦めてしまった成美に私は何も出来ませんでした。
私は…いえ、両親でさえも心が折れてしまいそうになっていたのです。
成美に何もしてあげられない日々。
目の代わりになる事も出来ず、笑顔を浮かべさせることも出来ない。
そんな絶望だけを感じていました。
それは私が学園に通うようになってからも同じです。
私は一時も妹の存在を忘れることが出来ませんでした。
ただ私だけが自由に生きているというそんな後悔だけが常に心の中にあるほどです。
何かをしてあげたいけれど、何も出来ない日々が続いていたのです。
だから私は成美の為に、毎日を勉強に費やしました。
何とか成美の目を治すことが出来ないかと願い続けて魔術の練習を繰り返していたのです。
けれど…。
どんな魔術を身につけても成美の目に光を与えることは出来ませんでした。
学園に存在する魔術では成美を治せなかったのです。
それでも私は諦められませんでした。
諦めずにありとあらゆる魔術を調べて実験し、次々と習得していきました。
ですがそれでも成美の目を治す事は出来ません。
数百、数千の魔術を身につけたところで成美の目を治療する方法はありませんでした。
無慈悲で圧倒的な絶望感だけが残り、
何を目指せばいいのかさえ分からなくなるほどでした。
ただその絶望と引き換えに、私は大賢者と呼ばれるようになったのです。
ありとあらゆる魔術を使える者。
その称号を得ても、私の心は決して晴れることはありません。
どんな魔術や称号を得ても、成美の目を治すことが出来ないからです。
私は日々、絶望だけを胸に抱えて苦しんでいました。
どれだけ勉強しても…
どれだけ魔術を身につけても…
どれだけ妹を思っても…
成美の目は治らないのです。
私の心さえさえももう…折れてしまいそうでした。
どんな医療も、どんな医術も、成美の目を治すことは出来ません。
どんな魔術も、どんな魔法も、成美の目に光を与えることは出来ないのです。
『諦めるしかないという絶望感』
いつしか私は成美に話し掛ける事さえ恐れるようになっていました。
何も出来ない自分が悔しくて、とても愚かに思えたからです。
けれど。
『あの日』を境に妹は変わりました。
成美が言葉を取り戻したのです。
もう何年も見ていなかった笑顔を見ました。
思い出す事さえ出来なかった妹の笑顔を見る事が出来るようになったのです。
それは、去年の秋頃でした。
私は翔子と出会ったのです。
そして、成美が翔子と関わったあの日から成美は笑顔を取り戻しました。
翔子の影響を受けて、成美は人と関わる事の意味を知ったのです。
常に明るく、周りにいる人達に笑顔を振り撒いて元気にしてくれる。
そんな翔子の元気を分けてもらったかのように、
成美は翔子に懐いて笑顔を浮かべながら話をするようになったのです。
あの日から、翔子は毎晩のように成美に会いに来てくれるようになりました。
もちろん、様々な事情でこれない日もありましたが、
時間のある限りは来てくれるようになったのです。
そんな翔子の訪れを心待ちにする成美。
あの日を境に私達の生活は一変しました。
成美は自ら望んで歩くようになったからです。
もちろん杖がなければ満足に歩く事さえ出来ませんが、
それでも家の中であれば誰の手を借りずとも自由に動けるようになりました。
忘れていた笑顔を取り戻して、
こちらから話し掛けずとも成美の方から話し掛けてくれるんです。
それがどれだけ幸せな事か。
私は今でもあの日の出来事を忘れる事はありません。
翔子と出会ったことで、私の人生は大きく変わったのです。
そう思えるほど、私にとって美袋翔子という存在はとても大きなものとなりました。
…だから…。
だから私は何があっても翔子を裏切るようなことはしません。
たとえ全てに背いたとしても。
例え何が起きたとしても。
翔子だけは信じていたいと心に誓いました。
それが私のプライドであり、私の存在する意味です。
だからいつの日にか…。
いつの日にか必ず成美の目に光を…。
そして永遠に…
いつまでも翔子の親友でありたいと思います。
それが私の願いで、それが私の生きる理由。
そしてそれが私の希望だからです。




