交渉か戦闘か
《サイド:米倉美由紀》
さて、と。
試合開始まであと20分になってしまったわね。
時計の針は午後6時40分を指しているわ。
あと20分。
あっという間だったわね。
色々と考えてはみたけれど。
結局。
ただただ時の流れをじっと見つめていることしか出来なかったわ。
もちろん出来る限りの準備は整えたと思うけどね。
だからと言って安心できる状況ではないのよ。
それほど多くの布石が打てたわけじゃないから、今は試合の結果を待つしかないわ。
まずは御堂君が勝ってくれることを祈ることかしら?
御堂君が勝てばしばらくはこの学園も安定するはずよ。
天城総魔の脅威が制御できる範囲内であれば恐れる理由は何もないしね。
だけどもしも天城総魔が勝利したとすれば?
この学園の均衡は崩れ去ってしまうことになるでしょうね。
まあ、天城総魔が御堂君の代わりにこの学園の安定の為に力を貸してくれるというのならそれほど有り難い話はないけど、そんなに上手くいくとは到底思えないわ。
現時点では特に気になるような動きを見せてはいないけど。
だからと言って信用できる人物と判断できるわけじゃないからよ。
天城総魔という人物に関しての情報が少な過ぎるから安易に信用する事なんて出来ないの。
本当に何も起こらなければそれでいいけれど。
もしも天城総魔が隠し持っている本性を現したとしたら?
御堂君でさえ押さえ込めない力が暴虐の限りに振るわれるとしたら?
この学園の治安が崩壊して多くの犠牲者が出るのは間違いないでしょうね。
そうなってしまえばもうおしまいよ。
この学園の崩壊はそのままこの町の崩壊へと繋がってしまうことになるわ。
だからそれだけは許されないの。
絶対に許すわけにはいかないのよ。
共和国は世界各国から流れ着く難民達が集まる国だから、
全ての人々が善人じゃないっていうのは私だって分かってる。
亡命を果たした国民達の中には他国からの密偵や罪を犯して逃亡中の犯罪者まで含まれているから、中には悪人だっているでしょうね。
だからこそ。
そういった危険人物を調査して捕縛、拘束するのも各学園の役割なのよ。
なのに学園が治安維持能力を失うことは決して許されないわ。
各学園による徹底した自治力こそがこの国の支えだからよ。
そしてその安定感こそが他国との交渉の基盤でもあるの。
学園の機能が停止することだけは絶対にあってはいけないのよ。
安定した平和こそが共和国の求める理想であり、
これまで築き上げてきた結果なんだから。
それなのに。
50年の月日をかけて築き上げてきた均衡が天城総魔一人の存在によって揺らぎかねない状況にあるなんて認められるわけがないわ。
それが私の懸念する不安要素なのよ。
吸収という能力が危険すぎるの。
私としても吸収の能力は是が非でも手に入れたいと渇望する能力だと思うわ。
だけど、その能力が『存在してはいけない』ことも理解してる。
吸収という能力はその存在そのものが禁忌なのよ。
実際にどこまでの能力をはっきできるのかは分からないけれど…。
吸収という能力を考慮すれば、
学園中の魔力をかき集めて町一つを崩壊させる事も不可能な話ではないはずよ。
場合によっては町中の魔術師から魔力を集めて、
共和国全土に破壊を巻き起こす事さえ夢物語ではないかもしれないわね。
それほど危険視する必要のある能力なのよ。
だから天城総魔という人物を完全に見極めるまで野放しにする事は出来ないの。
場合によって抹殺する必要があるけれど…。
もしかしたら私でさえもう勝てないかもしれないわね。
はあ…。
手元に視線を落として、封書に書き記した文字を凝視してみる。
これは『辞職届』よ。
ジェノスの町の知事から引退すると同時に、
共和国の代表を辞任する意向を記した書類でもあるわ。
これが受理された時が天城総魔の暗殺が非公式に認められるということになるでしょうね。
私が辞職の覚悟を示すことによって天城総魔の危険性を国が認めるはず。
そして私の手によって天城総魔を処分することが暗黙の了解として認められることになるはずよ。
そのあとのことは近藤誠治に任せるとして、
私は私の責任を果たすために天城総魔を暗殺しなければいけなくなるわ。
その瞬間が訪れる可能性を考えると、
それだけでため息が止まらなくなってしまうわね。
「はあ…。」
もはや何度目かも分からないため息を吐いてみる。
そして目を閉じて願う。
これを提出する事がないことを一心に祈りながら、御堂君の勝利を願ってみる。
でもまあ、心はすでに覚悟を決めているわ。
共和国代表のみならず、この町の知事にして学園の理事長。
それらあらゆる地位を捨てる覚悟はすでにできているのよ。
それが私の役目だしね。
天城総魔を説得出来れば良いけれど。
もしも説得に失敗したら、
その時はこの書類を提出して天城総魔と戦うつもりでいるわ。
共和国の未来のために全責任を取って『天城総魔を封殺』する。
そして全ての出来事をなかった事として殺害の汚名だけを受け入れる。
それだけの覚悟は決めているのよ。
全てはこの国の為に。
今を生きる人々の平和の為に。
私は私の犠牲を受け入れるつもりでいるの。
「さてさて、ここに来るのはもう今日が最後かもしれないわね」
小さく呟いて席を立つ。
試合開始まであと10分になったからよ。
「交渉か戦闘か、どちらに流れるかで私の運命が決まるわ」
私にとっても人生をかけなければいけない最後の試合が始まろうとしてるのよ。
その試合の結末を見届けるために。
検定会場に向かうことにしたわ。




