明日この会場で
《サイド:天城総魔》
「試合終了!!!」
北条が大声で宣言した直後に試合場を取り囲む結界が消失した。
「沙織ぃぃっ!!!!」
慌てて駆け寄る北条だが、
すでに沙織の意識は失われているために返事の声は当然ない。
「さ、お、り?」
親友が倒れたことで声を震わせながらゆっくりと歩みを進める翔子の声にも沙織は反応を示さない。
俺の最後の攻撃によって意識を失った沙織の体は間違いなく翔子以上の重傷を負っているだろう。
すでに呼吸音さえ聞き取れない状態だ。
見ているだけでも痛々しい傷痕が数多く残されている沙織に急いで駆け寄ろうとする真哉と翔子だが、
その前に二人の行動を手で制止することにした。
「待て」
「どけっ!邪魔をするなっ!!!」
戸惑いながらも動きを止めて怒鳴る北条に正面から向かい合う。
「黙って見ていろ。心配しなくても治療くらいはしてやる」
「…う…っ。」
すでに自分では何もできないことを理解しているのだろう。
こちらからの提案によって北条が落ち着いた事を確認してから、
翔子にも視線を向けて訊ねてみる。
「文句はないな?」
「う、うん。何もないよ。というか、私からお願いしたいくらいかな」
「そうか」
翔子の許可も得られたことで一息ついてから沙織の胸の上に手を置いてみる。
微かにだが心臓はまだ動いているようだな。
沙織から伝わる温もりはまだ消えていなかった。
…とはいえ。
死んではいないが生きているとも言い切れない状況だ。
この状況から沙織を助け出すのは並大抵の魔術では不可能だろう。
胸の奥に感じられる微かな心臓の鼓動は確実に死に近づいているからだ。
今の沙織は翔子以上に危険な容態だ。
医務室へ運ぶまでの間に死亡が確定してしまうだろう。
それほど危険な状態だが、
死んでさえいなければなんとかなるとも思う。
さすがに俺でも死者を蘇らせることはできないからな。
翔子は本当にギリギリだったが、辛うじて治療が間に合った。
だが今の沙織ならまだ十分に間に合うだろう。
他の魔術師では無理だとしても俺ならまだ間に合わせられる。
柔らかな胸の上に置いた手で心臓の位置を確認しつつ。
添えた手に魔力を込める。
「リ・バース!」
魔法の展開と同時にふわりと輝く一瞬の光。
それは翔子の時と同様の輝きだ。
神々しささえ感じさせる神聖な光が輝いた直後に沙織の体から全ての傷跡が消え去った。
…と、同時に。
失ったはずの魔力も完全に戻っていく。
その代償として俺の魔力が急速に減少していくが、
魔力が底をつく前になんとか治療は終わったようだ。
流れ落ちた血液も再生されて、沙織の容態は安定している。
心臓の鼓動も一定の間隔で刻まれている。
これで死の危機は消え去ったはずだ。
現在の沙織は安らかな寝息を立てているだけで命に別状はない。
呼びかければ目を覚ますかもしれないが、
無理に起こす必要はないだろう。
さすがに精神的な疲れは残っているだろうからな。
このまま休ませておいたほうがいいと思う。
治療そのものは終わっているからな。
沙織の体力と魔力は共に万全な状態だ。
これ以上するべきことは何もない。
無事に治癒を終えたことで沙織の体から手を離すことにした。
「これでもう心配はないだろう。」
「すまねえな」
一部始終を眺めていた北条が静かに沙織へと歩み寄る。
そして沙織の状態を確認しているが、
眺めるかぎり、沙織の体のどこにも傷痕はないだろう。
制服すらもある程度まで修復しているうえに、
呼吸も安定して胸の鼓動さえも目視で確認できる。
さすがに制服を本来の状態に復元するところまでは出来ないが、
これ以上は確認するまでもないだろう。
沙織が無事であるということ。
それだけは紛れもない事実だからな。
その確認が取れたことで北条が俺に頭を下げてきた。
「悪いな。感謝する」
素直に頭を下げる北条だが、
今回のことに関しても礼を求めるつもりはない。
「俺のせいで迷惑をかけたようだからな。借りを返しただけだ」
翔子と沙織の関係に興味はないが、
俺の行動によって何らかの影響を与えたことに間違いはないだろう。
だからその謝礼として治療したに過ぎない。
「礼は必要ない。俺は俺のやりたいようにやるだけだ」
「ははっ。お前らしい考え方だな。」
軽く笑った北条は沙織の体を抱き抱えてから再び俺に視線を向けた。
そして。
「お前…」
ふとした違和感を感じたようだ。
見た目だけでは判断しづらいはずだが、
それでも北条は気づいたようだな。
「…大丈夫なのか?」
心配そうに尋ねる北条だが、
心配してもらう理由は何もない。
「ああ、問題ない」
いつもと変わらない声で答えたつもりだが、
強がったところで気配までは隠せない。
失われた魔力。
減少した魔力をごまかすことはできないからな。
ただでさえ翔子の治療の為に消費した魔力は莫大だった。
これまで蓄積してきた魔力の半数近くを消費したといっても過言ではないだろう。
その補填として和泉由香里から魔力を奪っていたが、
それだけで全てを補えるわけではない。
何より魔力を消耗した状態で沙織と戦って、
沙織の治療にもかなりの魔力を消費している状態だ。
魔力に余裕などあるわけがない。
その事実を裏付けるというわけではないが、
沙織の攻撃によって受けた俺自身の怪我の治療は行えないでいるからな。
すでに自分では回復魔術を使えないほど魔力を消費し尽くしてしまっている。
だから気づかれてもしかたがないだろう。
北条の表情を見ればそれも分かる。
そしてその事実を翔子も感じ取っているようだ。
北条との会話の間。
翔子の瞳は不安に満ちていた。
…不安、か。
心配してもらえるような間柄ではなかったはずだが、
どう考えても今『一番』危険な状態なのは俺自身だからな。
それも仕方がないだろう。
沙織から受けた魔法の影響は確実に残っている。
本来なら早急に治療すべき状態だ。
だから、だろうか。
翔子はこの場での話を聞き流して、急いで受付へと走っていった。
沙織の事は気になるとしても、
今は親友を心配すること以上にやるべき事があるのだろう。
慌てて走り去る翔子だが、
その動きに気付いていない北条が再び尋ねてくる。
「一応聞くが、本当に大丈夫なのか?」
「ああ、問題ない」
決して弱音を吐くつもりはないからな。
例えこの状況で北条が挑んできたとしても受けて立つつもりでいる。
戦いにおいて待ったなど存在しないからな。
「どんな状況であろうと、俺の考えは変わらない」
はっきりと宣言したことで俺の言いたいことが理解できたようだ。
これ以上の追求は無駄だと判断した北条は小さく笑いながら大人しく背中を向けた。
「まあ、お前がそういうならそれでいい。でもな?俺としても弱ってる奴をいじめても面白くねえんだよ。やりたいことがあるのなら、ちゃんと『準備を整えてから』出直してきな」
俺の意図は察してくれたようだが、
北条は試合を受けなかった。
試合を行うのは簡単だが、
今は沙織を医務室へと連れて行く事を優先したのかもしれない。
今は眠っているだけとは言え、
放っておくことは出来ないようだな。
北条は沙織を抱えたまま医務室へ向かおうとしたのだが、
すぐにその足を止めて再び話しかけてきた。
「ああ、そうだ。」
一言呟いたあとで、
北条は振り返ることもせずに話しかけてくる。
「明日この会場でお前を待つ。準備が整ったらいつでも来い。万全な状態のお前と戦いたいからな。だから今日はもうゆっくり休め」
優しく語りかけられた言葉に見下すような思いは感じられなかった。
おそらく北条なりに気を使ってくれているのだろう。
その優しさが分からないほど戦いを求めているわけでもないからな。
ここは一旦、退くべきだと思う。
無言のままで頷いてみると。
こちらの思いを察してくれたのか、北条も黙って会場を出て行った。
そしてそのあとで、観客達もばらばらと試合場を離れていく。
最後に残されたのは俺だけだ。
…ふう。
一度だけ大きく深呼吸をしてみると、
思っていた以上に体が限界に近づいていることが感じられた。
怪我の治療ができないせいか、
軽く目眩を感じてしまうほどだからな。
このままでは倒れるのは時間の問題かもしれない。
それが分かっていても、
現時点で出来ることは何もなかった。
体を治療するにしても魔力が足りないからな。
ひとまず寮に戻って体を休めるべきだろう。
少し休めばそれなりに魔力がもどるはずだ。
体の治療は今日中に行えると判断してから会場を出るために歩きだす。
そして退出の手続きを行う為に受付に向かおうとしたのだが。
改めて思うように体が言う事をきかないことを自覚してしまって自分自身に苦笑してしまう。
さすがに疲れを誤魔化しきれないようだ。
足取りもふらついている。
まっすぐ歩くことさえ困難な状態だな。
それでもなんとか気力で補おうとするものの。
断続的に起きる目眩が体の限界を物語っていた。
魔力は限りなく0に近い。
意識を失って昏倒する寸前のギリギリの状態だろう。
北条が感じていた通り。
すでに自らの体を治療する為の魔力すらないからな。
今の状態なら学園最弱の生徒でも勝てるかもしれない。
そう思えるほど体力的な限界を自分でも感じている。
このザマで勝負を挑むのはさすがに無謀でしかないな。
北条に対して強がった自分に対して自虐的な笑みを浮かべながら、
ゆっくりと時間をかけて受付にたどり着く。
そして、気付いた。
受付で一人の少女が待っていることに、だ。




