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A/Rights 変質した世界で  作者: 千果空北
第二章:茨の道と血濡れの足跡
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Ⅵ-8



 少しの間を置き、クロは表情を崩す。


「誰も足を切り落とす、なんて言っていない。勘違いするな」


 究極の二者択一を強いた時に見せた表情の一切を取っ払い、クロは自身の言葉に怯んだ小心者のような口調で提案を加える。


「俺がお前を撃つ。足に軽く穴が開く程度、権利者なら死にはしない。避けなければ……、素直に当たればこいつもすぐに解放してやる。どうだ?」

「…………」

「嫌ならそれでもいい。今の状態で仲間を呼び、安全無事に撤収するだけだ」


 左手のナイフを鞘に戻し、肩を掴んだまま離さずにズィルバーにアンヘルを突き出す。


「……分かった、好きに撃て」


 悪夢のような十数分からやっと解放されるのだと、安堵を籠めて縋り付くアンヘルの眼差しに曝され、ズィルバーはクロの案を承諾する。動くなよ、とクロが声を掛け、ズィルバーは歯を噛み締めて自身に訪れる痛みを待つ。


「――――ッ!!」


 だが、ズィルバーは寸前の所で銃弾を躱す。続けざまに二発、三発と迫る銃弾――拳銃弾とは思えない弾速は避けきれず、右大腿部と左肩を掠る。


「約束が違うぞ!」


 叫んだのは、クロではなくズィルバーだ。頭部を狙った最初の銃弾を含め、ズィルバーを襲った三発の銃弾は全て致命傷を狙った銃撃であった。


「何故避けた?」


 舌打ちは心の中だけで済ましたクロは、小心者から卑怯者に仮面を被り直して淡々と尋ねる。怒りを燃やして睨むズィルバーに対して、非があるのはそちらの方だと臆せず言ってのける。


「俺は足を撃つ、なんて一度も言っていない。足に穴が開く程度じゃ死なないと言っただけだ。寧ろ非難されるべきは、避けなければ解放すると俺の定めた条件を破ったのはお前だ」

「この卑怯者がっ!」

「何とでも言え」


 膠着状態が打ち壊されたのを好機と見たズィルバーは強行突破を試みる。強化型の『魔法権利』によって底上げされた身体能力に頼り、一気に距離を詰めようと走り出したのだ。


 それでもクロとの距離は長く、『加速』を持つクロに十分な猶予を与えた。


 ズィルバーに向けた銃口を、クロはそのまま下に移動させ引き金を引く。二発の銃弾が背中からアンヘルの脇腹を貫通し、コンクリートを跳ねた後に真っ赤な染みを描く。何が起こったのか分からずに腹部に手を当てたアンヘルは、真っ赤に染まっていく手とは裏腹に顔を蒼白に塗り替えていった。


「死にはしない。腹部の贅肉を削いだだけだ」


 クロは遊底止(スライドストップ)した拳銃を手放し、アンヘルの耳元でそっと囁く。これはクロが抑え込んでいた同情心から来る一言であった。但しアンヘルではなく、ズィルバーに対しての。


「両手でしっかり傷は押さえていろ。空中にぶちまけられた自分の内臓(なかみ)を見たくなければな」


 その言葉に従って両手で傷を押さえたアンヘルの両脇にクロは手を回す。その際ピクリと反応するが、クロは気にせず抱え上げ――――全力で放り投げた。


 ハンマー投げの要領で遠心力を加えた投擲により、アンヘルの華奢な体は空高く弧を描く。高々と空を切るアンヘルは、数十メートル先の海面に叩き付けられる軌道を取っていた。


「あんたはああああああああああああ!!!」


 ズィルバーがクロまで辿り着いたのは、アンヘルが宙を進む最中であった。


 放り投げられて数十メートルの距離を進む数秒間――当然それだけの時間があれば、クロは戦闘態勢を整えることが出来る。準備と言っても、ナイフを抜いて構えるだけだ。


 ナイフを両手に、クロはズィルバーを迎え撃つ。


 ズィルバーの怒りの拳がクロを襲う。同じような背丈と体格だが、動きは『加速』を使えるクロの方が断然速い。ズィルバーから繰り出される突きを主体とした拳を、超人的な反応速度と華麗な体捌きで躱していく。


 クロはナイフを握っていたが、攻撃を退けるだけならナイフは必要ない。


「お姫様が溺れてるぞ」


 ただ、その一言を囁けばいいのだ。


 ズィルバーと対峙して、アンヘルが敵方の重要人物であると知ってすぐ、クロにはこの方法が思いついていた。そして実行したならば、相手の戦力を削ぎながら突破出来るとも確信していた。外道を演じて非道を行いさえすれば、自分とシロを遮る障害も易々突破出来るのだと。


 心が痛まない訳ではない。ズィルバーが今味わっているのは、シロが攫われた時に自分が感じた焦りと怒りだ。その苦しさは途轍もなく、――――だからこそ、クロは情け容赦なく実行した。意趣返しが少しも頭になかったかと訊かれたら、そんなことはない。シロの拉致に加担した奴は例外なく八つ裂きにしてやりたいし、その方法がノーリスクで選び放題なら最も酷なモノを選ぶだろう。


 だが、今回に限っては別だ。


 偶然思いつき実行した方法が自分の味わった境遇と似ていただけで、それ以上の意味は持っていなかった。


 同情はするが、容赦はしない。


 ズィルバーはクロに拳を向けるのを止め、身を翻してアンヘルが落ちた方角に向けて走り出した。


「冬の海は寒いぞ」


 その道をクロは塞ぐ。その速さに驚き、そして怒りを形にしたズィルバーの拳はクロに向けられる。クロはその軌道に割り込むようにしてナイフを合わせた。クロの振るったナイフは、さっくりとズィルバーの腕に切り傷を刻み頬を裂く。ズィルバーの顔が苦痛に歪む。それでも負けじと繰り出す拳に、クロは次を合わせようとする。


「――――ッ!」


 合わせようとして、寸前の所で止める。クロの持つ危機感知能力が本能的な恐怖を嗅ぎ取ったのだ。その嗅覚に違わず、クロの手放した肉厚のサバイバルナイフはズィルバーの拳に貫かれ、折れてしまった。


 素手で鋼鉄のナイフを折るなど、通常では考えられない。


 ズィルバーの目の下には印が浮かんでいる。ナイフを素手で砕いたのは、ズィルバーの『魔法権利』に違いなかった。しかしカーマインと之江、紅緒を退けた『魔法権利』にしては地味で、少なくともカーマインが遅れを取る類の『魔法権利』には思えなかった。


 焦りだ。


 ズィルバーはクロなど見ていない。目の前に飛び込んだナイフを砕いただけで、意識はずっと遠くに沈むアンヘルに向かっている。『魔法権利』を見せたのは無意識か牽制を意図してなのかは分からないが、結果的にクロは距離を取らざるを得なかった。


 一方でこれ幸いとズィルバーは走り出す。腕から血を滴らせてはいたが、行動を奪うには程遠い傷だ。ズィルバーにアンヘルを助け出させるのは構わない。アンヘルを助けた後に、自分たちの元にまで戻って来られると困るのだ。


 クロは『加速』で距離を詰め、ナイフを滑らせる。


 クロの急接近にズィルバーは苦い顔をするが、進路は変えない。ぱっくりと腹部を裂かれながらもクロを無視して走り、朝日が照り返す眩しい海面に飛び込んでいった。


「凄い奴だ」


 クロはズィルバーが水面に消えると即座に身を翻す。


 次は自分の番だ。ズィルバーが傷ついたアンヘルを助ける為に躊躇なく極寒の海に飛び込んだように、今度は自分がシロを助け出す為にマンホールから地下に降りなければならない。


 光の差さない海中同じく、ここの地下にも何がいるか分からない。


 それでもクロは降りていく。疲労と痛みで軋む体を動かして、暗い地下にシロの輝きを求めて。





 地下は想像していたよりずっと明るく、簡単な造りをしていた。迷路のように入り組んではおらず、軽く見渡せば全体が見渡せる程だ。見えるのは数本の支柱と扉、そして無駄に高い天井――だだっ広い空間の割に、インテリアの一つもない。


「やはり、気配が残っている」


 この地下は海に繋がっているのか、磯の香りと波音に満ちている。


 若干の肌寒さを感じながら、クロは気配を嗅ぎ取り追っていく。微かな物音に血の臭い、何より床を汚す足跡が何処の部屋に出入りが多いかを教えてくれる。


 クロは扉の前に立ち、考える。


 手持ちの武器は厚いサバイバルナイフが一本と投擲にも使える短いナイフが二本――全て敵から奪った武器で、拳銃は予備も含めて使い切ってしまった。つまり扉の先に銃を構えた男たちが大量に待っていたとしても、遠距離で処理出来るのは投げナイフ二本分の敵だけだ。


 もう後戻りは出来ない。


 最低限の防音機能は備え付けられてはいたが、誰が見てもライフル弾を防ぐことは出来ないと分かる程に壁は薄い。扉を開けたが最後、遮蔽物に隠れるという逃げ道はなく、相手が何人いようと突っ込む選択肢しか残っていない。


 充分に『加速』を効かせてから、クロは扉を開く。


「…………っ」


 クロの不安とは裏腹に扉の先でクロを待ち構えている敵はいなかった。代わりにクロを迎えたのは腐臭だ。鼻を覆わずにはいられない程の悪臭にクロは無意識に後退る。


 狂人。変態博士。マッドサイエンティスト。


 仲間からもそう称されるだけの理由が扉の先には漂っていた。


 クロは薄まった腐臭が肺に馴染むのを待ち、踏み込んでいく。室内はやはり地下とは思えない程に広く、幾つかの大きなテーブルと棚に並べられた瓶詰の何か、その奥に佇む人影が目に入る。


「……おお、キミ! よく戻って来た。外は静かになったかね?」


 元の色を忘れた薄汚れた白衣を着た女が、両手を広げて満面の笑みで出迎える。薄汚れているのは白衣だけではない。肩口で揃えられた金髪も、分厚い眼鏡すら汚れている。肌に至っては辛うじて白人だと分かるくらいだ。身の周りのことは気にしない――興味のある事柄以外には無頓着な類の人間、そんな相手からの不意の歓迎と大仰な態度にクロは戸惑いながらも、警戒を解かずに近づいていく。


 この女が変態博士と呼ばれていた人物だと、クロは察する。


「ええ、博士。もう安心です」


 博士の近くのテーブルには若い女が寝かされていた。安らかな寝顔だが、呼吸をしているから死んではいない。すぐ傍には不要になった拘束具と血濡れの服が捨ててある。紅緒の言っていた情報部の強化兵士だとクロは当たりを付ける。


「敵は我々が退けました」

「ならここから移動する必要もないのかね? ここの環境は素晴らしいの一言に尽きる。キミたちが崇める……ええと、アンなんとかって少女の『催眠』のお蔭で実験動物には事欠かない。人間もAFも皆眠っている。攫い放題捌き放題、最高な職場だね」

「いえ、博士」


 クロは適当な相槌に嫌悪感を隠し、手早く分析する。


 このくすんだ金色の髪を持つ女は、名前を覚えるどころか他人の顔など覚える気がないのだろうとクロは言葉の端々から連想する。仲間と言っても接する機会があるのは責任者や権利者だけ。一兵士の名前や顔など覚える覚えない以前に知らされないのかもしれないが、原因はそれだけではないのだろう。


 クロの想像通り、博士に弄られると碌でもないことになると仲間から揶揄される程、この女は歪んでいた。他者を弄る『魔法権利』を持つからこそ、他者の中身を見ようとしない。人望がなくても、人望は無理矢理作り出せるから必要ない。とても利己的で、集団に属せない類の人種である。


「どうやらお嬢はここを離れるようです。あなたが来てくれなければ我々も移動が出来ません。博士、片付けは終わっていますか?」


 だが、疑われないのは好都合だ。クロは胸を撫で下ろす。


 敵の戦力は残っていない。カーマインを退けた厄介な権利者は、自身の傷と傷付いた少女を抱えているので戦えない。幾ら権利者と言えど、こんな身形の研究職に戦闘能力があるとは思えない。ならば後はこの腐臭漂う空間で小汚い女を殺すだけでいい。


 攫われた一人はここにいる。シロもこの空間の何処かに居る筈だ。


「片付けは苦手だ」とボヤキながら、博士はテーブルに寝かされた女の肩を叩く。その行動から一抹の不安要素を嗅ぎ取ったクロは、右腕を背中に回して袖に仕込んだナイフを取り出す。


 博士に叩かれた女は機械のように背筋をピンと伸ばしたまま起き上がる。寝顔から変わった箇所は開いた両目だけだ。口元は固く結び、その瞳に意思は宿っていない。まるで人形だ。


「私は奥で続きをしてくるよ。キミには彼女の性能テストを任せ――――」


 性能テスト、と言いかかった時点で既にクロの手からナイフが投げ出されていた。


「ああ、テストは、敵であるキミに任せるよ」


 予備動作を可能な限り抑え、『加速』で速度を高めたナイフの投擲は、博士に届くことなく叩き落とされる。博士は目覚めたばかりの手駒に――海軍情報部の女にクロの相手を押し付け、奥に進んでいく。


 その最中、くるりと振り向き声を張り上げて尋ねる。


「精々、壊さない壊されない程度に頑張ってくれたまえ。権利者の……ええと、キミの名前は?」

「クロだ」

「変な名前だな、日本人はその名をペットに……まあいい。その子は右京、もう一人も後から連れてくるよ。右京と左門、男女の双子で軍人だ。楽しくやってくれたまえ」


 博士とクロの間に立ち塞がった女――攫われた海軍情報部の彼女は、右京と名を呼んだ博士に応えることなく無機質な瞳でクロを見つめている。いや、無機質なのは感情の有無がないだけではない。彼女の瞳の片方は義眼だ。機械の瞳が時折動き、こちらにピントを合わせているのが分かる。


 相手は素手で、武器の類を隠し持っている様子もない。満州の廃棄路線で戦ったブリトニーのように体格も特別いいとは言えず、身長は百六十センチ半ば、華奢とまではいかないが女性としても軍人としてもあまり肉付きがよくない。


 それでも、相応の戦闘力を有しているのは確実だ。


 少なくとも、『加速』した投げナイフを叩き落とせる程度の反応速度は持っていた。


「死んでも、俺を恨むな」


 殺しても問題ない。その言葉を真に受けることなく、クロはナイフを構える。利き腕の右手には短い投げナイフが握られてはいたが、投擲としては使えない。投げナイフで致命傷を与えるには目や首、その他急所を的確に狙わなければならない。


 そして反応速度の優れた相手は、『加速』させた投擲も当然のように躱す。


 クロは差し当たり、相手の力量を測る為に右手のナイフ一本で斬り付ける。様々な角度から縦横無尽に刃を繰り出し、相手の反応を見る。避けるようなら速度を上げ、それすら躱せないようなら早々に組み伏せて意識を奪えばいい。


 殺すつもりは端から無い。生かして無力化出来るなら、それが一番だ。


「――――ッ!」


 だが最初の一手――ナイフの一振りを、右京は軽く受け止める。


「素直です。とても分かり易い」


 想定していない反応を打破する為にクロは受け止めた腕ごと右京の体を振り払おうと力を籠める。その力を利用され、クロの体は宙を舞う。


 柔術系統の技だと、投げられたクロは歯噛みする。受け身を取らずに抗えば、手首を圧し折られていた。『加速』に対応出来る程の反応速度を持ち、それを有用に活かす方法も知っている相手――厄介だ。


「そこを退け」

「却下です」

「俺はシロを取り戻しに来ただけだ」

「却下です」


 言葉が通じるが、会話が出来ないらしい。


 手を伸ばせばシロに届く位置で、クロはただ苛立ちを募らせていった。




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