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A/Rights 変質した世界で  作者: 千果空北
第二章:茨の道と血濡れの足跡
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Ⅵ-5



 折れて宙を舞うナイフの先端を見て、クロは血の気が引いていく自身を感覚した。


「――――ッ!」


 あのナイフを、もう長くは使えないことは分かっていた。人を刺した所為で油が表層に取り付き、『加速』が劣化を速めていた。鉄線を弾く度に刃が欠けていたが、それは相手の『魔法権利』に圧倒されたのではなく、純粋な金属同士の衝突によるものだとクロは楽観視していた。


 最悪のタイミングだ。


 それを認識してすぐ、クロは覚悟を決める。


 クロは相手が状況を把握するより先に次の一撃を折れたナイフで防ぎ切ると、そのまま切先のないナイフを相手に向けて投擲する。投擲には『加速』を使っておらず、あくまで普通の反応速度で防げる程度に抑えていた。


 牽制は、相手に認知されなければ意味がない。


 投擲に合わせて、クロは大きく息を吸って距離を詰める。案の定、相手はクロの牽制に釣られて両腕を体の前に運び、所謂反射的な防御の姿勢を取っていた。


「――――ッ!」


 男は今回の戦闘では直隠しにしていた急『加速』に対応しきれずに、クロの接近を許してしまう。


 急接近――肘と肘とがぶつかり合う程の至近距離。


 お互いに動けない。動けたとしても、戦えるような距離ではない。


「はっ! こんなに近づいて、お前もどうしようも――――グェッ!」


 一拍――言葉を挟み間を置こうとした男に、クロの右肘が突き刺さる。コンパクトに振り抜いた右肘は鈍い響きを伴って男の肋骨を数本粉砕する。『加速』を使って繰り出された打撃に対応出来ず、男の体は揺らぎ倒れそうになる。


「こんなすぐに倒れるな」


 クロは男の右腕を強引に掴み上げ、空いた方の手を男の右腕に振り下ろす。


「ギャアッ! いてぇじゃねーかッ!!」


 男の右腕はあらぬ方向に曲り、そこに装着していた鉄線を巻き取り射出する装置は、力なく飛び出した鉄線を回収することなく壊れて外れる。男は涙目になりながらも『剥離』を拳に纏わらせ、不慣れな接近戦に挑む。


「『魔法権利(そんなもの)』に頼らなければ、戦えないのか?」


 『剥離』が発現した瞬間――男の目の下に印が現れた直後、クロの拳が男の顔面を打つ。男の体は冷たい土の上に投げ出される。近くに残っている筈の二人の仲間も、援護に回った狙撃手も、男の頭の中からは消えていた。今はどうやって、クロに立ち向かうか――――


「お前も男だろ? 素手で来い」

「――――ッ!」


 唐突に体が硬直して言葉が詰まる。いや、言葉だけではない。体全体が、意思とはまるで逆方向に動かされていた。このままでは素手でクロと戦う破目になる。少なくとも、体はそう動いていた。


「『挑発』だ。相手が一度でも俺の誘いに乗りさえすれば、後はトロッコで坂を下るようにずるずると定められたレールを滑っていく」

「な……そ……に……ッ!」

「何故、そんな『魔法権利』があるならすぐに使わなかったのか? お前が訊きたいのはそれだろう。答えは簡単だ。この『挑発』は、使用者の俺にも効く」


 腕を振り回すようにして殴りかかってくる男を往なしながら、クロは続けていく。


「お前に『魔法権利』は使わせないが、俺も『魔法権利』は使えなくなる。『加速』も、更なる『挑発』も」


 拳の通り過ぎ様に、クロは男の顔面に拳を叩き込む。


「同じ条件での殴り合いだ」


 尻餅を付いた男をそのまま蹴り倒すと、クロは馬乗りになり容赦なく男の顔面を殴打する。全力で、執拗に、相手の意識の有無などまるで気にせずに。


「『魔法権利』の質の違いも、相性の違いも、全てすべて関係ない。純粋に己が積み上げてきたモノだけが試される。不純物のない、本当の強さの証明――そしてその方法が、素手での殴り合いだ」


 相手の四肢から力が抜け、大の字に投げ出される。その顔は真紅に変わり、元の形は完全に消え失せ、金色のブロンドまでも赤黒く染まっていた。


「これなら、公平だ」


 一方的な暴力を振り撒いたクロは息を荒げながら、ただ一言吐き捨てた。


「分かったか?」






「酷い状況なの」


 空から降りてきた紅緒は、嫌そうな顔を隠そうともせずに呟いた。


「ご主人が手間取りそうなスナイパーは私が始末したの。……ただ、他の二人は逃したの」

「そうか。助かった」

「ご主人は詰めが甘いの。私が気付くのが少し遅ければ、ご主人の首は狙撃されて吹き飛んでたの。 ……で、そこの人はご主人の言った通り権利者だったの?」

「ああ、意外と苦戦した。いや、……」


 クロは思い留まり、ふと思ったことを口にする。前から薄々と感じていた、自分に振り掛かるそれについて。


「俺は、酷く運が悪いのかもしれない」

「そうなの?」

「少なくとも、落ちるか落ちないか微妙な吊り橋を渡ったなら、まず間違いなく落ちる」


 紅緒はクロの下で伸びている男と『魔法権利』によって切り開かれた森、折れたナイフの切先を眺める。そして合点がいったのか、口を開く。


「だから、飛び越えたの?」


 落ちそうな吊り橋が確実に落ちると分かっているのなら、それを渡る必要はない。つい数十分前にそうしたように、形振り構わず飛び越えてしまえばいいのだ。そうすれば身を包む不運にも、足を取られることはない。


「依存する存在が少なければ少ないだけ、俺に振り掛かる悪運も減る」


 それがクロの、どうしようもない事柄に対する哲学である。


「それならそれでいいの。……それより、その手は痛くないの?」

「手……、というよりは指だな。脱臼以上骨折以下、内出血と返り血で酷い有様だ。ただ、これは俺だけじゃない。拳を固めて殴ると誰でもこうなる」

「それは知らなかったの」

「ボクサーですらグローグやテーピング固定なしで人は殴れない。拳法家や空手家のように、何度も砕き、治してまた砕く。そこまでしてやっと、このひ弱な関節は人間の腕力に耐えられるようになる」

「でも普通は脱臼骨折に至るまで殴り続けないの」


 紅緒はクロの話を適当に流しながら、男の首元に手を当てる。僅かな脈動を感じると、紅緒はクロに対して許可を求める。


「ご主人、この男はまだ生きてるの」

「ああ。顔なんて、どれだけ殴っても死にはしない。殴った手を痛めるだけだ」

「海軍情報部? ……そこの人たちが、この男を回収したいって言ってるの。ご主人、どう返事したらいいの?」

「好きにさせればいい。俺がダメと言ってもどうせ奴らは行動する。なら精々俺たちが掻き回して成果を残し、奴らの顔を立てさせてやればいい」

「分かったの」


 紅緒は無言のまま無線先の情報部員にクロの判断を伝える。クロはその様子を横目に立ち上がる。そして両拳を濡らした血を振り払うと、ズキズキと響く痛みに顔を顰める。


 動物だ。


 相手を害獣呼ばわりしておきながら、自分は理性の箍を外して気が晴れるまで相手を殴る。動物と何ら変わりがない。自分のコミュニティーに属する雌に手を出したよそ者に制裁を下すボス猿と同じだ。野性的であり、直情的だ。


 クロは激しく自身に嫌悪を向ける。


 自分はもっと理性的で、合理的な人間――少なくともシロが傍にいた時は、そんな人間だった。表面的な直情さをシロが、内面的な合理さはクロが担当する。二人揃ってやっと一人分の人間性が備わっていた。そしてその皺寄せが、一人になった今のクロを苦しめている。慣れていない感情の起伏は、まるで小舟に押し寄せる大波だ。


 シロが担っていた領域の補填は、一朝一夕に出来るモノではないのだ。人との関わりが増え、クロは自分の不足を再確認した。他者の気持ちを汲み取り誘導して、それによって対応を変化させること。初めから上手くいくなど思ってはいないクロであったが、それでもこうも無残を晒すと途端にシロが恋しくなる。


 シロに会いたい。取り戻したい。


 その理由の半分が自分の為であるという事実もまた、クロを苛んでいく。


「ご主人、ボーっとしてないの」


 思考に耽っていたクロの背を、紅緒が小突く。クロが止まっていたのは数秒もない僅かな合間だけだ。けれど背後に立ち、今はクロの左肩に手を伸ばす少女は、クロの苦悩を嗅ぎ取っていたのかもしれない。それはどういった類のモノか、をではなく、恐らく漠然とした雰囲気のみであるが。


 かつては周囲を巻き込んで鎬を削り合った女王が、瀕死の自分に手を差し伸べ、今は従順――寧ろ服従している光景に、クロはむず痒さを感じずにはいられなかった。自分に付いて来たのは九州で口にしたその場凌ぎの言葉を建前に、牢獄から抜け出して自由を掴む為の処世術の一つだとクロは踏んでいたからだ。けれど八幡紅緒の焦げ茶色の瞳は、絶えず自分を追い続ける視線からは、殺気どころか謀略を計ろうとする気配すら感じられない。恋慕や憧憬とも違う、妙な興味だけが付き纏っていた。


 そんな掴み所のない少女は、倒れた男の右肘辺りに牙を突き立てていた。


「ご主人、こいつを運んで欲しいの」


 意識の飛んだ男に神経毒を注入した紅緒は、口元を拭って口内に入り込んだ血を吐き出す。何重にも保険を掛けることは悪手ではない。男の『魔法権利』は発散型接触系、三峰の『拡散』と似た性質と破壊力を秘めている。迂闊に触れて致命傷を負わされては堪らない。


「運ぶ必要はあるのか? ここは周囲の木も薙ぎ倒されて拓けている。多少の手間は掛かるかもしれないが、見つけ易い場所とも言える。道沿いの分かり易い所に放置して敵が先に回収するリスクも減る」

「それでも、せめて一般道の近くまでは運べって情報部の人は言ってるの。それが出来そうにないなら、ここで殺してもいいらしいの」

「……何か、理由があるのか?」

「あるの」


 クロが挙げたリスクを相殺しても運ぶメリットが――いや、ここに置いていくデメリットが優る。


「この近辺には、まだAFがいるの」


 クロの知る限り、紅緒は強化型の『羽化』という『魔法権利』しか所持していない。広範囲でAFの気配を察知出来るのは発散型のみ。その定説を覆す仕組が紅緒には備わっているのかもしれない。なんせ紅緒は元女王――以前は山のような数のAFに囲まれて平然としていたのだ。例外は、十分に考えられる。


「AFを感知出来るのか……?」

「違うの。空から目視したの。私とAFとの繋がりは、今は完全に断たれているの。あの子たちは私にも構わず襲い掛かるだろうし、ご主人やこいつは言わずもがななの」

「だから回収用の部隊を寄越すにしても、森には入りたがらないのか……」

「なの」


 一瞬、クロは顔面を潰された男を見る。


 軍が本当に回収したいのはこの男の身柄ではなく、この男の持つ『魔法権利』だ。敵の権利者を捕虜――それも非正規作戦に従事した権利者を生け捕りに出来たなら、それは『魔法権利』を一つ奪えたのと同じこと。誰にも後ろ指を指されることはない。適格者が見つかるまで幽閉して、薬漬けにして反抗する力を削ぎ、殺させて奪えばいいのだ。


 そして恐ろしいことに、それはシロにも当て嵌まる。


 シロが手の届かない場所に移送される前に、その袖を掴まなければ――――。


「紅緒、情報部の奴らに伝えろ」


 クロは男の体を抱え上げると肩に乗せ、早足で進みながら早口で喋りだす。


「こいつは道路までは運ぶ。だがそこまでだ。AFの襲撃からは守らない。俺は先を急ぐ。こいつの体が乗っ取られ、『魔法権利』持ちのAFを誕生させたくなければ、これ以上の無駄口は叩かずに急行しろ」

「伝えておくの」


 無言で喋りだした紅緒を余所に、クロは一層足を速める。気配が近づいてきている。索敵(ソナー)に反響するだけでも四匹、自分たち目掛けてAFが迫っているのだ。


「……嫌らしい『魔法権利』だ」

「ご主人?」

「この日本の、九州と言う無法地帯に、妙な場所があった」

「妙?」

「俺とシロ、ケイジさんと三峰がちょうどこの近辺を通り抜けた時、強烈な睡魔に襲われた。最初は朗らかな陽気の所為かとも思ったが、シロが言うには『魔法権利』によるもの――ここは催眠作用を助長させる何かを意図して張り巡らせている場所らしい。お蔭でAFとも遭遇しなかった」

「AFが眠らされていて、その子たちが今動き出しているの?」

「そうだ。眠らされていたのは恐らく人間も、だが。……いや、兎に角この近辺を制圧していた権利者も、今回の襲撃の関係者とみて間違いない。危機に瀕した一般人が偶然『魔法権利』を覚醒させ、それを何か月も持続させ、診療所を襲った奴らが逃げ込むと同時に展開した『魔法権利』がばったりと閉じる。……そんな偶然が連続するとは思えないだろう?」


 ここの『魔法権利』がどれ程に強力なのか、クロは体感していない。早々に睡魔に抗うことを止め、シロの抵抗力に全てを託したからだ。ローザから聞いた系統分けから鑑みるに睡魔を与える『魔法権利』は干渉系、シロの『閃光』に本当に抵抗力があったのかどうかは分からない。


 だがシロを攫った襲撃者は九州方面に逃げたと聞いた時から、クロは睡魔を防ぐ策を用意していた。自分だけでなく紅緒にも有効な、『挑発』を使った精神の防護柵だ。


「ご主人」

「分かっている」


 全てが台無しだ。初めから全て上手くいくとは思っていなかったが、やることなすこと裏目に出るのは流石に心が疲れる。


「紅緒、小銃を俺に寄越して代わりにこいつを担いで飛べ。先にバイクを確保しろ」

「ご主人、まさか一人でやるの?」

「問題ない。早く飛べ」

「……了解なの」


 草葉を掻き分けAFが近づいてくる。頭数は四匹から増えていないが、距離は近い。このままいけば接触まで数十秒、クロは紅緒に離脱するように急かす。


 素手でAFとは戦えず、成長型AFに小銃弾は効果が薄い。


「それでも、二人で戦うより早く終わる」


 確かに紅緒と共に戦えば負傷のリスクは減る。いや、多少の負傷など気にする必要はないのだ。今は以前のように継戦能力を可能な限り維持しなければならない状況ではなく、多くても後数回――シロを攫った相手と戦える分だけを残しておけばいい。AFが複数人に対して抱く警戒心がない分、戦闘に移行するまでの間も省略出来る。


 敵は一人。数の優位を相手に知らしめるのが肝なのだ。


 故にクロは、灰色の化物に一人で立ち向かう。


 怪物が化物を、人間がAFを喰らい蹂躙する為に。


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