Ⅲ-2
「やばいヤバイやばいヤバイ」
クロを置き去りにしてまだ数分しか経っていない。しかしシロは普段のように速度を出さずに舐めるかの如くゆっくりと道を進んでいた。そして口からは、止めどなく呪詛が漏れている。
「……クロ欠乏症か?」
ケイジの冗談七割本気三割の問い掛けを無視し、シロは左の小指を丸めて噛む。
三人を乗せた車は大きな交差路を捉え、それに近づくにつれて車の速度も徐々に下がり始める。
「……右の方が少なくないですか?」
「ダメ、誘われてる気がする。それに曲がったらクロが追いつけない」
三峰の助言をシロが一蹴する。そして交差路に入る直前に、何がやばいのかを引き攣った顔で口にする。
「……実は、かなりの数のAFに追われてるの」
ケイジは表情を動かさない三峰を見て、自分に向けられた言葉だと理解する。
「私が分かる範囲だけでも、大きい気配が幾つもある! 仕掛けて来ないけど、こっちが遅いのを良いことに合わせて移動してる」
交差路を無事に通り抜けてもまだ、シロは緊張したままである。三峰も過ぎ去る車外の風景に、忙しく目を向けている。
ケイジは手持無沙汰を嫌って、組み立てたまま一度も使っていないソレを掴み、銃弾の込められた箱を引き寄せる。
『M240機関銃』――7.62mm弾を750発/分で撃ち出すこの機関銃は人間に向けて撃つには威力過多であり、見るも無残な光景を作り出すことは避けられない。事実、暴走族に追われる最中この機関銃を組み立てるクロとケイジを見た三峰は、目を見開き言葉を失ったほどだ。だが、人間以外が相手ならば――AFが相手ならば、情け容赦なく銃弾の雨を浴びせることが出来る。
「おうおう、こりゃランボーになった気分だな」
緊迫した顔で進攻ルートを探すシロと三峰を置き去りに、ケイジは一人お気楽に天井の窓を開けていた。その行動に気付いた三峰は軽率さを咎めようとしたが、その手に握られた機関銃を見て黙ってしまう。
ジャラジャラと弾丸の詰まった弾箱を揺らしながら、ケイジは座席の上に立ち窓から上半身だけを乗り出し、車内へと叫ぶ。
「AFが来たら、大体の向きと距離を合図して知らせてくれ!」
「りょーかい!」
シロからの大きな返事が、互いの意思の疎通が万全であることを証明する。ケイジは射撃を補助する三脚は立てずに、前後左右に対応出来る仕様にする。緊張と射撃の反動を和らげるため、呼吸を整えて可能な限り体の力を抜き、そしてグリップを握る。
上から眺める街の景観は、海沿いを走っていた時とは比べものにならないほど凄惨を極めていた。街灯の殆どは消え、辛うじて点った街灯の下には、日常では見ることのない赤や黒ずんだ肌色が照らし出されていた。見渡す限りの建物にも、生活の輝きはない。
「街が、死んだのか……」
頬に冷たい秋風を浴びながら、ケイジが呟く。
「的を射ているが、随分と詩的だ」
ケイジは咄嗟に振り返り、機関銃を構えようとする。あまり速度が出てはいないとはいえ、車の屋根の上に飛び乗れるタイミングも、飛び乗ってくる人物にも心当たりがない。
人の声など聞こえる筈がない。
いや――、と即座に否定する。人物については心当たりがあり、実際に背後にはその心当たりが何食わぬ顔で立っていた。
「……なんで屋根の上なんだよ、クロ」
「俺の『魔法権利』を使えば、この程度なんてことはない」
ケイジは機関銃を下げ、皮のジャケットの所々を赤く染めたクロに尋ねる。身に着けたグローグも湿っており、その顔には『魔法権利』の発現の印が残ったままである。
「ドアを開けて入った方が良かったか? ケイジさんが見えたから屋根に上ったんだが」
クロは無表情な顔のままで薄らとした皮肉を飛ばす。
「あいつらは、どうした?」
「残らず殺した。AFの苗床を残す理由もない。屑なら尚更だ」
秋の夜風に負けない冷たさを帯びた言葉が、クロの口から漏れる。親友のシビアな一面の目の当たりにしたケイジは、思わず目を背けて気を紛らわそうとする。
だが、どうにも上手くいかない。高校時代の付き合いから薄々と察してはいたが、二人は――少なくともクロは、恐ろしく冷静で合理的な判断を行う。無害で温和なクロを知っているからこそ、受け入れ難くなる。
殺伐とした雰囲気を纏うクロに、車内から嬉しさを隠そうともしない声色が飛ぶ。
「えっ、クロ戻ったの! どうだった? やっつけた?」
「ああ、いま戻った」
「おかえり、クロ!」
温度差のある受け答えに無事を確かめる言葉がないのは、互いを信頼しているからなのだろう。クロが戻ったことを知ったシロからは、数分前の焦りが完全に消え去っていた。
「やっぱりクロ欠乏症なんじゃ……」
車内から三峰の感想が漏れて聞こえたが、シロは言葉で答えずに行動で応えた。
シロは今までの鬱憤を晴らさんが如くアクセルを踏み込み、車は弾丸となって夜の闇を貫いていく。
「うおっ!」
警告なしに行われた急加速に、ケイジの体が大きく傾く。クロも例外ではなく、案の定視界の端では流されるクロの体が映る。
「おい、クロはまだ屋根の上に――――」
ケイジは慌てて下に向かって叫び、クロの状態を確認する。だが元いた筈の場所にクロの姿はない。まさか屋根から落ちたのか、と更に身を乗り出し後方を確認しようとする。
「ケイジさん、車内の方が安全だ」
そこに、またしても背後からクロが声を掛ける。一瞬目を離しただけで、不安定な車の屋根を上を回り込む――全てクロの『魔法権利』が可能にしていることであった。
順調に速度を上げる一行を、こちらに並走しつつ追うAFは諦めたらしい。しかし、街に溢れるAFは、追ってきた集団だけではない。大小合わせれば詳細な探知を無意味にしてしまうほどの個体が、この近辺にはいる。
そして、それらの多くがこちらの進路を塞ぐために集結しつつあることをシロが察知する。その塞ぐために選んだ場所が――――
「クロ! この先の交差点、そこが危なそうだから」
ハンドルを握り、真っ直ぐと前を見つめたままシロが、屋根の上に居残るクロへ叫ぶ。
「分かった、任せろ」
四人を迎える交差路には片道三本の車線があり、車が六台並走出来るだけのスペースがある。この距離と速度で交差路を通り過ぎる時間は――約十二秒。AFが交差路に最初に到達する予想時間は、二十秒。
時間的には、八秒という余裕を抱えて通り抜けることが出来る。
「――――っ、ダメッ!」
だが、シロは全力でハンドルを切りブレーキを踏み込む。車は盛大にスピンし、内部の人と荷物をごちゃ混ぜにしながら止まる。
ぐちゃ……!
直後に熟したスイカが潰れるような音が前方で広がる。そこで潰れていたのは、当然熟したスイカではない。人間でもない。
道路の上で無惨に潰れていたのは、他でもないAFであった。
「あいつら……、仲間を…………!!」
体の大きなAFが小さなAFを、こちらの進行を阻むために投げたのだ。
車と共に揺らされた思考を正常に戻しつつ、顔を上げたシロ。
「あっ……」
その瞳に映ったのは、車に向かって投げられた二匹目のAFであった。
そのAFは車のフロントガラスに衝突し、真っ赤に染め上げる――それが一般常識の範囲内での未来の光景であった。
だが、ここの現実は一般常識で測れない要素を孕んでいた。
飛んできたAFはクロの右足の蹴りで頭を飛ばされ、左足の踵でアスファルトに叩き付けられる。右から左へ移行した蹴りの動作、頭を飛ばしてから踵を降ろすまでの時間――全てが既存の人間の持つ身体能力の範疇を遥かに超えていた。
続けざまに二匹、三匹と肉体ひとつで投げられたAFを叩き落とすクロ。対するAFは未知の力を使う相手に対し牽制は無意味、数を使うのもリスクが大きいと判断したのか、親玉らしき大型のAFが集団から抜け出てきた。
「でけぇな、おい」
「あの大きさが人間の中に……?」
目を見開き驚きを漏らすケイジと三峰。今まで遭遇してきた個体は、背丈は小学生程度で痩せ細り、人間の皮を被っていたと言われても信じてしまうくらい華奢だった。
だが、この個体は違う。体長が三メートルはあり、体の随所には筋肉が盛り上がっている。地球上の生物で例えるなら、鉛色をした大きな羆のようである。
「アレは成長型に移行したAF。人間の体内で成長の限界を迎えた寄生型は、外に出て活動を始めて成長型になるの」
シロはゆっくりと、フロントガラス越しの光景を解説する。
「特徴は柔軟な筋肉が可能にする力強く鋭敏な移動、そして拳銃弾程度では歯が立たない外殻。戦闘に向いた身体能力と、人より優れた狩猟本能を持ってる」
既にハンドルを握ることもせず、座席に体を沈めたままシロは前を――クロを見つめている。
「ちょっと前に話題になった論文で『魔法権利』は人類の進化だと唱えた学者がいたの。ほら、あれと同じ。殺人ウイルスが地球上に広まった時、人類の殆どは死に絶えるが数%はウイルスに抗体を持ち、適応し、結果として人類という種は生き残るって。アレがAFと対面した人類にも起こり得るのではないか、と」
大型AFはジリジリとクロとの距離を詰めている。ケイジと三峰は動けない。二人は適切な成長型AFへの対処法を持っておらず、クロの『魔法権利』ですら知らないのだ。
「結果から言うと、殺人ウイルスとAFは殆ど同じだった。人間とAFが混在し殺し合い混沌としている東西アフリカじゃ『魔法権利』の発現率が異様に高く、脅威に直面していなかった日本やアメリカじゃ発現率はゼロに近かった。それでもアフリカと北アメリカ、『魔法権利』を持つ人口に大きな違いはない」
「……どういうことだ?」とケイジは首を傾げる。
「生き残るために『魔法権利』を発現させても、上がるのは耐性面と僅かな身体の能力だけ。更に全ての『魔法権利』が戦闘に向いてるわけじゃないから、成長型AFに襲われると抵抗も出来ずに殺される人が多かったの。0.2%――千人に二人がアフリカで『魔法権利』が発現する基本的な割合。そしてその中で生き残るのは十人に一人――全体でみれば一万人に二人しか生き残らない」
シロは敢て『魔法権利』を持たない人間の生存率を明言しなかった。一般の兵士や住民は成長型AFには護身用の弾丸程度では通用せず、加えて寄生型AFを身に宿す危険も孕んでいる。
ケイジはふと我に返り、『M240機関銃』を持って飛び出そうとする。それをシロが呼び止める。
「待って、ケイジ」
「……何故止める? 拳銃がダメでも、こっちなら外殻も貫通する――だから持ってきたんだろ!」
シロは呆れた顔で溜息を吐き、肯定する。だがケイジを行かせようとはしなかった。
「幾ら威力が強くても、その銃は必要ないの。必要なのは、寧ろそっちのトランク」
シロはケイジに積み込まれた荷物の一つを取るように指示する。
「クロは負けないよ。……だって、クロは私の――――」
最後の言葉は誰にも届かなかった。ただ、前を眺めるシロの瞳は、展開の知っている映画を見る子供のように退屈そうで、展開を知っている映画だからこそ楽しんでいる大人のように落ち着いていた。
書き溜め@37
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