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A/Rights 変質した世界で  作者: 千果空北
第二章:茨の道と血濡れの足跡
86/119

Ⅴ-9



 市街地で上った火の手は、二時間以上たった今でも消火作業は進まず、寧ろ勢いを増して夜の街を包んでいた。到着した消防車を扱う者はおらず、その代わりに駆け付けた消防隊員や警察官の射殺体がそこらに転がっていた。


 駐屯軍が動き始めたのは、火の手が上がって三十分――まるで消える様子がないことを知ってからであった。


 そして偵察斥候部隊が到着した時には、謎の襲撃者の姿は煙のように消え失せていた。


 当然襲撃者は消えていない。そう思わせる工作を経て、不意を打ち始まった銃撃戦も今では互いの狙撃手に頭を抑えられ、小康状態に陥っていた。


「スペード(アルファ)が撤退の許可を求めています、少佐」

「階級で呼ぶな。作戦時識別名(コードネーム)を使え、クラブ(シンク)

「失礼しました。訂正します。クラブ(デュース)

「よろしい……が、撤退は許可出来ない。敵軍をここに釘く付けにするんだ」


 事前に設定した作戦時間は四十五分。同行した権利者の二人を消耗を恐れた上の指示で離脱させた現状、部隊は膠着した戦況を突破する手立てを完全に失っていた。孤立した二個分隊の部下二十三名の内、生き残った半数の部下の命をこのまま異国の地で散らせてしまうのは指揮官として苦痛の極みであったが、それでもクラブ(デュース)は非情に徹する。その苦痛は命令無視を禁忌とする軍人の鉄則が鈍らせてくれるのだ。


 散発的な銃声すら途絶えた戦場には、轟々と炎が燃え盛る音だけが残る。


 大通りに面したオフィスビルを占拠したクラブ(アルファ)チームは、銃撃戦が始まってからずっと、その熱と不安に煽られていた。


 負け戦なのは、誰の目を通してみても明らかなのだ。


「降伏は……、果たして出来ますかね」


 部下のその不安に、クラブ(デュース)は首を振る。


「ジュネーブ条約は適用されんだろうな。本国も死者である我々を擁護しない。我々は民間人を殺し過ぎた」


 クラブ(デュース)は思い出す。夜間であるにも拘わらず火災と聞いて早急に駆け付けた消防隊員や交通整理を行う為に出張った警察官を、自分の命令で撃ち殺したことを。通信機に近い者をまず処理し、次に作業に熱心な消防隊員を殺し、最後に同僚が倒れていく様を見せつけられて固まった者の頭を無慈悲に撃ち抜いていったことを。


 大義を利用した最悪のテロ行為だとクラブ(デュース)は内心で毒づく。


 誰が見ても正規の訓練を受けた軍隊の仕業だと分かる。けれど自分たちは背後に繋がる手掛かりを所持していない。短い者は三か月、長い者は年単位で――国籍から氏名、家族構成まで全てを偽装し、入国時期も巧妙にずらして警察組織のマークを躱して決行した作戦だ。死体が残っても、そう簡単に身元を割られる心配もない。


「敵部隊が撤退していきます」


 スコープ越しに警戒を続けていたクラブ(トレイ)が告げる。


 事前に仕入れた情報によると、敵部隊は高機動車や装甲車の類は所持していても、戦車や攻撃ヘリまでは配備されていない。確かに自国の市街地で使用するには過剰な戦力であるが、こちらの処理に手間取り派遣を要請した可能性は十分に考えられる。日本軍にしてみれば、こちらを殲滅しない限り消火活動を行えないのだ。敵と共に破壊される建物の数と延焼を続ける建物の数を秤に掛ければ、前者を選択するのは至極当然だ。


 両分隊は対戦車、対空兵装を所持していない。本来なら、そういった相手が出てくる前に撤退する手筈であったからだ。


 過剰な火力に曝される前に、クラブ(デュース)は決断する。


「移動しますか、クラブ(デュース)?」

「ああ。敵が引いたのは僥倖だ。郊外の住宅地に向かえと他にも伝えろ。眠った街を叩き起こせ! 上手くいけば撤退も可能になるぞ」

了解(コピー)


 現在クラブ分隊とスペード分隊の二十四人は、四人一組で作戦行動を取っていた。夜間の街を攪乱するのには過剰とも言える戦力であったが、それも今はクラブ(アルファ)、スペード(アルファ)、スペード(チャーリー)の半分しか残っていない。あるチームは占拠した建物を制圧され、あるチームは移動中に重機関銃を備えた敵の装甲車に遭遇した。


 生死は不明――少なくとも、無線に応答はない。


 そして今も、無線から声は返ってこない。




「通信兵から殺す。貴様らのやり方を私も真似てみたが、どうだ?」




 装備一式を纏めて撤収を開始したAチームに低い男の声が届き、途端に鮮血――最後列を歩いていたクラブ(シンク)の首筋が、ぱっくりと口を開く。


 血の花が咲き、糸を切られた人形のように倒れるクラブ(シンク)の背後には一人の男が立っていた。


「まあいい。貴様らが最後だ」


 男は朱色に濡れた銀刀を三人に向ける。顔の造りは優男に見えるが百八十を越える長身に、体幹は太くしっかりとしている。黒髪から色が抜けて茶色に近づいた長髪をポニーテールのように後ろで束ね、その眼光は手にした刀より鋭く光っている。何よりその出で立ちは奇妙で、膝まで届きそうな巨大なコートを袖を通さずに羽織り、その下には袴――上が濃い赤で下が黒という珍しい色合いの袴を着込んでいた。


 まさに侍――しかし現実に存在した侍より、創作で活躍する空想の侍に近い。


 異様な相手だが、唖然としてばかりはいられない。


「コスプレ男に用はねぇよ、サムライソルジャー!」


 クラブ(ケイト)の咆哮に合わせ、Aチームは制圧射撃と迅速な撤退を開始する。


 制圧射撃を続けながら三人は廊下に飛び出し、室内に手榴弾を投げ込む。数秒置いて爆音と爆風が入り口から飛び出すが、その中に侍の悲鳴と肉片は混ざっていない。


 相手の武装は日本刀一本のみ。クラブ(シンク)の背後に現れたのは、屋上からの懸垂降下に違いないと断定してAチームは行動した。


 いや、そうでなければ困るのだ。


「逃がさん。私は貴様らの命に用がある」


 非常階段に足を掛けたクラブ(トレイ)が刀の柄で小突かれ、暗闇へと転がり落ちる。突然目の前に現れた侍に、それでも冷静に銃撃を加えたクラブ(デューイ)の体は宙を舞い、クラブ(ケイト)の手首から先は小銃ごと切り落とされた。


 僅か数秒の出来事――侍の機動力は常軌を逸していた。


「お前は……、権利者か!」


 銃火器という殺傷能力と射程距離を両立させた便利アイテムが支配する戦場で、日本刀という取り回しが難しく近距離でしか戦えない武器でのみ武装した兵士が、普通の兵士である筈がないのだ。


 権利者は強い。軍属で、戦い慣れた権利者ならば特にだ!


 そこで初めてクラブ(デューイ)は相手方の真意を知る。敵部隊が退いたのは、この権利者が戦場に入ったからだ。敵の微かな抵抗を刈り取るには小回りが利き、尚且つ圧倒的な優位を保てる権利者を投入するのが最も合理的だ。


 せめてここに離脱した権利者の片方でも残っていたなら、戦況はここまで一方的にならないだろうとクラブ(デューイ)は歯噛みする。


 だが侍は、そんなクラブ(デューイ)を一瞥にすらせず、通路の端に転がる何かを掴み、放り投げる。


「こいつらも権利者だった」


 緑の非常灯に照らされたその何かは、――――


「ジャックに……パウエル……」


 二人分の生首だ。クラブ(デューイ)作戦時識別名(コードネーム)を使うことも忘れ、戦友の名前を口にする。


 何処にでもあるオフィスビルの冷たい通路で、クラブ分隊とスペード分隊の切札(エース)――消耗を恐れて離脱させた二人の権利者が、生首になってクラブ(デューイ)を虚ろな瞳で見つめていた。


「首狩り……日本の”首狩り守矢”だ!」


 斬り飛ばされた右腕を押さえながら、クラブ(ケイト)が叫ぶ。


「降参だ! 俺は降伏する! だから命だけは助――――」


 全てを言い終える前に、クラブ(ケイト)の首が刎ね飛ばされる。袴姿の侍が刀を一振りすると、刀に付着したクラブ(ケイト)の血液が壁や床に飛び散り、廊下は(たちま)ち前衛芸術のキャンパスへと変わる。


「割らせるだけの口は確保している。そもそも貴様らは存在せん。存在しない人間は死ぬことがない」


 ”首狩り”と呼ばれた侍は鼻で嘲り笑う。


「故に安心して死ねがいい。一度アフリカで死んだ、ジャスティン元SAS少佐殿」

「――――ッ!」


 国ぐるみで完全に抹消した筈の自身の名前と階級を、首狩り侍が口にする。


「一応、名乗ろう。私は海軍情報部大尉山吹守矢。『転移』を駆る士。それが、お前を殺す男の名前だ」


 それから間もなくして銀に煌めく日本刀が、(デューイ)の瞳に飛び込んだ。







 甘い、甘い、兎に角甘い味が口の中に広がる。


「ん……、んん……」


 ねっとりとした何か。そう、例えるなら蜂蜜だ。くちゅくちゅと湿っぽい音を立てて、その蜂蜜のような何かは喉の奥へと押し込まれていく。


 クロは気付く。


 寒さは消え、体に熱が戻っている。喉の渇きも解消されている。腹部にはジンジンと刺すような痛みが残っていたが、それも既に馴染み、悲鳴を上げてのた打ち回る程ではない。背中は冷たいコンクリートの床ではなく、柔らかい部分に接触している。仰向けに寝かされ、何かが覆い被さっている。立てない……いや、それ以前に――――


「ごほっ、ごほっ、……っはぁ!」


 息が出来ていないことに気付き、クロは咽る。


 ぬめっとした何かが口から離れ、クロはやっと大きく息を吸うことが出来た。


「やっと起きたの、ご主人様」

「――――ッ、お前は!」


 クロは自身に跨った女を見上げる。肩辺りが破れた衣服に首輪のような首飾り(チョーカー)、整った顔立ちの周りで揺れる髪の毛は白茶黒と先端から順に染まっていた。いま自身の体の上には見覚えのある病的に痩せ細っていた頃の面影を残した少女が座り、驚くほど淫らに舌舐めずりをする。クロは言いようのない恐怖を感じて少女の拘束から逃れようとする。


 だが少女――元女王、八幡紅緒はクロを逃がさない。


「安静にしないとダメなの」


 それは取って食う為……など、そんな理由からではない。


 クロは激しく抵抗しようとするが力は湧き上がらず、代わりに腹部から血が滲み出る。激痛に顔を歪めるクロに対し、紅緒は深い溜息を吐く。


「生きてるのが不思議なの。凄い傷だったの」


 紅緒はクロを押え付けたまま、つらつらとクロの傷の深さを説明する。内臓が出てたなど、身体が石のように冷たかったなど、顔が真っ青だったなど、特に聞いてもいないことを語っていった。


 クロは抵抗を止め、紅緒を見つめる。


「何故、俺は生きている……?」


 気を失う前に残った手先が痺れる感覚――クロが散々他人に与えた絶望が、クロ自身にも振り掛かった。底を迎えた寒さと痺れが永遠に続き、そのまま終わるモノだと覚悟していた。だが現実、傷は塞がっていないもののクロは命を繋いでいる。


 それが誰の手によるものか、それは考えるまでもない。


「俺に何をした、女王」

「私は元女王なの。今は八幡紅緒。紅緒って呼んで欲しいの、ご主人様」

「ごしゅ……何だって?」

「何をしたかを分かり易く言うなら……、そうなの、生命力を分け与えた?」

「……唾液を飲ませることが、か」

「気付いてたの? 生命力……と言うよりは、栄養補給なの」


 紅緒はそういうと自身の指を咥えてねっとりと唾液を纏わらせると、その指を満足に動けないクロの口に突っ込んだ。


「これが私の『魔法権利』の副次効果。身体を変質させる『羽化』は、当然身体の中身も変えるの。私の唾液は神経毒――けれど他人の唾液と混ざれば、甘い蜜に変わるの」


 栄養補給。確かに紅緒の唾液はクロの体力を持ち直させる程度のカロリーを秘めていた。いくら持ち前の生命力と回復力が甚大でも、その元となるエネルギーが枯渇したら何の意味も成さない。


 口に広がった甘さが安心を生み出す。


「助かった。感謝する。感謝するから、この指を退けろ」


 紅緒はクロの口から指を抜くと、それを再び自身で咥える。クロの唾液と合わさったことで、紅緒の口の中にも普段は感じることもない甘さが広がるのだ。


 恍惚とした表情を浮かべる紅緒に、クロは辟易して声を掛ける。


「俺の上からも退け。俺は敵を追う」

「その傷で?」

「どの傷だ?」

「お腹の傷なの。血が沢山出て、内臓も出てたの」


 紅緒はそういうと視線を下ろし、つい数分前に血を噴き出した辺りに手を添える。


「……あれ、おかしいの?」

「そこは塞いだ。俺の『魔法権利』はそれを可能にする」


 傷口の表面だけを『加速』で塞いだクロは、紅緒を押し退けるようにして上体を起こす。痛みは引いていないが、構っている暇はない。押し退けられた紅緒は翅を震わせて空中でバランスを取ると、器用に着地する。クロは立ち上がり、自分が寝ていた血だらけのベッドを一瞥して紅緒と向き合う。


「俺は、敵を追う。世話になった、女王――いや、八幡紅緒。ベッドは俺の血で、その、すまない」

「気にしなくていいの」


 申し訳なさそうに頭を掻くクロに、紅緒は歩み寄る。そして屈託のない笑みを浮かべて、一言、言い放つ。


「私もご主人様と一緒に行くの」


 クロは目の前の少女が何を言っているのか分からず呆然とする。いや、言っている言葉の意味は分かるが、自身の立場をまるで顧みない言動に理解が追い付かなかったのだ。


 軍の秘密施設として地下に造られた部屋に厳重な金属の扉、迷路のような道中。


「ここは牢獄の類ではないのか?」

「ご明察、私は囚われの身なの」

「なら俺は連れ出せない。出る為にはお前を閉じ込めた奴らの、軍の許可が必要だ」

「関係ないの。これは私とご主人様の――女王と貴方が交わした約束なの」


 普段は間延びして聞こえる紅緒の声色が、途端に鋭くなる。


 思い当たる節がある。九州で、元三峰に向けて落下する前の約束――「お前は、俺と一緒に来い」と確かに口にした。それを持ち出された以上、何の言い逃れも出来なくなる。約束を反故にして戦闘にでもなれば、弱った自分に勝ち目がないのは明白だ。


 それに、紅緒は戦力にもなる。


 クロが地下階層で遭遇したのは、シロを攫った相手の仲間ではあるが別の部隊だ。その部隊に銃を持った兵隊や権利者がいないと期待するのは楽観を通り過ぎて愚か者の思考だ。ローザに協力を仰ぐべきではない。『氷結』は確かに強いが、強化型の『魔法権利』を持たないローザが銃火器を扱う相手に立ち回るのはきっと命懸けになる。


 その点、『羽化』を持つ紅緒は問題ない。


 その動体視力と反射神経は素のクロより優れ、空中からの奇襲は相手の想定を大きく裏切るのは間違いない。危険には変わりないが、逃げようと思えば紅緒一人で逃げ切れ、何より巻き込むことに負い目も感じない。そして協力的な態度はここから出る為の演技には見えず、――何より、紅緒はシロの顔を知っている。


 それでも、抵抗は残る。


「……付いて来るのは良い。だが、安全の保障は出来ない」

「構わないの」

「必ず敵の権利者との戦闘になる。軍に追われる覚悟もしろ。ここを出ることは、そのまま地獄への片道切符になる可能性も高い。……それでもいいか?」


 クロは念を押すが、それすら紅緒は屈託のない笑顔で撥ね退ける。


「片道切符は悪くないの。片道でも、進める道がある――かつての私には、それすらなかったの」


 クロは頭を抱えたくなる。


 シロと二人で歩んできた道からシロが消え、次々と別の人間が入り込んでくる。


 どうするべきか?


 その疑問の答えを持つ相手は、まだクロの周りにはいない。


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