Ⅴ-5
カーマインはローザと之江を連れて大空に飛び立った。
立つ鳥跡を濁さずとは嘘だ。これまでカーマインが降り立った大地には、AF人間奇妙な生命体を問わず多くの血肉が散らばっていた。そして今も、四人分の焼死体とそこから漏れ出した血液が冷たい土に染み込んで黒く染めていた。
クロはローザが焼き払った兵士の首を爪先で突く。
『熱線』に焼かれて収縮した筋肉が、ゴムのような弾力を以て爪先を押し返す。圧し折った筈の首の骨はやはり折れたままだ。そして兵士たちはその状態で問題なく動き続けた。外観の比較は出来なかったが、元の狙撃兵と観測兵として動けていたかは甚だ怪しいモノである。狙撃手と観測兵は言わば野戦のプロだ。その野戦のプロが本来の実力を発揮できていたなら、カーマインが捕まえられる筈がない。『魔法権利』で多少は補強されていても、カーマインはあまり夜目が利かないのだ。
悪名高い権利者の仕業だとローザは言った。
『魔法権利』の詳細はまるで見当も付かないが、相当厄介な『魔法権利』に違いない。茶山の『軍勢』然り、他人を意のままに操る『魔法権利』が存在しても不思議はない。
もう問題ないともローザは言った。
どのような意図でこの四人がカーマインの前に飛び出してきたのかは謎だが、死なない狙撃兵として敵地に駐留させる捨て駒と考えるなら妥当だ。
問題ない。その言葉を鵜呑みにしていいのか、クロには判断出来ない。
いや、仮に判断したところで取るべき行動に変化はない。
遭遇した相手を打ち負かしてシロを攫った相手の情報を搾り取る。
急がなければ、手遅れになる前にシロを助けないと。
「誰に手を出したのか、教えてやらないと!」
シロを助け、敵を倒し、……ああ!
クロは嘗てない躍動感を身に纏い、地下階層に――深い闇へと下っていく。
その背を見送る者は、誰もいない。
通路は思った以上に狭く、壁は無機質なコンクリートで覆われている。階段は最初だけ、残りは緩やかな勾配の道程だ。地下へと延びる通路には数メートル置きに電灯が備えられてはいたが、直線の少ない地下階層では信頼に足る光源にはなり得なかった。
クロは集中する。
遠くから――はっきりとした距離は分からないが、機械の駆動音が聞こえる。通路に反響しているがそれは足音のように一定の間隔で、着実な移動を行っている。
クロは残り少なくなった鋏ナイフを取り出す。
足音――駆動音は一つではない。恐らく二か三……強化兵装を纏った敵が待ち構えている。近未来小説によく登場しているロボット兵の怪力を生身の人間が使いこなせるようにしたのが強化兵士で、その強化兵士から改造手術の危険性と改造後の損耗率を取り除き、手軽さを付与したのが強化兵装だ。人間を改造出来ても、肝心のロボット兵は開発に失敗しているのだから笑えない。
壁に身を寄せ、呼吸を止め、気配を絶つ。
装甲型、敏捷型、万能型――世界中で多くの強化兵装が開発されたが、運用されているのはこの三種しかない。理由は単純で、強化兵装に必要な要素とは、所詮補助でしかないのだ。最終的には中の人間の練度に依存する、従来の兵器と変わらない。余計な性能を山盛りにするより、中身の人間の実力を高めた方が引き出せる性能も優れるのだ。
相手は気付いていない。急襲されるなど頭にないのだろう。
狭い通路が張り巡る地下階層を制圧するのなら、装甲型は邪魔にしかならない。相手が着ているのは他の二つのどちらか――いや、十中八九敏捷型の強化兵装だ。表に停めたバンでの撤収を考慮するのなら、比較的軽く動き易い敏捷型が一番合理的だ。
クロは自身を『加速』させる。
『加速』という『魔法権利』は、皮肉な『魔法権利』だ。権利者を世界中の誰よりも速く速く体を動かす権利を与える代わりに、誰よりも長い時間を強いるのだ。『加速』は短縮を許さない。誰一人として付き添えない孤独な一瞬が過ぎ去るのを、『加速』の権利者は焦りながら待つことしか出来ない。
だとしても、今は役に立つ。
クロは出合い頭に腕を突き出し、抜く動作に合わせて鮮血が飛び散る。
必要に応じて使い、精神を擦り減らしてきた。AFの時は楽だった。自分は『加速』でAFを倒し、シロがそれを喜んでくれた。その笑顔を見さえすれば、どれだけ惨い時間を積み重ねても、全てが平らに変わった。
目を見開き、指が反り、マスクで覆われた口から血反吐を履きながら男は絶命する。
けれど今はシロがいない。独りの一瞬を過ごし、一人の世界に戻ってくる。『加速』は必要な処置――けれど苦痛だ。何か探さなければならない。シロを取り戻すまで、精神を補強する何かを。
「ローザはダメだ」
自分の中のシロが霞んでしまいそうになるから。
死体越しにクロと目が合い、驚いた背後の男が目を見開く。敵は二人組、軍人の最小単位だ。
「躍動感」
敏捷型の強化兵装を纏った男はナイフを抜き、何の迷いもなく斬りかかる。その動作は滑らかで、強化兵装の補助もあり、途轍もなく速い。
「達成感」
常人なら避けられない一撃だが、クロの反射神経は常人より少しだけ優れている。クロは絶命し脱力した男の襟首を掴み持ち上げる。クロの喉元を狙ったナイフは肉の壁に突き立てられ、強化兵装の補助により野菜を切る包丁の如くあっさりと貫通する。
「ゲーム感覚?」
しかし腕はナイフのようにはいかない。男の腕は肉の壁で阻まれ止まる。舌打ちが聞こえる。敏捷型は素早い動作を可能にする為、装甲や駆動系は最小限に収めている。常人よりは優れているものの、装甲型や万能型のように人間離れした怪力は生み出せない。
「お前を殺した後に必要なのは、どれだ?」
男はナイフを手放し、絶命した仲間をクロに向かって蹴り出す。クロはそれを難なく躱し、擦れ違い際に男が手放したナイフを抜くとそのままの動作でグリップの底を顔面に叩き付ける。
「がぁっ! この、化け物が……!」
「化け物は、選択肢など持っていない」
男はよろめき、数歩後退る。強化兵装のバイザーが割れ、額から血が垂れ落ちる。血の傍には血より薄い赤毛が垂れ下がり、その下では闘志を剥き出しにした瞳がクロを睨んでいる。
だが男はクロとの殴り合いを選ばずに背を向けて駆け出す。
長物や銃火器が活かせない狭い通路で、機敏で力強い動きが可能な強化兵装を身に着けていても、男はクロが強化兵装に匹敵する身体能力を持つ権利者だと分かった途端に踵を返して離脱を試みた。
合理的な判断だ。
曲がり角が幾重にも折り重なったここでは、投擲や銃火器の追撃も躱せる。相手が少しでも選択を間違え時間を無駄にしたなら、敏捷型の強化兵装が補強した移動速度で置き去りにして仲間と合流出来る。
「もし仮にだが、俺が化け物ならお前たちは何だ?」
けれどクロは『加速』で悠々と追いつき、首に肘を掛けるラリアットの要領で男を壁に叩き付ける。金属とコンクリートが衝突して甲高い音を上げ、男の口からは低い悲鳴と骨を砕く音が吐き出される。
「傷付いたシロが眠る診療所を襲撃し、そのうえ攫ったお前らは! 言え、シロを何処に連れ去った! 言え! 言わないと殺す! お前も、お前たちも、家族同胞同人種全員残らず殺す! 誰一人残らずだ!」
クロの鳶色は、怒りでより一層鮮やかさを増す。暗い地下階層で炯々と輝く瞳に睨まれ、クロの両腕で壁に押し付けられた男は、ガタガタと歯を鳴らしながら応える。
「う、うるせぇ、劣等民族が!」
クロの左頬に、男の右拳が叩き付けられる。想定内の反撃――けれど振り抜き際に強化兵装の装甲部分が当たり、クロの頬は裂け、生温い血が流れ始める。クロには堪えていないが、反射的に押さえ付ける力が弱まったのを良いことに、男は追撃を加えて抜け出そうとする。
だが動き出そうとした瞬間、クロの額が男の鼻を叩き潰す。
クロは頬を流れる血の指で拭い、舐める。そして鼻を押さえて蹲る男の顔に唾と一緒に吐き掛ける。その行為に気付いた男は激昂しクロに掴みかかろうとするが、膝蹴りがちょうど胸元に突き刺さり、肋骨諸共戦う意思を粉砕される。
折れた肋骨が肺に刺さったのか、男はヒューヒューとか弱い呼吸をつづける。
それでも懸命にクロに手を伸ばすが当然の如く躱され、代わりに鍛えられ割れた腹筋にナイフが突き立てられる。男の顔が更なる激痛に歪み、膝から崩れ落ちる。クロは唾を吐きかけるように自然と、淡々と無慈悲を与える。
「出血を伴った傷への最大効果は、これだ」
刺し傷のすぐ横に、クロの鋭い蹴りが突き刺さる。突如襲った衝撃は男の腹部――ちょうど創られたばかりの傷から大量の血液を追い出した。か弱い呼吸から一転して過呼吸気味に陥った男は、必死に腹部を押さえる。
血は止めどなく溢れ止まる気配がない。
「躍動感に達成感。……ゲーム感覚は、ないな」
痙攣しながら血溜まりを作る男を尻目に、クロは先を急いだ。
満州――某所――クロとローザが大陸から走り去る、少しだけ前。
雲の切れ間から差し込んだ月明かりがアイスブルーの双眸を怪しく輝かせる。しかしその瞳がレンズ越しに捉えることの出来る人間は、この近辺には誰一人として残っていなかった。
正確には、生きている人間は、だ。
粉雪が舞う郊外には沢山の自動車が乗り捨てられていた。乗員は増援として駆けつけ、その殆どは地下鉄構内に辿り着く間もなくこの世界から消え去った。爆散した胴体から切り離された手足がそこらに散らばり、マネキンばかりを集めたごみ捨て場の有様であった。当然手足はマネキンの手足ではなく、数分前まで血肉が通っていた本物の人間の手足だ。
そんな異様な光景を、二人はベンチに腰掛けて眺めていた。
「ニキ、ありがとう。助かりました」
「助力には然るべき報酬を、気にするでない」
カメラを下ろした青年は、煙草に火を点け腰を下ろす。遭遇――殺害――そして喫煙。それを一連の動作として習慣化している青年は、気怠げに紫煙を吐き出す。色黒の少年は青年の隣に座ると、鞄の中からウィスキーの小瓶を取り出し、一気に煽る。それぞれ煙草と酒の力を少しだけ借りて、二人は現実と向い合う。
「お主の『魔法権利』は何時見ても惨い」
「ええ。これをした後、煙草なしでは臭いが付いて街も歩けません。本当に、イギリス人の血は泥水と豚の精液を混ぜたような臭いがします。ニキもそう思いませんか?」
「丁寧な口調で、ぶっ飛んだ言葉を口にする。相変わらずじゃな」
「それはいいじゃないですか、癖ですよ癖。美しい光景に、綺麗な言葉のままだと面白味に欠けます」
青年は煙草を地面に押し付けて消すと、その代わりとばかりにカメラを持ち上げる。色素の薄い瞳を少年のように輝かせながら、少年のような友人に自分が得た成果を見せびらかす。
「それよりほら! 見てください、ニキ。久々に良い写真が撮れましたよ。やっぱりニキが言っていた通り、良い被写体でした」
「じゃろ? 僕も良いのが撮れたんじゃ。ほれ、女を泣かせる男の図」
「おお、視線を逸らしているのが初々しい……。死体になるのが待ち遠しい」
ニキが青年に見せていた写真は、昼間の公園でクロが細切れにした写真と同じものである。公園のベンチで横並びに座っていたクロとローザが、そのまま抱き合った姿が写し出されているのだ。
「クロの存在は、どこまでも惜しい。理想的な潜在能力に『魔法権利』、僕が目を離した数年でああも歪んでしまうとは」
「前に言っていたアレですね。天性の不運は相変わらず、ですか?」
「そう、もはや呪いじゃよ。何をやっても裏目に出る。隙あらば不幸が滑り込み、順調に見えても前触れなく落とし穴が現れる」
「ニキが襲撃を事前に察知してこちらに招かなければ、きっと今頃……」
「診療所で抵抗も虚しく死亡、もしくは目の前でシロが殺されて制御不能の怪物になったじゃろうな。まあ、あの怪物を犠牲にするのが僕的最善手じゃったが……、上手くはいかん」
そう言い切ると、ニキは残ったウィスキーを全て流し込む。
「相変わらず惨いことをしますね、ニキ。もっとアナタが出張れば、全てがアナタのシナリオ通りに進むでしょうに。手間を惜しむのは悪い癖です」
「手間を惜しんだ訳ではない。万能で無敵に見える僕の『魔法権利』にだって、制約と弱点の影は付き纏っておる。お主が特定の人種しか殺せないよう制約を課しておるように、僕は人を殺せない。それが超越者になった時に定めた僕の制約」
「だからこそ、彼に期待しているのですね」
青年は眼帯を取り出し、右目を覆う。別に右目に視力的な問題があるのではなく、ただ『魔法権利』の暴発を押さえる為の処置として眼帯を装着している。右目は『魔法権利』に侵され、制約を課しても抑え込めない段階に片足を――いや、片目を踏み込んでいる。憎悪と復讐を胸に他人の死に様を追い続け、多くの一瞬をその手に収めた狂気の男。それが怪物が大手を振って闊歩する現代戦を、無所属で渡り歩いた戦場カメラマンの集大成であった。
「果たして彼は、あの傑物に勝てるのでしょうか」
「勝たなければ困る。彼女に止められないのは、クロだけじゃ」
酒が回ってき始めたニキはふらふらと立ち上がり遠くを見つめる。それは十七年も前のアフリカ、孤立した仲間を庇いながら、女王と対峙した女傑――前代の世界最強の人間。
「暁を……彼女を殺せるのは、助け出せるのは、クロだけしかいない」
二本目の煙草に火をつけた青年は、次に向かって跳ぼうとしている少年を見る。
十七年前のアフリカで女王を倒して全滅した討伐部隊の一員――十年も異世界を漂った三十路を越えた少年。ニコラウス・ルーパー・マクマンベトフの見ている世界は、きっと誰が見ているそれとも違うのだ。
青年は紫煙を吐きながら、消えた少年を見送った。
フィフティシェイズオズグレイ見てきました
思ったより普通でがっかりでした




