Ⅳ-4
ブリトニーの鈍い銀色の戦槌が振り下ろされ、クロはその余波を鼻先で感じる。
クロが接敵してから十分。双方に疲労の色は全く見えていないどころか、今までの殴り合いで相手の力量を掴めた所為もあり、戦闘は俄然踏み込めない踏み出せないモノへと変わっていった。
「避けるだけじゃ終わらねぇぞ、日本人!」
「当たらなければ倒せないぞ、『相談屋』」
「言うねぇッ!」
二人の間では、拳に合わせて言葉の応酬も頻繁に行われていた。
相手の集中を乱す為に、相手の思考を鈍らせる為に。
ブリトニーの攻撃が当たらない理由はクロが適確に攻撃を見切っているからである。逆にクロの攻撃でブリトニーが倒れないのは、威力不足以上にブリトニーの『魔法権利』に原因があるとクロは踏んでいた。
クロの攻撃はボクシングで例える所のジャブである。
拳を保持する為に威力も落としている。けれどもブリトニーが戦槌を一振りする間にクロの右腕は両者を五往復して尚、余裕を残す。更に『加速』による速度上昇はそのまま威力の増加に繋がり、的確な場所に叩き込まれた拳は着実に戦う意気を奪っていく。
「……『魔法権利』か」
相当の拳を叩き込んだ。とっくに青痣を作って動けない状態になっている筈だが、現にブリトニーは活き活きと戦槌を振っている。青痣も見当たらない。恐るべき耐久は、強化型『魔法権利』の恩恵だけで身に付くレベルを遥かに超えていた。
「お前だって使ってるんだ。私も使うさ、当然だ」
ペッと口から唾を吐き捨て、ブリトニーは距離を取る。クロもコートから、コンビニエンスストアで買ったチューブを取り出して一息に飲み干し、カロリーと水分を補給する。
「お前の『魔法権利』も大体分かった。動きを速める。反応速度を高める。肉体強化を主とする近接戦闘向きの『魔法権利』っぽいな。ヨーゼフじゃ、まあ、無理な相手だぜ」
ブリトニーは準備運動のように関節の動きを確かめ、クロとの接触で得た情報を口にする。『加速』という単純な『魔法権利』であるが故、見極めも難しい。それを察せたと言うことは、似た『魔法権利』を知っている。そういった要因を考慮するなら、ブリトニーの『魔法権利』もまた、クロの『加速』と似た単純だが柔軟な『魔法権利』であることが推測出来る。
「お前でも変わらん。無理だ」
ブリトニーの『魔法権利』は受け身の権利だ。クロは、衝撃の吸収――いや、軽減辺りを可能にする『魔法権利』であると見立てていた。クロが最初に放ったローキックは、続けて撃ったジャブとは明らかに反応が違った。
違いがあるとするなら、その威力だ。
クロのローキックは相手の何も考慮せず、ただ足を圧し折る目的で放ったモノである。対してジャブの目的は、相手の出方を窺いつつダメージの蓄積を狙っていた。
必要なのは瞬間火力――それを叩きだすには、一工夫加えなければ……。
思考と洞察に多くの割合を裂き始めたクロに、不意に言葉が届く。
「私の『魔法権利』ではお前を倒せない、と?」
「倒せると思うのか?」
「…………いいや」
クロの本心とも挑発とも分からない言葉を軽く受け流し、ブリトニーは嗤う。
「私の役目はお前を倒すことじゃない。そもそも『相談屋』が今日請け負った仕事は、――――」
「ニキの確保、か?」
「違うね、お前たちの足止めだよ!」
クロの回転速度を上げ続けた思考が、意味もなく歪む。聞き間違え、言い間違えの可能性もある。こちらに揺さぶりを掛ける為に出鱈目を口にした可能性もある。
だがクロには、それが口からの出任せだとは思えなかった。
小休止を終えた二人は、殴り合いを再開する。クロは動揺を抑え込み、ブリトニーが隙を晒すまでは手を出さずに回避に徹する。だが、――――
「――――がぁッ!!」
鈍く輝く戦槌が、余裕を持って回避行動をとったクロの顎を打つ。
クロは咄嗟に体を流して威力を和らげ、受け身を取る。重心を安定させて揺れる視界を矯正するとフラフラと立ち上がり状況を確認する。コンクリートを砕くほどの攻撃を喰らった筈なのに衝撃は軽く、その軽い衝撃も殺した甲斐もあってダメージの蓄積は驚くほどにない。
壁際に追い込まれたクロは途切れた『加速』を再度使用し、戦槌を片手に詰め寄るブリトニーを迎え撃つ。
様子見も、出し惜しみもしない。
クロは血の混じった唾を吐き捨て背後の壁を蹴り、逆にブリトニーとの距離を水平に詰める。
「――――ッ!!」
ブリトニーが戦槌を振り下ろすより早く、クロの膝がお返しとばかりにブリトニーの顎から鼻へと突き刺さる。顎が砕け歯が飛び散り鼻血が噴き出す――本来なら女性へ行う攻撃ではないと理解しながらも、クロは確実に相手を落とす方法を選択した。
「いてぇな、おい!」
だがブリトニーはクロに蹴り飛ばされはしたものの、顎が砕ける所か鼻血すら出ていない。ダメージが入ったのか若干フラフラと足元が覚束ないが、それでもギラギラと戦意を滾らせている。
そして再び突っ込んでくるブリトニーを見て、クロは確信する。
ブリトニーの武器――戦槌の扱い方が変わった。
以前はその重量を活かし、攻撃速度を犠牲にしても一撃必殺の威力を引き出していた。けれど今のブリトニーは戦槌をまるで木製の杖のように軽々と扱い、威力を落として攻撃の緩急を重視した戦い方へと変わっていた。
クロは意を決してブリトニーの戦槌を受け止め、受け流す。
「――――やはり、軽いな」
そして戦槌を片手で抑えたまま足払いを仕掛ける。足払いによってあっさりと浮き上がったブリトニーは、『加速』したクロの動きによってそのまま地面に叩き付けられる。肉を打つ鈍い音と共に、ブリトニーはガハッと肺の中の空気を吐き出す。
「お前は知らないだろうが、女の子って軽いんだぜ」
「…………」
「まあ、私は重い女なんだけど――――なっ!」
倒れたままのブリトニーはクロの襟首を掴み、自身に引き寄せるようにして地面に叩き付ける。回避も防御も受け身も出来ず頭から地面に衝突したクロは、頭から血を流しながら起き上がったブリトニーを睨む。
「馬鹿力が……!」
「お前に言われたかねぇぜ」
最早何度目かも分からない睨み合いを続ける二人であったが、そこから先はない。
銃声――たった一発が遠くで響き、それを皮切りに夕立のような銃声が地下鉄構内を埋め尽くす。
「――――ッ、ローザ!」
クロは慌てて振り返る。ローザが『具現』のクマを引き受け、クロの視界から離れていったのは知っていた。けれどタフで厄介なブリトニーを相手にしていたが故に気を回す余裕がなく、ローザなら大丈夫だと信じて放置していた。手を出そうとしても、きっとブリトニーは立ち塞がった。
そして今、その状況は変わっていた。
ローザの負担が増える。数と距離に押されるのは、権利者には何より辛い。
嫌な汗が流れ落ちたクロの頬にブリトニーの戦槌が迫る。
「なっ!」
クロは一瞥すらせずに身を屈めてその一撃を躱すと、先程と同じ要領で足払いからブリトニーを地面に叩き付ける。無意識に繰り出されたその動作に加減は微塵もなく、叩き付けられたブリトニーの身体は数十センチも跳ね上がる。
そして痛みで顔を歪めるブリトニーに、クロの追撃が――跳ね上がった体に容赦のない蹴りが突き刺さり、悲鳴を上げる間もなく数十メートル先に飛ばされ動かなくなる。
クロは転がるブリトニーを視界から切り捨てて、ローザの為に来た道を戻っていった。
クロが走り始めて数十秒――複数の足音が進行方向から迫る。
クロは足を止め、呼吸を整え集中する。軽い足音が一人分と、それを追う重たい複数の足音だ。軽い足音は恐らくローザで、追う足音は銃を持っている相手に違いなかった。
そうだと決めつけてクロは再び走り出す。
あと数秒で接触――そんな折に、地下鉄構内の灯りが消える。
急に広く暗くなった世界にクロは怯むが、即座に気持ちを切り替え足音だけを頼りにローザを待ち受ける。
「助けて、お兄さん!」
だが、闇の先から現れたのはローザではなかった。背丈はローザと同程度だが身体つきは遥かに幼く、そもそもローザはこんなフリルのついた動き辛そうな服は着ていない。いや、それ以前にこの声にも聞き覚えがある。確か、この声の持ち主は――――
「『相談屋』の病弱少女か!」
クロは驚き汗だく少女を振り払おうとするが、病弱少女は恐ろしい力で腰付近に抱き着いたまま離れようとしない。
「退け、殴るぞ!」
「違う違います、敵はあっちですわ!」
クラレットは振り払おうとするクロに負けずに暗闇の先を指差す。だが非常灯どころかレールすらない地下鉄構内で、クラレットに抱き着かれて激しく動きまわされたクロは方向感覚が完全に掴めなくなっていた。
「どっちだ……――いや、どんな罠だ!」
「罠に嵌められたのは私たちも同じですわ! いいから、撃ってきますわ」
クロはあまりに迫真な少女に気圧されながらも、周囲の警戒を始める。クラレットの言葉が本当か嘘かは兎も角、彼女を追ってきている人間がいるのは確かである。
息遣いは三人分――足音を殺して近づく相手が二人に、止まったまま動かない相手が一人。僅かな衣擦れと視界を絶つ周到さから考えて、相手は暗視ゴーグルを装備しているのはまず間違いない。
クロは相手に悟られないよう緩慢で自然な動きでクラレットの襟首を掴み、力のまま遥か後方へと放り投げる。
「きゃああああああっっ!!」
クラレットの大袈裟な悲鳴を聞いて、敵が潜んでいた辺りの暗闇が蠢く。クロの予想外の行動に驚き、判断が鈍ったのだ。
当然、その隙をクロは逃さない。
『加速』を使って一瞬で距離を詰め、先行する暗視ゴーグル二人の死角に紛れ込む。そしてバックアップに残った後方の一人に向けて、投げナイフを飛ばす。
「――――ッ、横だ! お前たちのすぐ傍にいるぞ!」
投げナイフが右腿に刺さったままバックアップの男が叫び、仲間のすぐ傍に潜んだクロに銃撃を加える。躊躇いなく撃った相手の思い切りの良さに驚きながらも銃撃を的確に回避して、煌めく銃火を目安に詰め寄り力の限り首を捻る。コキリと小気味いい音と共に、バックアップの男はだらんと脱力する。
他の二人も暗視ゴーグルはつけていた。けれど狭く不鮮明な視界の先で何が起こったのかは理解出来ていなかった。
捻り殺された男の影に隠れたクロは男の銃を二人に向け、容赦なく引き金を引く。タタタッと軽快な音が響き、相手も負けじと撃ち返すが障害物のない地下鉄構内では銃弾を防ぐ術もなく、撃たれ倒れる。
「『相談屋』の病弱詐欺少女、生きているか?」
クロは盾代わりに使った男を投げ捨て、闇の向こうに声を掛ける。遠くから放り投げられたクラレットの恨み言が聞こえるが、クロは何も返さず暗闇の中で死体を漁る。
「……盾にする前に剥ぎ取るべきだったか?」
銃弾が当たってレンズが割れ機能を失った男の暗視ゴーグルを片手にクロは落胆の声を漏らす。他の二人ならば、とクロは顔を上げるが、地下鉄構内はただの暗闇に戻っていた。
微塵も灯りがない暗闇では、目が慣れるなんてことは起こり得ない。
クロは諦めて手探りで男の手荷物を検めるが、そこでちょっとした事実に気付く。
「すっかり忘れてた」
クロは死体から手を離し、つい先日購入したばかりの携帯端末を取り出す。隠密行動の妨げになると思い電源を切っていた携帯端末の電源を入れ、数分ぶりの光源を手に入れた。
僅かな光源であっても視界の確保には十分足りていた。
だがクロは他二人の死体より先に、ディスプレイを凝視する。
「着信……?」
携帯端末に表示されたジャック医師からの着信履歴――そして残されたメッセージの存在に、クロはやっと気付く。
クロは二人の死体から暗視ゴーグルを回収しながら、メッセージを再生する。
短く簡潔に残されたメッセージはクロの動悸を速め、焦りを募らせる。
《キミは早く帰ってきなさい。手遅れになる前に》
地下深く潜ったクロには、今すぐは許されていない。
96時間の新作見てきました
パパ強いリーアムニーソン格好いい




