Ⅳ-1 地下は寒く、時々熱い
あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします
Ⅳ-1 地下は寒く、時々熱い
現在の時刻は二十二時、あと二時間で今日も終わろうかという深夜にクロとローザは二人きりで目的地に向けて足を進めていた。
ニキはいない。
行動を共にするとクロが宣言した直後、謎の覆面集団――十中八九ニキに差し向けられた追手が三人を襲い、そのどさくさで逸れてしまった。
逸れた――とは些か語弊がある。
乱闘騒ぎが始まってすぐ、ニキは逃げたのだ。
「クロとローザよ、やはり今夜は予定通り例の場所に来るがよい」
それだけを言い残して。止める間もなく、空気に紛れるように。
暴力の権化とも言えるクロがいる以上、逃げる必要なんてない。角材で武装した、銃火器すら持っていない覆面集団など数を揃えても藁束となんら変わりはないのだ。
「ああ、くそっ!」
一人残らず簡単に、けれどもローザを庇いながら時間を掛けて捻り潰した後には人だかりが出来ていた。遠目でもわかる程、群衆は執拗に携帯端末でクロの姿を撮影している。その数は数十人、「撮るな!」と喚いても無駄なことは明白だった為、クロは無言を貫いた。
『魔法権利』すら使っていないクロは、傍目には只の強い人にしか見えない。
けれども二人で十何人もの武装した男たちを倒したこの状況は、集まった人々は自身の記憶以上の媒体に留めておくのは損ではない、寧ろ話のタネになると積極的に携帯端末に映像を収めていたのだ。他意はない。ないが、それがクロにとって堪らなく迷惑だった。
相応の知識がある人間にとっては、クロの身体能力が『魔法権利』の恩恵を受けてのモノであると一目瞭然だ。無意識の内に広まった画像映像で、クロとローザは各方面の要注意者リストに名を連ねてしまう可能性もある。
「ローザ、掴まれ」
そんな可能性を振り払い、クロはローザの手を引き、妨げる人を押し退けて進む。
倒れた暴漢も、怯える群衆も、全てを置いて走り去り――――
――――そして今に至る。
「見て、クロ。ネットに拡散している」
ローザが携帯端末をクロに見せる。そこではクロの奮闘――もとい乱闘の一部始終が流されていた。人間離れした反応速度と的確な打撃で覆面集団をノックアウトしていく自分の姿に、クロは苦い顔をする。
「無駄な動きが多いな。客観的に見る機会なんてなかったが、ここまでとは……」
「クロは格闘技経験、あるの?」
「全て我流だ。映画の動きを真似たり、生家の蔵書にある指南書から使えそうなモノを選び取り込む程度だ。一般人とそう変わらない」
クロは携帯端末ごとローザの手を自身の手で覆い、ローザのコートのポケットに突っ込む。「もう少し見ていたい」とムッとしてみせるが、満更でもないのかそれ以上の反抗はない。
ピタリとローザをエスコートしながら、クロは足を進める。
長春市の西部は治安が悪い。離れて歩くことにはデメリットしかないのだ。
元々半世紀前の廃工場が建ち並ぶ区画を、行政は独立を機に住宅街に改造しようとした。アフリカから流れてくる難民を受け入れる住居や農地、仕事場を作り出して大きな経済圏に成長出来たら、との展望である。しかしアフリカ難民はいたが思ったより数が少なく、更に東寄りの沿海州が意図せぬ発展を遂げたことにより、都市開発計画は頓挫した。
その残骸が二人が今いる長春市の西部で、放棄された地下鉄路線だ。
崩される寸前の工場と崩された工場の残骸。建てられた住宅と住宅が建てられる筈だった空地、放置された工具や鉄筋。美しい街を目指した街の一部は、今や社会から弾き出された若者や移民、浮浪者にとっての楽園と化していた。
路地から、街角から、幾つもの視線が二人に突き刺さる。
確かに二人は暗いスラム街では浮いていた。髪型は地味でピアスは開けていない。刺青もなければ威圧的な立ち振る舞いもない。綺麗な――けれど所々に傷跡や血痕を刻んだコートを纏って、粛々と歩いている。
それらは確かに異質だが、衆目を集める程ではない。
しかし実際に視線を集めているのならば、相応の理由があるに違いないとローザは少しだけ考え、すぐに心当たりに行き当る。
「奴らは仕掛けて来ない。無視していればいい」
クロはローザにだけ聞こえる声量で語り掛け、ローザは小さく頷く。
二人が察したのだ。ニキを追い、二人を妨害する敵の首魁はまず間違いなくこの街の暗部――ここに集うアウトローたちを手懐けている。十分な金と武器を与えて、一方的な関係を築いているのだと。
そして同族を容易く返り討ちにした二人が我が物顔で闊歩している。
恐怖が先行している。だからこそ、敵討ちどころか接触すらして来ない。
クロとローザは特にトラブルもなく目的地である地下鉄の入り口に到達する。
二人は暗がりに身を顰め、じっくりと入り口周辺を観察する。月明かりの下、クロの鳶色の瞳が獲物を狙う猫のように輝く。
「好都合だな」
獲物はいる。見張りが二人、ボディアーマーを身に着け、短機関銃で武装をしている。その辺りにいるアウトローとは違う。それは一目瞭然だ。
「見張りがいるのに好都合?」
「ああ、好都合だ」
クロは投げナイフを一本抜き出すと、目算で相手との距離と同程度の釣り糸を引き出しグリップに括り付ける。
「ローザ、奴らには手加減なしだ」
「了解」
クロとローザはとある基準を昨夜ホテルで決めていた。
簡潔に言うならば、敵対者への対処の仕方、敵対者を殺すか殺さないかだ。
定めた基準は襲撃者の武器の有無――そして種類だ。
銃火器を持ち出した相手には容赦せず、鈍器刃物までしか持ち出さなかった相手は可能な限り殺さない。その線引きの根拠は加減が利くか利かないかだ。
『加速』と底上げされた身体能力によって体捌きに定評のあるクロですら、銃を持った相手に殺さずの立ち回りが出来る程の余裕は持ち合わせていない。ほぼ生身と言って相違ないローザにとって銃火器相手の手心は、危険を通り越して無謀だ。
クロは呼吸を整え、静かにナイフを頭上に掲げる。
殺すことにメリットはあるが、殺さないことにもメリットはある。
例えば市民同士の乱闘騒ぎが起こった時に片方が逃げたなら、騒動の八割方はそこで終わる。けれど死傷者が出た場合は逆に、治安機構の人間は躍起になって犯人を捜す。市民の目に触れたが最後、本格的な捜査に乗り出すしかないのだ。
クロは隣から注がれる熱い視線を受け流し、ナイフを投げる。
一直線に空を裂いて進むナイフは見張りの一人の太腿に突き刺さった。見張りは呻き声を漏らしながらよろめき、何が起こったのかも分からずに膝を付く。
「ローザ、これを」
見張りが崩れ落ちるのを見届けて、クロは予定通りにあるモノを手渡す。ローザはそれを受け取ると、タイミングを逃さないように目を凝らす。
クロが手渡したのは、ナイフに括り付けた釣り糸だ。
半透明の釣り糸は夜に溶け込み、数メートル先ではあるかどうかパッと見では分からない。ナイフが刺さった当人すら、その糸の存在に気付けていないのだ。
当然周囲を警戒しながら傷付いた仲間に近寄るもう一人が半透明な釣り糸に気付ける筈もなく、血溜まりに踏み込み無防備で仲間に刺さったナイフへと手を伸ばす。
「今だ、やれ!」
「了解」
その一言を合図に大海を凍らせるほどの冷気をがローザの手から溢れ出て、魚を釣り上げる細い糸を伝ってナイフに届く。雷光のような速度で迸る冷気の波は負傷した見張りの傷口どころか体全体を凍らせ、立派で無惨な氷像を作り上げる。
一人は悲鳴をあげる間もなく絶命し、もう一人はナイフを触れた瞬間手を離し間一髪のところで致命傷を免れる。けれども手首まではキンキンに凍り、自分の身を守る為の短機関銃すら取り落とした。
「凄い力だな、ローザ」
「ダメ、一人逃した。相手も良い反応速度」
ローザの驚嘆を聞きながらクロは立ち上がり、次のナイフを投げ放つ。ナイフは回転しながらもう一人の見張りに向かう。その段になって初めてクロの存在に気付いた見張りは、迫る危険に気付かず予備のサイレンサー付の拳銃を抜いてクロに向けた。
しかし狙いを付け発砲するより早くクロのナイフは首筋に突き刺さり、一発だけ引き金を引いた後、見張りはだらんと脱力して倒れてしまった。
「クロも良い腕している」
「鈍い相手だ。案山子と何ら変わらない」
クロは素早く地下鉄の入り口に近寄り、二つの死体を検める。息が止まっていることを。そして素性が判明する何かを持っていないかを。
「見ろ、ローザ。パスポートを持ってたぞ」
クロは首から血をどくどくと流す見張りの片割れ――その膨らんだ胸元や衣服を探り、薄い手帳と携帯端末を見つけ出す。クロはペラペラと流し読みしてローザに渡す。
「イギリス人だ。入国は二日前、北京経由で陸路か。十中八九こいつらは黒だろうな」
「なるほど」
「銃火器携帯許可証もない。サブマシンガンの製造番号も消されているな」
クロは引き続き二つの死体を漁る。ローザはその後ろで暫くパスポートを見つめていたが、考えが纏まったのか、急に顔を上げてクロに提案する。
「このパスポート、私が……ロシア軍で接収しても?」
「構わない。どの道、俺に調べられるほどの人脈はない」
「助かる。これで軍の任務は達成。後は細工して、軍に任せる」
ローザはパスポートを胸元に収めると『氷結』で二つの死体を凍らせて凍死体へと偽装する。刺殺体を凍死体に偽装すること自体に大きな意味はない。必要なのは死因を変えることではなく、現地の治安機構がこの死体に辿り着いた時に不可解な点を覚らせることである。
「治安機構が妙な死体を見つけたら駐在ロシア軍に伝達しなければならない仕組みを利用する。『氷結』の痕跡を軍が拾いさえすれば、後は勝手に情報を隠匿してくれる」
「便利だな、軍は」
「違う、クロ。全く逆」
ローザは死体から手を離し、クロに向き直る。
「私たちが……、権利者が人間社会で生きていくには、軍を頼らなければならない。私たち権利者の力は、それほどまでに異質なモノ」
飼いならされた権利者の灰色の瞳が、野良の権利者の鳶色の瞳を射抜く。ゾッとするほど冷たい瞳ではあった。だが何故かクロはそれを温かいと感じた。恐らく、シロが自分に向ける温もりと似ているからだ。
「ねえ、クロ。もしよかったら……」
ローザもまた自身の考えを口にするが、クロの燃えるような瞳に宿った冷たく強い輝きを目にして押し黙る。
クロはローザや足元に転がる二つの死体に目もくれず、ただジッと遠くを――正確に日本の方を見つめていた。
自分の抱いた心配は、きっとクロの心に届かない。
戦う為の相棒より先の存在には、今は決してなれない。
それを察してしまったローザは、悔しくて悲しくて、ただ黙るしかなかった。
ホビット3見てきました
落としどころとしては妥当だと思いましたが
2から時間が空いていた為に「こんなキャラだっけ?」と首を捻ることもしばしば




