Ⅱ-4
街灯に照らされた国道を進む一行のハンドルを握っているのは、三峰ではなくシロである。当然、車は物凄い速度で進んでいた。
「悪かったって言ってるでしょ!」
向けられた叱責に対し渋々口にするが、言葉の謝罪では事態は一向に好転しない。運転に夢中のシロは前を見据えてアクセルを踏み込む。それが今シロに出来る唯一の謝罪方法であった。
「奴ら、まだ追ってきます!」
開いた窓から身を乗り出し後方を監視している三峰が叫ぶ。。
法定速度を遥かに超え無人の街を進む一行は、軽快な足取りとは真逆――とある粘着質な一団に追われていた。
四人を追うのはAFではなく、暴走族である。
「いいじゃない、無人のガソリンスタンドからちょっとガソリンを拝借するくらい。そもそもあいつらの所有物でもないし!」
シロの憤りは尤もである。だが、――――
「シロが殴ったからだ」
「あれは流石にやりすぎだろ」
後部座席から非難の声が上がる。クロとケイジが作業の手を止めずに続ける。
「普通は血を吐くまで殴りませんよ」
「あいつら臭いのよ、ミツ! 視線も気持ち悪いし、髪に触れようとしたし!」
時間にして三十分くらい前に、無人の――元からセルフサービスであるのかもしれないが――ガソリンスタンドを見つけ、正常に稼働していたことから給油を行うことにした。ガソリンの臭いを嫌ったシロは一人離れ道路側に座り、常備された自販機から買った缶ジュースを飲んでいた。
ガソリンスタンドの薄い照明を背景にしたシロは、綺麗な肌や長く艶やかな髪の白さの甲斐もあって煌々と輝いて見えた。その輝きに吸い寄せられるように、二台のバイクが爆音を響かせながら近づいてくる。
何度もシロの周りを動き回る二台のバイク、後部座席を含めて三人のチンピラたち。それを追い払おうとするシロとのやり取りは数秒続く。そしてクロの元に戻ろうとするシロを邪魔する彼らを、――――シロは瞬時にバイクから引きずり降ろした。
大地に降り立った彼らは、シロの拳の仲介でコンクリートと大親友になる。
器用に返り血を浴びないようにボコボコにしたシロは、満足そうに三人に向けて手を振っていた。だが三人はとても振り返す余裕なんて残されていなかった。大地に転がされた男たちが来た方向から、同じようなバイクが大量に現れる光景を、はっきりと見てしまったからだ。
後は飛ぶように車に駆け込み、意図せず逃走劇が幕を開けたのであった。
「それより、まだなの!」
前を向いたままシロが後ろへ叫ぶが、後ろの二人は冷静に返す。
「揺れる車内、しかも薄暗いのに組立を急かすな」
「もうすぐ終わる。あとは弾を詰めるだけだ」
後部座席には組み立てが終わったソレを抱えるケイジに、ソレの部品が入っていた空き箱が二つ。そしてソレに詰める弾丸を探すために、更に後方へと身を乗り出したクロがいた。
故にクロとケイジの二人は、シロの唐突で神がかったハンドル捌きに対応しきれなかった。
「――――クロッ!」
正面から飛び出したバイクとの衝突を避けるために左に大きくハンドルを回し、遠心力と衣服の一部がドアの突起に引っ掛かり開くという不運が重なり、クロはケイジが掴むより早く車外へと放り出されてしまった。
法定速度の倍近く速度の出ていた車から投げ出されたクロは、当然の如く受け身を取ることも出来ずに盛大に道路を転がった。
投げ出されたクロは、手足を広げたまま星空を眺めていた。
車と自分の距離は分からない――既に爆音を鳴らすバイクに囲まれ、車に戻るどころではなくなっていた。
「……おい、まさか死んどる?」
「俺たちのせいか?」
星空に割り込んでこちらを見下ろすゴロツキたちの視線が鬱陶しくなり、クロは仕方なく体を起こす。首や肩に手を当て動作を確認する。多少の擦り傷はあっても、致命的な傷はなさそうである。
「なんで無事にしとっと!」
「こいつかなりの距離転がっとったぞ」
不審な目を向けつつも尻込みするゴロツキたちを一瞥し、溜息と共に漏らす。
「俺に用でもあるか?」
先ほどの出来事など気にも留めない様子にゴロツキたちは思わずたじろぐ。クロは二十メートル近く硬い道路を跳ね、転がっていたのだ。バイクに乗るからこそ、事故の怖さを知っているのだ。
「ないなら、そこを通してくれ。シロのことは俺から謝る。すまなかった」
無表情のまま淡々と口にする謝罪の言葉に、周囲からの反応はなかった。だが、関わってはいけない相手だと本能で察したバイクの一部がクロを避けて道を作る。十分に距離を置いてはいたが、その先には三人が待っていた。
「ちょっと待て! お前、なんで無事なんだ?」
クロは足を止め、背中を見つめるゴロツキたちに少しの感謝を込めて言い放つ。
「ただ、運が良かったからだ」
それだけを言い残し、クロは車の方へ戻っていった。
「運が良かった」
「本当だよ。こっちは冷や冷やさせられたよ、クロ」
クロが車に戻ってからの第一声がそれであった。しかし”運が良かった”に同意したのは、シロだけであった。
「運が悪かったの間違いじゃないんですか?」
車から放り出されて、無傷なのは幸運に違いない。だが放り出されたことは不運そのものだ。ケイジと三峰は当然そう考えていた。
「俺は基本的に、素手でAFとは戦えない。あの囲まれた状況で襲われていたら、なす術もなく殺されていた」
クロの告白は、衝撃的であった。
「あの暴走族の中にも、AFはいた。俺も『魔法権利』を持っている。シロほど広範囲で探知は出来ないが、あそこまで近づいたら流石に気付く」
「ちょっと待て。なら何故、AFは襲わなかったんだ?」
クロの言葉から浮かんだ疑問をケイジが尋ねる。
「俺が『魔法権利』の所持者だと気付けなかった。もしくは気付いて尚、無視した」
「コロニーの形成を優先したのかもね」
クロとシロの推測を仔細にするなら、以下のようになる。暴走族の体内に潜んだ寄生型のAFは『魔法権利』を持つクロと戦うリスクを冒すよりも、やり過ごして暴走族の内部で宿主を増やした方が賢明であると判断した。
その説明でケイジは納得した。だが、――――
「……無事な人もいたのに、見捨てたってことですか」
「そうだ、俺は見捨てた」
ハンドルを握ったまま三峰が呟き、クロは助手席に深く身を沈めたまま淡々と答える。
「奴らの一人の腹を裂きAFを取り出し見せつける。シロが全員焼いてもいい。それからAFの存在を認知させる。そして真摯に現状の危険さを説明したとしても、あの中から生きて九州を出れる可能性のある奴は、ほぼいない」
体の端々に走る痛みを自身の『魔法権利』で和らげながら、クロも三峰と同じ前方を見つめる。
「……人助けには意味がないってことですか?」
「AFと戦うことは人助けに繋がらない」
「なら俺たちは、何のために戦うんですか……」
ハンドルを握る三峰の手に力が籠る。クロは顔を上げて大きく息を吐く。その顔からは『魔法権利』の発動時の兆候は消えていた。
「三峰、一つ質問をしよう。多くの人々が大きな水槽に、多くの人食い鮫と一緒に放り込まれたとする」
唐突に例え話を振られ、三峰は黙ることで続きを待つ。
「内部の人々は水槽からは逃げることも出来ず、人食い鮫は容赦なく襲う。水槽の外側に立ったお前は、どのようにして人食い鮫の脅威を取り除く?」
「そりゃ鮫を全て殺せば――――」
後部座席のケイジが答えようとしたが、それを遮ってクロが続ける。
「水槽の中の人々に武器を投げ渡し、鮫が全滅するまで戦わせるのか? 残念ながらそれでは無理だ。鮫の総数が分からない以上、どれだけの鮫を殺しても水槽の内部の人々から鮫の恐怖を消し去ることは出来ない」
一拍置き、続ける。
「分かるか、これが今の九州だ」
諭すようなクロの口調は、他の三人に迂闊なことを喋らせなかった。
「ただ、鮫を殺すことは本質的に間違ってはいない。鮫の脅威を消し去る方法はそれしかなく、問題はその手段だ。かつて世界の頭脳は即座にその手段を見つけ出し、手遅れになる前に実行した」
ケイジはふと顔を上げ、答えを口にする。
「……水槽の中の人々を全員切り捨てて、鮫を餓死させたのか?」
ケイジの言葉をクロは肯定し、シロは自分の出番とばかりに沈黙を破る。
「でもね、探せば他にも色々な方法があった。私とクロは、その色々を試しに行く。AF退治は結果であって、過程にする訳にはいかない」
「その色々が空振りに終われば、九州はアフリカの二の舞だ。だが色々な方法が存在する可能性は決して低くはない。それが戦う理由だ」
いつものように、自分の言いたいことを言い切った二人は、それ以上を喋らなかった。
何かを隠されたままのようで釈然としない。三峰はもやもやする気持ちを残したまま黙ってハンドルを握るしかなかった。
今更戻れない。
もうここは、引き返せる場所ではなかったのだから。