Ⅲ-5
ぎろりとクロの鳶色の瞳がベッドの上のヨーゼフを睨む。
クロは決して、偶然を見逃さない。
ヨーゼフは刺された少女の『魔法権利』に苦しむクロの姿を見て喜んだ。”偶然敵が倒れたから”――表情の裏にそんな理由は隠れていないのは一目瞭然。ヨーゼフにはクロに向けられた『魔法権利』の効果に見覚えがあり、それが仲間のモノだと知っていたから、思わず顔を綻ばせたのだ。
クロはコートの袖からナイフを一本抜き出す。
臨戦態勢――と言えば聞こえはいいが、どちらかといえばその姿は錯乱状態に近く、虚ろな目は敵味方の区別が付くのかすら怪しい。
「クロ、落ち付いて」
ローザは心配して声を掛けるが、クロは投げナイフを握った腕で応える。
クロの元から離れたナイフはローザのすぐ横を通り過ぎ壁に突き刺さる。クロの瞳は真剣で、そもそも冗談でもこういった行動はしないと信じていたローザは、思わず身震いする。
クロは本気だ。邪魔する者は、皆巻き込んで進む気だ。
だがローザの思考とは裏腹に、クロの口から出たのはもっと冷静で、優しい言葉であった。
「ローザこそ冷静になれ。足元の氷が解けて……、そいつが動いているぞ」
ハッとしてローザは下を見ると、クロの言う通りに足元を固めていた氷は『具現』の黒い粘着質な物体に侵食され、拘束が意味を成さない程の隙間を作り出していた。そして『具現』はレイズィの足元だけでなく、ローザの足元にも――更には背後から奇襲を掛けようとしたのか、相当量が満ち満ちていた。
レイズィは機会を逃さずに拘束から飛び出す。ローザは慌てて『氷結』を発現させるが、その体はレイズィと同じく機会を窺っていた『延長』によって押され、レイズィとの距離は致命的に離れてしまう。
「待てッ!」
ローザは手を伸ばすが、レイズィに届く前にクロがローザの身体ごと回収する。
「冷静になれ、ローザ」
クロの言葉を聞き、ローザはゾッとする。
クロに抱えられたローザが見たのは、『具現』で作り出された棘だった。現れた場所は本来なら数秒後に自分が立っていた位置――クロが止めなければ、きっと致命的な怪我を負っていた。
クロとローザは再び窓の前に立ちレイズィとヨーゼフ、そして歪んだ扉を退けて病室に現れた刺された少女――クラレットと対峙する。
「クラレット!?」
レイズィはいる筈のない少女の姿に驚くが、クラレットは軽く無視してクロと向い合う。
「お兄さま、強いですわ」
クラレットは数分前まで使っていた松葉杖に頼ることなく平然と立ち、余裕綽々にクロを評価する。
「私の『呵責』に耐え、こうも早く逃れるなんて……、本当に人間なのかしら……。姉さまはどう思います?」
クラレットは唐突に話題を振る。振られた姉は「知らない」と一蹴する。よく見ると二人の容姿は似通っている。黒檀の髪に若草色の瞳、背丈はクラレットの方が低いことと、髪の長さ以外は瓜二つと言っても過言ではない。
レイズィが一方的に嫌っているようにも見えるが、姉妹の仲はあまり良くないらしい。クラレットが現れてからレイズィは苛立ちをぶつける為なのか俄然やる気を滾らせている。他の二人――ヨーゼフはテンガロンハットを被っているもののベッドから動くことが出来ず、クラレットはレイズィの携帯端末を耳に当てたままジッとクロとローザを眺めている。
「ごめん、クロ」
張り詰めた空気の中でローザが唐突に謝罪の言葉を口に出す。一瞬何についての謝罪か分からなかったクロだが、コートの背中部分を握っているローザの手の感触から、口惜しさを含めて、ローザ自身の不甲斐なさを責めているのだと理解する。
「俺の方こそ迂闊だった。もっと警戒するべきなのに、ああも簡単に嵌められて」
「クロはよくやっている」
「最良には程遠い。全てが空回りだ」
「それでも、最悪ではない」
「それはローザがいたからだ」
「クロ……」
そんな二人の傷の舐め合いが数回続き、場の緊張が緩む。
「乳繰り合いなら他所でやってくださいません?」
そして電話から耳を離したクラレットが、うんざりとした口調で割り込む。
「俺たちを逃がしていいのか? 昨日ホテルで、そっちのテンガロンハットが言っていたぞ。俺たちの軟禁が目的だ、と」
クロは伸ばした指をヨーゼフに向け、それに合わせてクラレットの視線も動く。ヨーゼフは何か言おうと口を開くが、結局何も言えずに顔を背ける。
「コンクリートに覆われた地下室で窓は無し、入り口は鋼鉄の扉一つ。そんな密閉空間ならまだしも、この場で……こんな開けた場所で、お兄さま方の相手は務まりませんわ」
容疑者のアリバイ突き崩す探偵のような口調で、スラスラとクラレットは状況を分析し、戦う気満々のレイズィは目に見えて不機嫌を募らせていく。けれどクロからは見えない位置ではレイズィ以上に眉を顰める者がいた。ローザだ。
「…………ちょっと待って」
「何ですの?」
「貴方の言う”兄さま”は誰? ベッドで寝ている男?」
背中から聞こえる声の所為でクロは珍しく呆れた表情を晒す。見ると対峙しているレイズィも眉根を押さえて苦悩の表情を浮かべている。クラレットは余裕を浮かべたまま、ローザの疑問に答える。
「当然、貴方の前に立っている方ですわ」
「そんな……ッ!」
クラレットの何気ない一言で、ローザは驚愕し異様に動揺し始める。
「あの子がシロ……、クロの妹が敵にッ!」
クロは思わず振り返る。そんなことを口走ったローザの顔は真面目で、冗談を言っている風ではない。クロは自身とクラレットの兄妹としての共通点の無さを理由にローザの苦悩を解消しようかと考えたが、寸前の所で思い留まる。それを口にするということは、本物の――けれど義理の兄妹であるクロとシロ、自分たちの関係の一端を否定してしまうことに繋がる。シロと共にいる理由が減ってしまうのだ!
クロは呼吸を整え、平静を装ってローザに推測を伝える。
「落ち付いて聞け、……あいつは俺の妹ではない。あれは敵の策略だ」
「策略?」
「あいつは自身の『魔法権利』を『呵責』と呼んだ。呵責とは責め苦しめること。予想するに相手の良心を煽って行動を制限する、俺の『挑発』と同系統の『魔法権利』だ。少女の外見と『魔法権利』の特性を理解した上での発言だ。…………多分」
「多分?」
「以前ケイジさんが……友人が言っていた。――――世の中の男の八割は妹キャラに弱い、と。そうでなくとも人間社会に属する大多数の大人は、子供を攻撃することに抵抗がある。そこに”兄さま”だ。心が揺れない男など、男ではない」
「良く分からないけど、…………そういうもの?」
「そういうものだ」
真面目に言葉を交わすクロとローザ。レイズィは最早口出しする気も失せたのか『具現』を引き連れたままヨーゼフの傍に控え、二人の動向を見守る。逆にクラレットは微塵も恐れることなくクロの元まで歩み寄り、レイズィの携帯端末を手渡す。
下らない会話を続けている間、クロは警戒を少しも緩めていなかった。地表を見下ろす鷹のような鋭さで絶えず三人に視界を送り、飢えた虎のように噛みつく機会を窺っていた。特にクラレット――警戒心を見せず携帯端末を差し出す少女に、クロは最も警戒を向けていた。
「どうぞ、お受け取りを」
恐れ知らずと一括りに纏めることも出来るが、物怖じしない理由は人によって様々だ。現状を認識出来ていない。恐怖を体験したことがない。恐怖を克服するほどの実力を保持している。パッと考え付くだけでこれだけ――けれどクラレットがどんな心境でクロに手を伸ばしているのかは分からない。少し前に病室の扉を盛大に壊してみたが、いま目の前の少女が恐怖を感じている様子はまるでない。
いや――――、とクロは考え直す。
クラレットの『魔法権利』がクロの推測の大部分と合致するのなら、『呵責』を発動の条件を満たすには、敵対者に自身の姿を晒さなければならない。媚びるような声色も可憐で華奢な容姿も全て作り物――中身に強化の恩恵を受けた鋼の精神を携えていても何ら不思議はない。『魔法権利』とは、そういうものだ。
「社長からですわ」
クロはクラレットから携帯端末を受け取り、少しだけ距離を開けて耳を傾ける。ローザはクロの肩を掴み、背伸びしながら端末に耳を寄せる。
《……繋がっていますか?》
「ああ」
《ならいいです。クラレットから軽く説明を受けました。仲間の身柄は強引に引き取りました……が、まだ契約は終わっていません。次は私が対価を支払う番です》
『相談屋』の社長――クレイ・レガツォーニは淡々とクロに告げる。クロには知る由もないがそれは依頼人と会話を交わす時の口調であり、クレイは既にクロを一人の依頼人として扱っていた。
《まず貴方たち二人は、急いでその場を離れてください》
「…………なんだと?」
《『相談屋』の規約で依頼人の正体は何があっても話す訳にはいきません。これは誰もが守る業界の不文律です。代わりの情報を用意したので、それで勘弁してください》
クロは眉根を寄せるが、ローザは特に悩む素振りも見せずにその条件に同意する。
「クロ、欲張り過ぎてはいけない。物事には越えてはいけない一線がある。越えるには、越えさせる方も相応の出血を覚悟しなければならない。今ここで、私たちにそれだけの余力はない」
ローザは優しくもはっきりとした口調でクロを諭す。
「代わりの情報を用意したと彼は言っている。次の行動を決めるのは、それを聞いてからでも遅くない」
《彼女の言う通りです。ですが、今はそれより移動を。追いつかれて困るのはそちらです》
「追いつかれる?」
《貴方が知りたい依頼人――その末端ですが、彼らは貴方たち二人を追っています。追跡を可能にする『魔法権利』で指示を出していて、所構わず見つけ次第、貴方たちに襲い掛かります。病院で銃撃戦になれば、ゾッとする結末が待っています》
クロとローザは互いに顔を見合し、電話先の男の言葉が信用に値するかどうかを判断する。クロは「ちょっと待っていろ」と電話先に告げると通話を終え、レイズィに携帯端末を投げ返す。そしてローザを連れ、別れの言葉も残さずに病室を後にする。別れを惜しむこともなく、向けた背に罵声を浴びせもせず、黙ってその場を後にした。
古びた蛍光灯が照らす階段を降りながら、クロは自身の携帯端末のボタンを押し、レイズィの端末に表示されていた番号に電話を掛ける。数回の呼び出し音を経て、中断した会話が再開する。
「信憑性はある。デモ、喫茶店、ホテル――今まで奴らが襲った場所だ。特別人目がない場所を選ぶどころか、巻き添えすら厭わない。確かに、病院を襲ったとしても何ら不思議はない」
クロは端末に喋りかけながら周囲の警戒も怠らない。妙に視線が集まっているが、その理由は明白だ。病室の時と同じくローザが体を密着させているからで、意図せず嫉妬と羨望も視線と同時に集めていた。携帯端末から届く情報を共有する為にクロも離れろとは言えず、仕方なくローザの歩調に合わせるしかなかった。
「だが、何故奴らのやり方は妙にちぐはぐだ。装備は規格統一すらされずにバラバラで、情報も行き届いていない。追跡を可能にする『魔法権利』を持っている割に、俺たちを満足に追えてすらいない」
《それは彼らの本命は別にいて、貴方たちを追っているのは現地調達のゴロツキ上がりの連中だからです。『相談屋』が受けた依頼と同様に、足止めしてくれればそれでいい程度にしか考えていないでしょう》
「本命か……」
ニキのことだと理解しながらも、それを電話先の相手に対して口にしていいかどうか悩み、結果的に口を閉ざす。しかし電話先の相手――『相談屋』の社長は、その本命を軽々と口に出す。
《ニコラウス・ルーパー・マクマンベトフ――何の執着があるのか知りませんが、巨額の金や権力、人材を投入してまで追う価値があるみたいです》
「いいのか? そんな簡単に依頼人の情報を漏らして」
《これは私たちが集めた情報です。依頼人の素性にも繋がりませんので、問題はありません》
そんな相手の言葉を聞かされ、クロとローザはどこか漠然とした不安を感じ始める。
「まさか、これが仲間の命の対価として差し出す情報なのか?」
《ええ。ニコラウス・ルーパー・マクマンベトフと接触したら、自然と彼を追う依頼人の存在も割れる筈です》
ローザは開いた口が塞がらず、クロは口を固く閉ざして眉を顰める。
足止めの依頼を受けた『相談屋』の社長は、クロとローザを何故足止めする必要があるのか分かっていないらしかった。
それもその筈、クロとローザが喫茶店で出会ってから、やっと二十四時間が経過した程度なのだ。昨夜ホテルを襲撃した時点で下調べも碌に出来ていないことは明白で、失敗したと伝えられてからも半日しか経っていない。ロシア軍に所属しているローザはまだしも、完全に一般人で通っているクロを調べる手立てなどある筈もない。それが短い時間であるなら尚更だ。
気づけば病院の敷地はとっくに通り過ぎ、二人は市街地の中心部に位置する公園の入り口に立っていた。木々は生い茂っているものの季節は冬、葉は落ち見通しはそれほど悪くない。
『相談屋』が言う追手を誘い出すには最適な場所であった。
寄生獣見てきました
実写映画化の壁を乗り越え、普通に面白かったです
※但し原作と比べない場合に限る。




