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A/Rights 変質した世界で  作者: 千果空北
第二章:茨の道と血濡れの足跡
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Ⅲ-4



「通り雨の後みたい」


 デコピンされて赤くなった額を押さえながら、レイズィは呟く。確かに病室の床や壁はレイズィの言葉通りに室内とは思えないほど濡れていた。無論それがローザの『氷結』の残滓であることは明白であったが、それでも驚嘆は隠せない。


「沢山の水、どこからこんなに……」

「『魔法権利』ってのはそーいうもんだ、レイズィ。深く考えるな。普通なら手なんて伸びないしクマのぬいぐるみも出て来ねぇんだ。ちょっと水が出るくらい、まあよくあることだ」


 ヨーゼフは額に浮かび上がった珠のような汗を拭いながら答え、ぶるっと身震いする。そしてローザの『氷結』で固められた扉を開けた時と同じように、開きっ放しの窓を『延長』を使って閉じ、レイズィに向き直って頼み込む。


「レイズィ、何か拭く物もってねぇか?」

「ハンカチならあるよ」

「貸してくれよ。背中が冷や汗だらけで気分がわりぃ……」


 レイズィは顔を顰め、嫌悪感を顕わにする。


「やだよ。私のハンカチが汗臭くなるじゃん」

「洗えばいいじゃねぇか……。なら、看護師からタオルでも借りてきてくれよ」

「そのくらいならいいけど……、あ、でもヨーゼフ」


 ヨーゼフの頼みを了承したレイズィはくるりと半回転しベッドに背を向けるが、そのまま歩き出すことはせず、更に半回転を加えて元の立ち位置に戻る。


「結局あの二人は何しにきたの? 単純に仕返しって雰囲気じゃなかったけど」

「依頼人の正体を吐け、だとよ」

「依頼人? やっぱり……」

「何がやっぱりなんだ? おい、レイズィ――――」


 レイズィはヨーゼフの呼び声に応えず、慣れた手付きで懐から携帯端末を取り出し操作する。相手を選び、通話ボタンを押し、呼び出し音の合間にヨーゼフに短く告げる。


「ちょっと社長に電話してくるよ」


 そして病室から一歩、足を踏み出した瞬間。


「気が利くな」


 目の前の男に携帯端末は奪い取られ、隣に立つ小さい女に反応する間もなく羽交い絞めにされる。レイジィは何が起こったのか分からないままに抵抗を始め、レイズィを目で追っていたヨーゼフは唖然と登場した二人を見つめる。


「て、てめぇら逃げたんじゃねぇのかよ!!」


 我を取り戻したヨーゼフが悲鳴とよく似た叫び声を上げる。クロはそんなヨーゼフの動揺を軽く無視して、呼び出し音が鳴り続けるレイズィの携帯端末のディスプレイに表示された通話終了ボタンを押す。


「一時的に撤収しただけだ。戻ってこないとは言っていない」


 小学生のような詭弁をクロは恥ずかしげもなく口に出す。けれどヨーゼフの焦りは二人が戻ってきたことに向いているのではなく、二人の手でレイズィが囚われていることにある。


ローザに掴まったレイズィ。二人に身長差はなく、寧ろローザが少し低いくらいだ。それこそ女性的な膨らみを抜きに考えれば体格は同程度――にも拘わらず、レイズィは抵抗は疎か普通に動く自由さえ奪われていた。


 レイズィの足は床を濡らしていた水滴で凍てつき、ローザの触れている首と腰周りには薄らと氷が張っている。無理矢理距離を取ることも出来なければ、『具現』を出現させる猶予も与えて貰えない。


「離せ卑怯者! 場所を選ぶ? 白昼堂々やる気はない? どこがよ!」


 そんな状況で、出来ることは精々罵声を浴びせる程度であった。声を張り上げると薄氷が覆った首周りがチリチリと細かい痛みを伝える。


「負傷者一名、戦闘継続不能者一名。以上。どこに俺たちの敵――戦える奴がいる?」


 いけしゃあしゃあと言い放つクロに、激昂したレイズィは拘束などまるで気にせず飛び掛かろうとする。


「この、お前は――――あだっ!」


 けれど体は動かず、唯一飛び出した額にクロは掌で応える。押し戻されたレイズィをローザはしっかりと抱き止め、人見知りの子供をあやす大人の口調で告げる。


「余計な事さえしなければ、すぐ解放する。こちらに貴方たちを殺す意図はない」

「だから、依頼人について話せと?」

「そう。理解が早く助かる」

「うるせぇ! それは俺たち、『相談屋』に死ねって言ってるのと同じだ!」


 再び交渉という名目の脅しは、意地の張り合いに突入しする。前回と違う点があるとするなら、それはクロの手に握られた携帯端末だ。通話終了を押す前にチラリと見えた登録名は社長。どのような社長かは分からないが、ヨーゼフとレイズィ――『相談屋』に関係した相手であることは確かであった。


「クロ、早くして。外が騒がしくなってきた」


 ヨーゼフの病室は入院棟の三階。入院患者や見舞い人が少なく閑散としているが、ああ何度も叫び声が響き渡れば流石に不審に思う人も出てくる。仮に誰かが様子を見に来たとして、正当な手順を踏んだ入院患者のヨーゼフと見舞人のレイズィ、その二人を脅し付けるクロとローザ――どちらが悪者にされるか考えるまでもない。


 邪魔者は全て薙ぎ倒していけばいい――混乱の九州とは違って、ここでそのやり方は通用しない。特に昨日何回か顔を見られているクロにとって、警察と鉢合わせることはなるべく避けなければならなかった。


「ローザ、あの男の顔が一瞬でも隠れたら、そいつの息を止めろ」

了解(ダー)


 ヨーゼフの『延長』は隠密性に優れ、実際に体感するまでは発動しているかどうかにすら気付けない。故に発動しているか否かを見分けるには、『魔法権利』発現時に目の下に印が現れるという基本的な手法に頼らざるを得ない。それを知っているヨーゼフにとって目深に被れる鍔の広いテンガロンハットはファッションとして以上に相性が良く、テンガロンハットを被っていないからこそ、今は手出しが出来ずに見守るしかなかった。


 クロはローザとレイズィ、ヨーゼフの全員を視界に収めながら奪った携帯端末を操作して、リダイヤルする。


「なんで……、なんで暗証番号を突破してるの!」

「実際に解除する場面を見ていたからだ。お前たちの死角から、黙ってジッと」

「ひぃっ……! ストーカー!!」

「何とでも言え」


 そう言うとクロは怯えるレイズィに近寄り、右の人差し指を掴まえる。レイズィはクロの目的に気付いて振り解こうと必死になるがピクリともせず、指紋認証の壁も易々と突き崩される。


「この……、ヒトデナシ……!」


 レイズィは薄碧の双眸に涙を溜め、無駄だと悟りながらも気丈に噛みつく。クロはそれを無視して、相手が電話を取るのを待つ。


 少女の涙に心が揺れない訳ではない。ただ、敵対する少女とシロ、どちらが大切かは言うまでもなく、眠り姫(シロ)の為ならどんな茨の道を歩もうと、どれだけ自分が傷つこうと構わない覚悟を決めていた。


 だが傷だらけの自分を見て、シロはどう思うのだろうか?


 ふとクロの頭の中にそんな考えが過る。自分とシロ、義兄妹の歪な関係――情愛を越えた依存関係の異様さは、誰に言われなくともクロも嫌という程自覚していた。今までは心地良くて、どっぷりと浸かったままで満足していただけで、シロさえ良ければ関係の発展――常識的な観点で測れば退廃――すら甘受出来た。


 だが、決して自ら動きはしない。心地良い関係の次に待つ曖昧が、どんなモノに変わるか分からなかったからだ。


 依存――とクロは二人の関係を客観的に纏めた。それは二人を知る誰もが薄々と勘付き、そしてクロを酷く悩ませる原因でもある。


《……どうしました?》と電話口から声が聞こえる。


 例えばシロにとってのクロが寝付きが良い抱き枕と似た存在だとして、滑らかな手触りがボロボロに裂かれ、柔らかな綿が飛び出した抱き枕をシロが必要とするのか?


 答えは否だ。


 シロが時折覗かせるシビアな一面。クロから隠そうと努力し、隠しきれない恐ろしい一面を、誰よりもシロの傍にいたクロは知っている。


 戦えば戦うだけ傷付き、けれどもニキを探し出す為には――シロを助ける為には、否が応でも戦わなければらない。渦に吸い込まれるイメージだ。必死に泳げど、終着点は大きなうねりによって既に定められ、時間が経つにつれて閉塞感だけが増していく。どうすればいい? どうすれば――――


「俺は、どうすればいいんだ」


 思わず口に出た言葉に、クロを含めた全員が目を丸くする。ただ一人、電話先の相手を除いて。


《私に相談してみますか?》

「いや、……」


 妙に抜けてはいるが的確な返しに、クロは曖昧な返事をする。


《まあ、それは一先ず置くとして、レイズィに代わってください。いますよね、そこ》

「レイズィとやらはいるが、電話は代わらない」

《何故です? それは彼女(レイズィ)の電話でしょう》


 丁寧に、けれど鋭く電話先の相手は反論する。苛立った様子も見せず、反論を口にすることに何の負い目も感じていない。自分は正しい。どんな状況でも、そう思いながら正論を吐き出せる種類の人間だ。


 やり辛い相手――だが、自分と気が合いそうな相手だとクロは微かに微笑む。


「お前の仲間たちは人質だ。俺たちの知りたい情報を話せば、二人はこのまま解放する」

《仲間たち……? レイズィ一人ではないのですか?》


 クロは少し病室内を見渡す。電話先の相手の質問が本気なのか演技なのか分からない。レイズィがテンガロンハットの男(ヨーゼフ)の見舞いに来たのは間違いないが、それを電話先の相手――『相談屋』の社長に伝えたかどうかは分からない。


「他にもいる」


 相手が正確な情報を知らないのなら、それを教えてやる義理はない。


《そうですか……。ですが私が話せば、必ず仲間が助かるという保障はありますか?》


 電話先からの問いにクロは「無理だ」即答する。


「逆に訊くが、俺たちにお前が喋る情報の裏付けなど出来ると思うか? お前がそれらしいことを喋るだけで、俺たちはコロリと騙されてしまう。通常ならば裏付けが取れるまで人質は拘束する。悪い奴なら、裏付けが取れた瞬間に人質を殺す可能性すらある。この方法は互いにリスクを背負い過ぎる」

《……交渉方法を変える、そういうことですか?》

「違う。そうじゃない」


 難航する交渉に――交渉にすら達していない段階で、両者の間には亀裂が入ってしまった。無言で見守る三人には、少なくともそうとしか思えなかった。


「お前が誠意を見せさえすれば、俺も誠意を示す。必要なのは出し抜き合いではなく単純な信用だ」

《破綻している。それは交渉の類ではありません》

「なら仲間の命を買うと思えばいい。お前の持つ情報を、仲間の命と釣り合うと思うだけ喋ればいい」

《曖昧な基準ですね。曖昧で、こちらにメリットがない》

「ならば拒否してしまえばいい。こいつらは重要参考人としてロシア軍に引き渡す。満州の治安機構ではなく、満州駐留ロシア軍だ」


 電話先の男は突拍子もないクロの条件に電話越しでも分かる程に気を張り詰め、結論を出せずに口籠る。


《それは……、いえ、少々待ってください》

「待てない。今すぐに結論を出せ」


 だがクロはそれを拒否して結論を急ぐ。悩む時間を絞り選択の幅を狭めようと口にしたのではない。


 この病室に近づいてくる人の気配を感じる。酷く乱れた歩調で、誰に遮られることもなく一歩一歩着実に進んでいる。不自然な――されど怪我人ならば自然な歩みでもある。


 一般の入院患者に見られると厄介だ。


《分かりました。そちらの条件を飲みましょう》


 クロは足を動かし、開けっ放しの扉に辿り着く。扉に手を掛け、携帯端末から聞こえる声に焦りを悟らせまいと呼吸を整え、答えようとした矢先――――


 廊下を歩く青白い肌の少女と目が合った。


《ただ、仲間の無事はこちらで確保しますので悪しからず》


 松葉杖を使ってぎこちなく歩く少女――――昨日クロの前で刺された少女が、偶然にも目の前に立っていた。


「あっ…………」


 先に気付いた少女の瞳にみるみる恐怖が宿り、か細い体を支えていた松葉杖を取り落とし、軽快な音が廊下を打つ。


 誤解だと分かっていながらも明確な恐怖を向けられ、クロは動揺してしまう。そして感じる必要のない罪悪感が芽生え始めたクロは、少女の眼差しから逃れようと扉に触れた手を動かそうとしたその瞬間、――――少女の顔が愉悦に歪む。


 鼓動が止まる。嵌められたのだと、少し遅れてクロは気付く。


「掴まえましたわ」


 心臓が鷲掴みにされ、激痛が走る。息が吐き出せない。携帯端末が手から逃げ出し、床を滑る。少女は微動だにせず、ただ目の下に一本の印と薄ら笑いを浮かべてクロを眺めていた。


「――――ッ!」


 クロは激痛に哭く体に鞭を撃ち、渾身の力で扉を閉める。


 ガシャン――――と、何の意味もない暴力が静かな入院棟に木霊する。


 薄い扉は盛大な音と共に(ひしゃ)げ、扉のフレームは乗用車同士が衝突した後のように歪む。衝撃で崩れた病室の壁から覗く向こう側には、少女が驚愕と焦燥を織り交ぜた表情でクロを睨んでいた。数秒前の恐怖や愉悦は既になく、恐ろしく速い表情の転換を行う少女に、クロは激痛に苛まれながらも感心する。その感情の激変は、クロには到底出来ない芸当だからだ。


 痺れ始めた指先を握り締め、自身の額に叩き付ける。


 新たに生まれた額の痛みと触れる拳の感覚に意識を集め、荒れた呼吸を強引に整える。


 何かに絞られていると思う程に汗が吹き出て、収まる気配がない。恐らく『挑発』と同系統の『魔法権利』だとクロは当たりを付ける。


「交渉は、決裂だ」


 遠くに見える通話中の画面に向かって、クロは静かに伝える。


 聞こえるか聞こえないかは問題ではない。


 大切なのは、決めたことを実行するかしないかである。



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