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A/Rights 変質した世界で  作者: 千果空北
第二章:茨の道と血濡れの足跡
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Ⅲ-3



 少し黄ばみが見え始めた元純白の壁にパイプベッド、その他簡素な内装にガラスの花瓶――そこには申し訳程度に赤い一輪の花が活けられ、個人用にしては広い病室のベッドで生かされた男の隣には純白のフリルを申し訳程度に取り付けた黒い服の少女が座っていた。


「生きてて良かったね、ヨーゼフ。……仕事は失敗したけど」


 喪服を連想させる黒服の少女がベッドで動けない男に嗜虐的な笑みを向ける。彼女は標的に返り討ちにされ任務をしくじり、更には相手の口車に乗ってまんまと罠に嵌り、重症を負ったヨーゼフを笑いに――もとい見舞いに来たのだ。


「他人事じゃねーぞ、レイズィ。ヘルプとはいえお前だってミスってんだ」


 ベッドで寝ている男――ヨーゼフ・ロートはお気に入りのテンガロンハットをベットの脇に掛け、恨めし気な目を黒服の少女――レイズィ・レガホーンに向ける。ヨーゼフの両足にはギブスが巻かれ、巨大な昆虫の繭のようになっている。


「べぇーっだ! 私は他の仕事もしっかり終わらせてるよ。戦線離脱したヨーゼフとは違うもん」


 ヨーゼフの足をギブス越しに突きながら、『具現』の少女(レイズィ)は快活に笑う。その仕草に違わず、黒曜石に負けない漆黒の癖っ毛は少年のように短く、春の野原のような若草色の瞳でヨーゼフを見つめている。


「『具現』と正面から殴り合える化け物だって知ってりゃ、俺だって別の方法選んだんだぜ。ああ、くそっ! どう考えても奴の相手はブリトニーが適役で俺じゃないだろ」


 ヨーゼフは苛立たしげにベッドを叩き、それに合わせて安物のパイプベッドが軋み声を上げる。


「まずクラレットが刺されたってのが想定外だ。流石にあり得ねぇだろ」

「そればかりは仕方ないよ」

「大体、妙に出来過ぎなんだよ、今回は」


 レイズィの用意した苛立ちの捌け口に、ヨーゼフは遠慮なく飛び込む。


「下調べする間も与えない依頼。現地入り早々に仲間(クラレット)の負傷。強すぎる標的たち。好き勝手暴れる依頼人の一団。…………クレイは何故この仕事を受けたんだ?」

「社長は私たちと違って頭が良いからね」

「レイズィ、俺をてめぇら馬鹿の括りに入れんじゃねーぞ」

「でも社長の考えてること、分かんないんでしょ? なら同じだよ。頭のいい社長と、その他大勢」


 簡潔で明瞭な区分を遣って退けたレイズィに、ヨーゼフはこれ以上何を言っても意味がないと諦める。それは物分りの悪い生徒への指導を諦める教師の心情ではなく、人生の教訓を伝えようとした相手が自分より遥かに達観していた時の年長者の心境であった。


「で、クレイはどーするつもりなんだ。お前は、レイズィ?」


 レイズィは少し考え、社長(クレイ)の考えをそのまま伝える。


「私は今夜も出るよ。方針としては二人組は追わずに一人に集中するってさ。依頼人がどのくらい暴れるか分かんないから、機を見て撤収してもいいって言ってた」


 ヨーゼフは額に手を当て社長(クレイ)の判断に恨み言を投げる。


「クレイはこっちのニュース見てんのか? 俺たちが二人と殺り合う前に誰かが――恐らく依頼人がロシア人とTPTOの奴らを殺してるんだぜ。ありゃきっと二人組の片方、ロシア人の小さい女の関係者だ。下手したら、依頼人の罪を俺たちが全部被ることになる」


 ブロンドの髪をくしゃくしゃと掻き混ぜながら、レイズィに自身の考察の感想を求めるが、レイズィは「私に言っても仕方ないじゃん」と一蹴すると、一階のラウンジで何か飲み物を買ってくると部屋を出て行ってしまう。


 そしてレイズィが出て行って一分と経たない内に、病室の入り口から先程まで話題にしていた相手が――見舞客として歓迎できない相手から、声を掛けられる。



「その話、詳しく聞かせて?」


「てめぇ! 昨日の小さいロシア――――」


 その姿を確認し発声するより早く、ヨーゼフは『延長』で遠くのローザに牽制を入れる。そして発声し終わるより早く、ヨーゼフの首の数センチ横を冷たい何か通り過ぎる。


「ローザに身長のことは言わない方がいい。忠告だ」


 ヨーゼフは一瞬だけ視線を逸らして首のすぐ傍に刺さった何かを確認する。それはクロの投げた氷の刃で、まず間違いなく意図的に狙いを外したのだと分かるほど正確な投擲にヨーゼフの意識と体は縛り付けられてしまった。


 クロとローザの二人は入り口の扉を閉め、敢て鍵は掛けずに『氷結』で固める。その最中にもクロは『氷結』で作り出した氷の刃を片手にヨーゼフを警戒していた。その視線は手にした氷以上に冷たく鋭い。


「勇気を出して立ち向かうか? ここは病院、それなりに無茶しても死ぬことはない」


 『魔法権利』を使う素振りを見せれば、即座に氷の刃が飛んでくる。迂闊に動くことすら儘ならないプレッシャーに押し潰されそうになるヨーゼフに、クロが本気か冗談かの判断が付き難い言葉を投げ掛ける。


「…………何が目的だ? 俺をどうするつもりだ」


 喉から捻り出した声は少しだけ掠れ上擦っている。首の真横で刺さったままの氷の刃は汗を流れる傍から凍てつかせ、体がぶるぶると震える原因の一端を担っていた。


「それは俺たち(こちら)の台詞だ」

「貴方たちの目的は何? 何故昨日、私たちを襲ったの?」


 クロが『挑発』で喋らせたホテルの買収云々の情報から、敵の正体を掴むことは出来なかった。ホテルを買収したのは英国の貿易会社を中心とした計十八社の共同出資――とても分かり易いダミー会社で、一般公開の情報だけでなくロシア軍とTPTOの情報網を駆使しても、その裏側に潜む存在を炙り出すことは出来なかった。


 満州の政治家や官僚の誰かが賄賂を受け取り、偽装の手助けをしたのだろう。


 それはつまり、別種の権力基盤がこの満州に根付いていることに他ならない。


 ロシア軍やTPTO加盟国にとって、満州という国は多大な犠牲と投資を費やして興した理想に近づくポテンシャルを秘めた国家、そう簡単に第三国に踏み躙られる訳にはいかないのだ。


 昨夜に負傷した敵の一味、ヨーゼフ・ロートの入院情報を仕入れたローザは、満州駐留ロシア軍司令官の許可を得てここにやって来た。敵の正体を掴むことは、そのまま国家と地域社会全体の利益に繋がる。


「俺の目的は、てめぇらの足止めだって言っただろ。任務は無事に失敗、俺はベッドの上で休暇中。…………それ以上は、本当にねぇんだよ」


 クロはヨーゼフの弁解を聞き流し、特に反応せずに無言で病室の窓を開く。ローザの登場で十分に冷えあがった病室が更に冬一色に染まり、入院着のヨーゼフは余計に寒さで震えることになる。


「次は頭を冷やして、もっとよく考えて答えろ」

「アナタ”たち”の目的を訊いた。その意味が分からない?」


 ヨーゼフは動揺し、けれど体は微塵も動かせずに頭だけを必死に働かせる。目の前のこの二人は自分に、依頼人についての情報を寄越せと脅している。


「俺たちは本当に知らねぇんだ。俺たちは皆、不況のヨーロッパから逃げてこの国で一旗上げようとした軍人崩れ、傭兵だ。そんな俺たちに依頼人が素性を明かす訳ねぇだろ、な?」


 ヨーゼフは必死に真偽を散りばめた弁明を聞かせる。


 不況のヨーロッパから逃げてきたのは本当だ。ヨーロッパ各国――特に地中海沿岸国は対岸のアフリカを失ったことによる経済損失とアフリカからの難民の処理が多大な負担に、それこそ国が傾くほどの苦労を強いられている。仕事は増えるが治安は悪化し、結果的に『相談屋』の最終目標を達成するには他国で、特に比較的平和なTPTOの勢力圏で一定の影響力を持つ必要があった。


 『相談屋』の構成員がみんな軍人崩れ、これは半分本当で半分は嘘だ。クレイやヨーゼフ、ブリトニーといった年長組は元軍属であるが、レイズィやクラレットは戦闘員の括りであるが当然軍人崩れではない。


 そして依頼人が素性を明かしていない――これは嘘だ。素性を明かさない依頼人の依頼は受けない。それは飛び込みの依頼である今回も例外ではなく、『相談屋』を開業して以来の不変の規則だ。ただヨーゼフたちには知らされていないだけで、交渉担当のクレイは知っている。


 何故自分が素性を知らないか――その理由を正面の二人に伝えても良かった。


 だがそう決断する前に、ローザが口を開く。


「ヨーゼフ・ロート、二十五歳。生まれはスイスのチューリッヒの郊外、幼い頃に両親の仕事の関係でイタリアに移住。十六歳で軍に入して国籍を所得、バルカン半島の治安維持部隊に配属、派兵後は優秀な狩人(ハンター)として幾つかの勲章を授与される。兄の死を契機に二十一歳で除隊。以後は軍属時代の同輩と『相談屋』という民間警察を興し、欧州南部を中心に活動」


 ローザの無表情からスラスラと自身の経歴が語られ、ヨーゼフは表情までも凍り付く。


「去年の春に日本経由で満州に入国。その後一部の権力者を取り込み、民間警察として身分を隠れ蓑に既存の犯罪組織を駆逐しながら一定の勢力圏と発言権を確保」

「…………」

「今回の事件の解析に当たった駐留ロシア軍と長春警察は『相談屋』の関与を認めるも、核心にはいないと踏んでいる。……違う?」


 淡々と放たれる、ナイフのようなローザの言葉を聞きながらヨーゼフの決意も固まっていく。もう手遅れかもしれない。けれども時間くらいは稼げる筈だ。


「違う」


 そして決意を口にすると次第に動悸が早まり、凍り付いた体が解け始める。


「俺が単独でやっただけだ。『相談屋』は関係ねぇんだ。裁くなら俺だけにしてくれ!」


 そう言うとヨーゼフは深々と頭を下げ、ローザを酷く困惑させる。そもそもローザは『相談屋』を裁く意思も権利も持っておらず、それどころか司法取引の持ち出す準備すらしていたのだ。


 それ故にヨーゼフの喋る言葉、下げた頭の意味を掴み損ねている。


「どう思う、クロ?」


 無意識にクロに助けを求めるが、クロはいつも以上に険しい表情でヨーゼフを睨んでいて、助言を得られるとは到底思えなかった。


 助言はない。けれどその険しさの理由は、一切勿体付けずにローザに伝えた。


「どうもこうもない。ローザ、仕掛けてくるぞ」


 まるでその言葉が切欠になったかのように病室の扉が軋む。ローザが作り出した氷の鍵はガタガタと揺れ、次第に綻びを見せ始める。病室の外には影が立っている。恐らく昨日遭遇したクマのぬいぐるみ――『具現』によって作られた奇妙なクマであることは容易に想像がついた。


 本来ならクマも凍り付いてしまう。ローザの『氷結』はそれ程までに強力で排他的な『魔法権利』だ。けれど扉は難なく揺らされ、氷の城塞は打ち崩されそうになっている。


「もう遅い」


 扉を補強しようと手を伸ばすローザをクロが止める。


「分かった。クロ、撤収しよう」


 ローザは『魔法権利』を抑え、微塵も執着を見せない一言にヨーゼフは思わず耳を疑い「なんだと?」と聞き返してしまう。


「アナタたちと違って私たちは場所を選ぶ」

「白昼堂々、病院でやり合う気はない」


 その言い方にヨーゼフはムッとするが、無事扉が開かれ合流を果たした『具現』のクマとレイズィを見て平静を取り戻す。昨夜は不意打ち諸々を駆使して尚、ヨーゼフと『具現』は撃退された。今回はヨーゼフの足が折れたことで機動力を失っており、レイズィも姿を晒している。『具現』の操作精度は段違いに上昇するが、それ以上に危険も遥かに増えてしまう。


 このまま戦わずに去ってくれるなら、それが一番いい。


 だがクロとローザの言葉を鵜呑みにするのも危険――二人の甘言に呼び寄せられ、その結果としてヨーゼフはベッドに縛り付けられたのだから。


「やり合う気はない……?」


 けれどレイズィはヨーゼフの懸念だどまるで知らず、静かに闘志を燃やす。そして病院中に聞こえるくらい大きな声で、叫ぶ。


「傷付いたヨーゼフを脅した卑怯者を、見逃せるかああああああああああッッ!!」


 叫ぶと同時にレイズィの正面でクロと対峙していたクマのぬいぐるみが揺れる。そして縦に割れ、左右に分かれて倒れながら新たなクマを形成する。


 ローザはその様子を――大きなクマが割れ二匹の小さいクマに、小さいクマは成長し即座に大きなクマになり割れる、その繰り返しを凝視していた。ヨーゼフもクロとローザに目もくれず、レイズィとデフォルメされた熊が病室を満たしていくシュールな光景を呆然と眺めていた。


「ローザ、撤収だ」


 ただクロだけは、『具現』と直に殴り合った経験のあるクロだけは正気を保ち、唖然としたローザの手を引いて、フィギュアスケートの男女ペア演技の一幕のように軽々と抱え上げた。


 そして『具現』が本格的な戦闘行動に移るより早く窓から飛び出した。


 昼間の病院は当然多くの人目がある。けれどもクマの津波を掻き分けて正規の道筋で外に出るのは至難の技だ。狭い病室の出入口では一気呵成に飛び越えることも出来ない。


 『加速』の強みは超速の反応と神業染みた回避である。


 故にそれらを疑似的に封じる数の暴力――面の攻撃に弱いのだ。


 レイズィは勢いをそのまま二人が飛び出した窓際に駆け寄るが、ヨーゼフはその勇み足を諌める。レイズィは寸前の所で踏み止まり、お返しとばかりにヨーゼフに笑いかける。


「蹴り落とされたら危ないよね」


 ヨーゼフは軽く溜息を吐き、『延長』でレイズィの額にデコピンを喰らわせた。




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