Ⅱ-3
検問で三峰を加えた一行は、夜道を強引に進むの避けて、道中の田舎道で夜を明かすことにした。不用意に夜に街に――AFの密集地に入って囲まれるよりは、見晴らしのよい場所で、月明かりを頼りに不寝番を立てた方が良いと判断したのである。
もっとも今は『閃光』の灯りを頼りに四人で地図を眺めている。可能な限り安全で、尚且つ最短のルートを模索しているのだ。ただ問題があるとするなら、この四人は一度もこの近辺を訪れたことがない。地図には道路の具体的な幅や細かい横道などは記されてはいなかった。
「いやだからさ、この道をこういけばさ、昼過ぎには付くよ?」
「でも峠道だ。トラブルに遭遇する確率は低いが、万が一が起これば引き返さなければならなくなる」
「こっちの道を使って、この街を目指すのはどうですか? あとは海沿いを進んでいけばいいですよ」
「そうだな。三峰のルートがよさそうだ」
各々が案を出し、それに対する意見が四人の間を飛び交う。最終的には三峰が出した案を採用し、それと地図を見比べたシロとクロがそれぞれ感想を述べていく。
「じゃ早ければ昼過ぎには着く感じかな」
「到着は夜になるな」
同じ判断材料から、かけ離れた感想が飛び出してしまう。
「今日進んだ距離の半分以下なんだけど、クロ」
「安全運転には自信がある。任せてくれ」
クロの頼みとはいえ行き過ぎた安全運転に一日付き合わされ辟易していたシロは、クロの運転を断固拒否する構えを崩さなかった。
その代案として、消去法で導き出された決定事項をシロは堂々と口にする。
「明日は私が運転するから。ね、いいでしょ?」
潮風と秋の日光を浴びながら車は軽快に――しかし標準速度で無人の道を進んでいく。
運転席と助手席に座っているのはどちらも男で、人通りがない故に覗かれ落胆されることもないが、そうは言ってもフロントガラス越しに見える車内は幾分華やかさが不足していた。
いまハンドルを握っているのは三峰で、助手席に座っているのはケイジである。
シロは運転開始から十分も経たない内に、その苛烈な運転に対し三人からの猛烈なブーイングを浴び後部座席へと引きずられていった。代わりに運転席に座ろうとしたクロも、シロの熱烈なブーイングと道連れ精神によって後部座席に引っ張られていった。二人が仲良く後部座席に収まった結果として、無難に三峰がハンドルを握らされたのである。
最初はシロも不貞腐れていたが、今はクロに寄り添って寝息を立てている。肩を貸すクロも心なしかうとうととし始めていた。
「いま襲われたら、きっとやばいな」
「そうですね」
男二人の相手をしてくれるのは、行先を示す標識くらいであった。
「ふぅぁ……」
ハンドルを握ったまま三峰が大欠伸をする。 それを見兼ねたケイジが、重くなった瞼を擦りながら三峰に尋ねる。
「眠いのか? 運転なら代わるぞ」
「大丈夫です」
暫くの間、車内を沈黙が包むが、沈黙は眠気を誘う。無理にでも口を動かそうとするが話題は思い浮かばない。
「……やっぱり代わってもらっていいですか?」
ついに限界が来たのか、三峰は助けを求める。既に瞼は半分以上閉じて、開けているのがやっとの状態であった。時間が経つにつれてアクセルを踏む足の力が抜けているのか速度が落ちていた。
ケイジにも睡魔は十分に押し寄せていたが、三峰の状態よりはマシだと判断し代わることにする。
「代わるなら、一旦路肩に寄せて――――」
「止めちゃダメ」
太陽の光を浴びながら、狭い車のなかで可能な限り体を解しながら答えるが、想定外の方向から妙な答えが返ってきた。
「ぜったいにとめちゃらめぇ……くぅらは、はしってなんぼなんだから……」
返答は、シロの寝言であった。どんな夢を見ているのか知らないが、夢の中でも車に乗っていらしかった。ただ、それがただの寝言であるとは到底思えなかったケイジは僅かな危機感を抱きながら手を伸ばす。
「三峰、目は閉じてていい。ハンドルは俺に任せていい。ただ、アクセルだけを思い切り踏み込んでくれ」
危機感を意識したからなのか、突然睡魔が攻勢を強め始める。
ケイジは睡魔に負けないようにと燦々と輝く太陽を睨みつけ、ハンドルを握る手に力を籠める。三峰もハンドルから左手を離し、痛みで意識を繋ぎ止めるために親指の付け根に歯を立て、アクセルを踏み込み車を加速させる。
速度をぐんぐんと上げる車は無人の道路を進む。進むにつれて――加速をし続けるにつれて、靄が掛かったように不透明だった意識がより鮮明になっていく。
「ここまでくれば、大丈夫かな」
よく澄んだシロの声が、ケイジの意識に張った最後の靄を吹き飛ばす。
その直後にケイジは自身の目を疑う。目の前に広がるの晴天などはなく、夕日に染められた茜色の空であった。
「おはよう、ケイジ」
運転席には後部座席にいた筈のシロがいた。目を擦りながらであるが、しっかりと前を見据えて運転していた。
そしてその目の下には、一本の線が浮かび上がっていた。
「早速で悪いんだけど、後ろのクロ起こして」
シロの言葉通りにクロを起こすために後部座席を確認し、そこで唖然とする。
「……ひょっとして、俺は寝ていたのか?」
そこには三峰の首根っこを掴んだまま寝息を立てるクロと、運転席から引きずり出されたような姿勢のまま動かない三峰がいた。
「寝てたよ、私以外はみんなぐっすりと」
ケイジの疑問を、シロは肯定する。
「あのままクロが私を起こさなかったら……寝てたミツの足がアクセルに固定されてなかったら……本当に危なかった。きっと、抵抗も出来ずに殺されてた」
クロの体を揺すりながら、背中でシロの独白を聞く。
「……殺されるって、あの睡魔はAFの仕業だって言いたいのか?」
ケイジの問い掛けにシロは答えない。ただぐんぐんと速度を上げ、時折ミラーで後方を確認しているようだった。
「AFを逃がさないための『魔法』の可能性もあるだろ? 『魔法』持っているのはシロとクロの二人だけじゃないだろうし」
「そうよ。でも一つ訂正があるとするなら、私たちが持っているのは『魔法』じゃなくて『魔法権利』なの」
「…………何か違いがあるのか?」
シロはまた答えない。そして沈黙を破るようにクロが身を捩りながら目を覚ます。
「おはよう、クロ」
「ああ良かった生きてるシロおはよう」
その台詞だけ聞くとクロが寝ぼけているようにしか見えない。だが一般的な居眠り運転の末路を回避した自覚があるなら、それが言葉通りの安堵だと分かる。
クロが起きたことにより、シロは次第に速度を落としていく。ゆっくりと街並みを眺められる速度――通常なら迷惑運転になる程の速度で進んでいくが、迷惑を掛ける相手と遭遇する気配が一向にない。
途中でシロは大きな駐車場を見つけ、そこに入っていく。
「風に当たって完全に眠気を払いましょ。……あんまり良い風じゃないでしょうけど」
シロに釣られるように助手席のケイジと、未だに意識がおぼろげな三峰の肩を抱えたクロが降りてくる。季節は既に深い秋である。車内で火照った体を鎮めるには、夕刻の潮風は十分すぎるほど冷えていた。
昼の太陽の暖かみが残る道路に転がされた三峰は、倦怠感を払う為に頭を軽く振りながら起き上がる。僅かな間を経て変わった現在地と経験のある体の重さから、自分が寝ていたことを理解する。
そして広がる光景を前に、絶句する。
「あんまり驚いていない」
「な、俺の言った通りだろ? こいつ意外と根性あるんだぜ」
「うーん、私は悲鳴くらいは上げるかと思ったんだけど」
クロとシロ、ケイジの三人は背後から三峰の反応を窺っていた。
「それで、ミツ。爽やかじゃないお目覚めついてに、感想でもある?」
「…………ひどい」
それが三峰の本心から絞り出せた一言であった。
一行の眼前に広がる街並みは、確かに酷いものであった。民家の窓ガラスの多くは割られ、街路樹や壁には文字通り爪痕が残されていた。乗り捨てられた乗用車のフロントガラスを染め上げる血と、目の端々に入り込む人体の破片が散らばり、磯の香りと人間の血液の合わさった悪臭が、街全体を包み込んでいるようであった。
それらを認識した瞬間、体の奥から猛烈な吐き気が込み上げてくる。
「……吐かない方がいい」
唐突に向けられたクロの言葉で思わず息を飲み、それと一緒に吐き気も抑え込む。
「どうしても吐きたいなら止めないが、吐かない方が今後の為になる」
「なんだ、クロ。どういうことだ?」
「ふふっ、幼きクロが身に着けた経験則――だよね?」
首を捻るケイジと、悪戯な笑みを浮かべるシロ。クロは遠くを見つめたまま、続きを口にすることなく車に戻ってしまった。
「あちゃー、クロ怒っちゃったかも……」
「今後の為って、どういうことっすか?」
車の方を見て無用な発言を後悔するシロに、三峰が尋ねる。シロは逡巡し車と三峰を見比べる。そして思考の添削が終わり説明を始める。
「クロは多分、この光景に嫌悪や恐怖を抱いたとしても、それを何かしらの行動で示しちゃダメって言いたかったんだよ。行動にすると体が覚えるからね。体が恐怖とかを覚えると、必ずそれに縛られて動けない時が来る」
「そこで動けるか動けないかの重要性は、伝える必要ないよね」
シロは言い終えると、邪推はしないでねと言い残し車に向かって歩き出す。
残された二人の男は、棒立ちのまま街並みを眺め続ける。
「軍にいた頃にな、AFと合わせてシロとクロのように『魔法権利』を持つ奴の噂を聞いたことがある」
「……噂ですか?」
ケイジもまた遠くを見つめたまま、己の体験談を語りだす。
「普通の人間はAFを恐れ、『魔法権利』を持つ奴らはAFを恐れない。その理由は、人間じゃないからだ、てな。鮫に襲われる魚と、遊びで鮫を殺せるイルカくらいには違うのさ、きっと」
そこまで語ってから、ケイジも返答を待たずに背を向ける。
「ま、俺はイルカよりシャチの方が好きだけどな」
「シャチ……?」
ケイジが去り際に残した特に意味のない一言が、本当に意味のない一言であると気づいたのは、三峰がハンドルを握って街を出る頃になってからであった。