Ⅱ-1 クロ対クマ
長春市の中心部から少し外れた場所に立つホテル――上等だが決して一流には届かないホテルのフロントで、ローザは係員から一本の部屋の鍵を受け取る。
「こちらが三○二号室の鍵でございます。何か御用がございましたら、フロントまでご連絡を」
マニュアル通りの対応を適当に受け流しながら、ローザはクロを引き連れてエレベーターに入り三階のボタンを押す。
クロはローザが一部屋しか取らなかったことに触れず、ローザもジャラジャラと音を立てるクロの手荷物には触れない。一部屋しか取らない理由をクロは知り、ジャラジャラと揺れる手荷物が必要だとローザは知っている。故に、どちらも触れないのだ。
クロはローザに荷物を渡し、代わりに部屋の鍵を受け取る。三○二号室の前に立ち、鍵穴に鍵を差し込み『加速』を使う。耳を澄まし、鋭敏になった感覚が室内から何かしらの気配を拾わないか試みる。
シンッと室内の静寂がドア越しに伝わり、無人だとクロに教える。
クロは無言で首を振り、後ろで控えるローザに気配がないことを伝える。けれども念には念を入れて、『加速』した反応速度を維持したままドアを開いた。
「……警戒しすぎたか?」
整然としたベッドに調度品の数々――どう見ても、人が侵入した形跡などない。フロントからの遠隔操作で温まった室内には、クロとローザしかいない。それでもクロは浴室やクローゼットを順に検め、窓を開けて退路を確かめる。
「待ち伏せはない」
最終確認を終えたクロが振り向くと、入り口で警戒を続けていたローザは室内に素早く入り込み扉を閉じる。そしてすぐさまコートとジーンズを脱ぎ、パンツとハイネックのシャツ一枚になったローザがベッドに倒れ込む。一声も掛ける間もなく既に寝息を立て始めたローザの肢体は、コートで隠れていた時以上に艶めかしい凹凸を無意識の内にひけらかしていた。
あまりに無防備だ。
けれどクロはその姿を一瞥するだけに留め、持ち込んだ荷物を開く。
中からは砥石や鉄鑢、釣り糸に大きめの釘の束――そして大量の鋏が、買い物袋の中で出番を待っていた。クロはその中から一本だけ取り出し、指を通し動かして馴染み具合を確かめる。そのままペン回しのように軽く手の甲と手の平で回しながらバランスと重さを感じると、ペンチで無理矢理中心のネジを外して二本の刃に変えてしまう。
「長さと重さのバランスが悪い……が、取っ手は残さないと」
クロは独り言を呟きながら、片鋏の先端から背にかけて鉄鑢と砥石で研磨する。『加速』させた動きによって行われた研磨は、熱を伴って僅か数十秒で鋏をナイフへと変貌させる。
クロは、幾つもの『加速』を使った戦い方を熟知している。
超反応を活かした素手の近接格闘から始まり、速度を一定に維持しながら行う一撃離脱に多種多様な武器を使った絡め手の類まで。中でも最低限の準備で最大限の効果が引き出せるのは――――
「いい出来だ、投げ易そうだ」
投げナイフと、近接戦闘の組み合わせだ。
自家製のナイフ――目的に合わせて作った逸品だ。
クロは磨き上げた簡易投げナイフをうっとりと眺め、刃に指を這わせる。名刀と呼ばれる日本刀のように触れただけで切れることはなく、寧ろ切れ味は鋏の時より衰え、市販のナイフにも届かない。
けれど投げナイフに必要なのは切れ味でなく、貫通力である。クロの磨き上げた刃物は全て鋭利に尖っている。その様相はまるで拡大した縫い針であり、流石に『加速』を使っても成長型AFの外殻や分厚い鉄板は穿てないが、それらより遥かに柔らかい人間を貫くには十分な鋭さを持っている。
一本目の鋏を二本の投げナイフに変えたクロは、嬉々として二本目の鋏に手を伸ばす。
クロの趣味は筋トレとシロ、そして武器作りだ。
クロの武器作りの技量は趣味で収まらない。武器の加工は『加速』の細かい使い分けと力加減の訓練になると教わり、励んできた。だがAFが九州に現れるまでは戦いは当分先、来たるアフリカ奪還作戦に参加するまでクロに武器は必要なかった。今まで一人で暇潰しに作ったナイフや鉄くずの延長は、義父の知人が気に入って破格の小遣いと引き換えに持っていったり、クロの室内に放置されていたりしている。
九州で何本か使ったが、人間相手に使うのは初めてである。
二本目の片方を研ぎ終えたクロは、どの程度役に立つか分からない武器を置いて、浴室に移動して衣服に付着した金属の粉を叩き落とす。
パラパラと細かい粉と一緒に火照った両手を水で冷やしながら、鏡に映った自身の姿を見定める。ぼさぼさの長髪に手入れがされていない不精髭――やつれた頬には張りが戻っていたが、それでも少しだらしなく見えてしまう。
「髪は兎も角、髭はいらないな……」
そう呟いて研いだ鋏を顎に当て伸びた剃り落す。シャリシャリと髭は落ちるが、やはり切れ味はそれほど良くはない。ゆっくりと時間を掛けながら髭を剃り、考える。
「研いではみたが……」
一瞬出来合いのナイフを買った方が早くて楽なのでは――と、そんな考えが脳内を過る。
だが部屋に戻り、ベッドの上でスヤスヤと眠るローザを見て”早く”が必要ないことを知る。
二人で一室。その理由は、いつ何が起こっても対応出来るように動ける人員を確保し、必要な睡眠時間を分担する為だ。ローザの仮眠は十七時から二十一時の四時間、クロは二十二時から四時間――それが事前の取決めだった。
少なくともあと三時間半は、独りで時間を潰さなければいけない。
クロは軽く室内を見渡して、買い物袋を暇潰し先に選ぶ。それなりに広い室内で、新たな鋏を研ぎながら、ローザの寝息を聞きながら、クロは神経を研ぎ澄ませていく。
ミスなく戦う。今以上に心掛け、実践しなければならない。それに必要なのは極限状態で表れる集中力と尽きることのない心理的余裕、そして万全の準備だ。
ミスが招く危険は、自分だけのモノじゃない。
クロは一度それを味わった。……もう二度と、味わいたくなかった。
胸がキリキリと痛む。
覚えはあるが、感じたことはない。かつて三峰に――三峰を引き継いだAFに『拡散』で抉られた胸元の傷は、既に許容量を超えていた痛みにより感じず、直後に訪れた胸を刺す光景に痛みその物が掻き消されたのだ。
傷は完治した。少なくとも、外見は元通りに戻った。
だが刺すような痛みは治まらない。
傷もないのに、痛みは消えず、疼きは止まらない。
「やめてくれ、シロ……」
元三峰と自分の間に立ち塞がるシロの陰に、クロは怯える。
目を背けたい――顔は固定され動かない。
陰に左腕は存在する――元三峰の腕が迫る。
咄嗟に身体を動かす――けれど、その結末は…………。
ピクリと涙が頬を伝い、覚醒が訪れる。
「…………」
叫びそうになったが、呼吸は乱れていない。冬場なのに薄らと汗もかいてはいた。
覚醒の原因は、度々襲う悪夢ではないのだ。
クロは薄暗い室内を眺め、時計を手繰り寄せ時間を確認する。時計が示す時刻は一時の五分前、深夜だ。ローザの仮眠が終わり二人で遅めの夕食を済ませ、クロが仮眠を初めて三時間が経過していた。
「妙な気配があるな」
感覚が鋭くなっている。『挑発』を得て以降、『加速』とは別方面でクロは身体能力の強化を授かった。端的に言うならば敵意や興奮など、感情の機微に対して敏感になった。
そして今、この部屋に近づいている気配は、間違いなく敵意だ。
「クロ、何かあった? まだ仮眠の時間は残っている」
ローザを探そうとした矢先、浴室から出てきた彼女に声が掛けられ、クロは振り向く。ローザの衣服は出会った時と同じであったが、結んであった両のおさげは解かれ、薄明りに彩られた髪はしっとりと湿っていた。
頬が火照ったローザは妙に色っぽかったが、クロは「シャワーを浴びていたのか?」などと野暮で無意味な問い掛けを省き、ただ簡潔に、必要なことだけを伝える。
「敵が来る。準備を」
クロの言葉を受け取った瞬間、ローザの頬から火照りが消え、引き締まった冷たい顔に戻る。火照りが消えたのは、比喩ではない。『魔法権利』で熱を冷まして体温を常温に戻したのだ。
拳銃の調子を確かめながら、ローザは『氷結』で扉付近に冷気を集める。
ローザの『氷結』は発散型の『魔法権利』で、発動の大筋は三峰の『拡散』とよく似ている。発動に必要な条件は接触で、効果は『氷結』の文字通りに対象の熱を奪うという単純なモノで、冷凍庫など比べ物にならない早さで瞬間冷凍を可能にする、まさに魔法然とした『魔法権利』だ。
「理屈も効果範囲も分からない。ただ、私はモノを凍らせる」
事前に教えられた通りにローザの足元から一本の氷の線が伸び、罠として配置されている。
クロはオープンカフェになった喫茶店で実際に目にしたが、ローザの『氷結』は三峰の『拡散』並に恐ろしく、クロの『加速』ではまず勝ち目がない程に二人の相性は悪い。
準備を終えたローザを横目に、クロも研ぎ終わった片鋏ナイフと釘束をコートに突っ込む。ローザを後衛に据え、投げナイフを手にして気配の到来を待つ。
「確かに、二人分の足音が扉の前に」
「二人? ……いいや、気配は三人分あるぞ」
クロとローザは意見の食い違いを正す間を設ける。
「ゴロツキじゃないな」
「けれど警察や軍人とも違う。忍び寄る仕草が雑、慣れてない、本職でない者の足運び」
「となると、権利者か? ……いや、十中八九権利者だろうな」
相手は室内に踏み込んでこない。二人は動くに動けず、ジッと待ち構える。室内には僅かな息遣いだけが虚しく木霊して、緊迫感だけが満ちていく。
だが扉の前から、妙な物音が聞こえる。
「……一人分の足音、離れていく?」
「用心しろ、気配はまだ二つ残って――――」
ローザの怪訝を窘めたクロは、扉の先――いや、扉の下の隙間から這い出てくる何かを見つける。ぐにゃぐにゃとしたスライムのようなそれは、ローザの『氷結』と拮抗しながら次第に形を練り上げていく。
「クロ、『魔法権利』が――――ッ!!」
目を見開き驚愕を顕わにするローザと違い、クロは冷静にナイフを振りかぶり、その謎の『魔法権利』に向けて投げようとして――――、止める。
木製の扉が砕ける音を伴って、扉は派手に蹴り破られたからだ。
扉の下から這い出る何かに気を取られた二人は、意表を突かれ硬直する。廊下の灯りを背に受けて立つテンガロンハットの男はニヤリと笑い、形の悪いリンゴを捨てるような気軽さで、小さなパイナップル型の金属を室内に投げ込む。
「Граната руки(手榴弾)!!」
ふわりと放物線を描いて、破られた扉の向こうから手榴弾が迫る。
その軌道は仲間諸共吹き飛ばす、恐ろしい軌道だった。
エクスペ3見てきました
Aバンデラスが良い味だしてました4が楽しみ




